「魂の殺人」の証明。殺された魂は見えないからと無罪もあり得る犯罪
物好きなわたしは、大晦日となったその日は徹夜をしての朝を迎えていた。前日の夜には溜まり溜まったストレスで大爆発をして、泣き喚いて、自己嫌悪に陥った。
こんなはずじゃないのに、こうな風にしかできない自信に苛立っていた。
ツイッタランドで女叩きさんに相手をしてもらって気を紛らわせていた。
マジで脳が働いてねえなって思ってたけど、二次加害発言が飛び出してきた頃から、どうしてこうなんだろう?と話している内容を見失いつつあった。
相手してくれていた方には本当に申し訳ない。
女叩き界隈の女性蔑視には反吐が出るが、感謝もする。
話題というか議題というかは「性的同意」について、だった。
私の反論は思い返せば恥ずかしい。申し訳ないほどに解像度が低い内容だった。
悩みに悩んでいたその夜、母は紅白を見ているが、私はいつになってもツイッタランドにいる。
風呂に入っても考えていた。
「どうしてこんなに苦しい思いをしていることを軽視するのだろう?」
「性被害の深刻さを知らないから?」
「どうして現実にある性加害と虚偽親告からの冤罪を同列に語るんだろう?」
「男性は性暴力での冤罪こそが深刻だから?」
ザバーっと手桶で汲んだ湯を被る。
トリーメントを流した頃、急に少しの悟りが開けた。
わたしは、性被害当事者というバイアスで見えなくなっているものがあった。
「まさに魂の殺人じゃん」
思わずつぶやくなんてはじめての経験だった。
あまりに空しくて虚しくて、呆然としてしまった。
怒りも湧くが、なにかにぶつける気力すらも残らないほどに、打ちひしがれて、静かに憤る余力もない。やるせない。
けれど、すぐに「こんな現実があっていいはずがない」と思い直した。
大晦日から元旦にかけて、考えなければならないことができた。
だって、そんなの許せるわけがない。
まさにやったもん勝ち。通りで。
絶対に変えてやりたいと思った。思ったけれど、方法が思いつかない。
だから年越しをこれに費やす。年始もこのことに費やすことになるだろう。なんなら、人生の全てにこの課題が付きまとうだろう。
全然構わない。纏ってくれ。
解決しなきゃ死にきれない。死なない呪いとしてでも纏わりついてくれ。
「魂の殺人」
性暴力は被害者の心身に甚大な影響を与えることから「魂の殺人」と言われている。
私もそうだと2023年12月31日の紅白がはじまった頃までは確信していた。
風呂のシャンプーとトリートメントを終えて「なんでだよう……」と惨めな気分で手桶の湯をザバーザバーかけて「にゃう」としょぼぼんとしていたら、急にすこーし悟ったのだ。
朝からずーっとしていたのは性的同意を取ることが可能かどうかだった。
男性はしきりに口頭での同意なんて女のぴえんで覆されて冤罪被害になるんだよ!と繰り返していた。
そんな女とすんな!で終わる話で、女叩きが趣味なみなさんは暇らしく一日中、治療先が決まらないことも年末年始では進まない等の精神不安をやり過ごすこと、気を逸らすこと、様々な衝動を意識しないこと等に、本当に役に立ちまくっていた。
PCに張り付いて、女叩きさんがざっと20個ほどそれぞれに反論してくれているから、お陰でわたしはそれに反論をすることに熱中することもできて、ムカつくが感謝でしかない。
わたしは反論として。
「不同意の証明なんて簡単にはできない(性被害の証明は困難という自身も知っている経験)」
「女のぴえんのみ犯罪になるなら司法を整備すべし」
「冤罪に関してだって性暴力に関する法が整備されてないからでしょう」
「冤罪は私には関係ないもん。自分で解決しなよ。ってか自衛しな。賠償請求すれば? 通らないならその程度なんじゃない?(性被害は自身と無関係だと言い張る系の男さんのマネ)」
まあまあ当たり前なことしか言ってないわけだが。
大事なことを私は言っている。
「不同意は簡単に立証できない」
私にとって、これは本当に憎い憎たらしいことだった。
性被害を事細かに証言することを何度も繰り返し、それは二次加害でしかない。
被害によって混乱し錯乱し自殺しかねないような被害者にどうしてそれができようか!
私には性被害当事者としての思考のバイアスがものすごい強度で掛かっていた。被害の立証が難しいことを憎んでいた。
だってこんなにもツライ。生活は破綻して、気が狂う寸前で、色んな衝動(はめつがんぼー的な)を抑えることに本当に本当に大袈裟でなく発狂しそうなのだ。
加害事実があってこんな現状に陥っているのに、被害届すら出せずに、犯罪被害者としての支援もない。
それなら加害事実もない、なんて二次加害も受ける始末。
でも。
「不同意であったことを認める根拠が主観でしかない」から「認めさせることは困難」で、だからこそ「事細かに証言しなければならない」し、それと「客観的事実と照らし合わせる」しか証言が不当でないかの判断材料はないし、「冤罪でない可能性を排除しなきゃならない」のも当然だと理解している。
男性たちの言う「同意は覆せる」も、主観が頼りで証明するからで、性暴力では証拠は被害者の供述がありきで、それが正しいかの状況証拠探しなのだ。
というかそもそも。
「不同意が証明困難」なら「同意も証明困難」でしかない。
男性たちの言い分はご尤もでしかないのだけれど、気づきたくなかったわけではない。徹夜明けで脳内疲労はそもそも毎日のストレスでやばいのだ(言い訳風味)。
もし、法を悪用する虚偽申告者がいたなら、女叩きよりも、性被害を軽視する社会よりも司法よりも、最も邪魔な存在だ。一番の敵だ。
「性被害に虚偽申告がない」状態であるなら、性被害者たちの困難はこんなにも増したりしないじゃあないか!
まず、冤罪が在るという状態こそ、邪魔である。失せろ!虚偽申告女郎!
さて、密室で行われた性加害である。
加害事実を知るのは被害者と加害者のみ。
被害者が被害届を出して立件され、逮捕となり、裁判になり、勝訴するとする。
最も重要な証拠は「被害者の主観」である。
たとえば、加害者の体液が被害者の体内や身体から採取された等は被害者の証言の裏付けでしかない。
この時点、同意があったとも不同意だったの証明にもならない。
でも、わたしは「司法は正当に評価するはず(現行法の中で)」と性被害者に寄った視点で物を見て話す。
正当に不同意と認めるべきだ!と。
これを信用する人は何を根拠にしている?
同意していなかったことをどこで判断した?
これが二次加害であることは承知だが、被害者が事実を話したことを見てもいない人が認められるのはなぜ?
裁判で勝訴したから?
その人が嘘をついていない(はずだ)から?
その人が信用できる(と思う)から?
論理とか理詰めでいくと、どこにも証拠は存在しない。
根拠にしている事柄は被害者の主観とそれに基づいたものなのだ。
でも、事実として「加害事実が在った」のだ。
わたしたち性被害者たちは、主観としての証拠しか証言もできない(ことも多い)犯罪被害に遭ったのだ。
「そんな犯罪が他にある?」
わたしたちの体内にたとえ加害者の体液等が残っていたとして、それは相手のDMAを特定する鍵にすぎない。
わたしたちの身体に、何の証拠も残っていないとして、何の証明も出来ないとして、ときに加害者が誰であるのか、どこで加害されたのか、それすら不明であるのに、何を証明するのか。
そんな被害者のわたしたちは、確かに「加害行為を受けた」のに、主観でしか証明できない。
傷口の形状から他害だと判断されることも無い。
心には致命傷を確かに負ったのに、その傷を証明することも、主観でしかない。
悪夢、フラッシュバック、過覚醒、様々な症状に悩まされている、PTSDのわたしは、その性加害があったことすらが「わたしの内心」にしか存在しないのだ。
あとは、どこかにいる「加害者の内心」に在るかもしれない(覚えていない可能性も生存していない可能性もある)。
わたしは「加害の証拠」すらないままに「致命傷を負った」のだ。
加害が証明できないのに、確かに加害事実が在ったと言ったところで、証明はできないのだ。
「ねえ、こんなにも残酷な犯罪が他にある?」
「わたしへの加害事実は内面にしかないの。まるで“魂”を切り刻まれたかのように、誰も見ることすらできないの」
「でも、確かに加害されたの。そのせいで生活は破綻してるの。トラウマで生活がめちゃくちゃなの。どうしてそれを証明できないなんて意地悪なことを言うの」
「ねえ、どうして、“魂”しか殺さなかったの?」
「ねえ、加害されたって客観的に分かるように、証拠を残してよ……」
加害事実は確かにあったのに、立証も出来ない、裁くこともできない、そんな性被害者たちの生活は、悲惨だ。
そして裁判で勝訴して被害者として認められたとて、被告へ言い渡される刑罰は軽い。被害者には二次加害の嵐だ。
「わたしは確かに加害されたのに……」
魂に加害しただけの犯罪は、客観的な証拠も残りはしない。
「同意と不同意の証明」
無理ゲーである。先に書いた通り無理ゲーだ。
不可能である。お互いの認識が真逆なら不可能。
普段から関係性がしっかりできている(はずの)パートナーとの間でも、性暴力でも、証明不可能な可能性が高い。というか不可能なのだ。
それを司法で判断していることの、何という不安定さ。
そこに希望を見ていたわたしからすると、支柱を失ったかのような感覚だ。
わたしの被害を立証するものは実際に「わたしの内面」にしかない。
だからわたしの被害は家族すら懐疑的に見ていたこともある。
わたしは「解離性障害」をもともと患っていて、だからこその「精神障害者」というレッテルで「妄想」ではないのか?と警察にも判断された。
どんなにわたしが事細かく話せたとして、まずは加害者を連れてこなければ「わたしの被害は立証できない」のだ。
その加害者は県内のどこかのホテルで不同意の成功に及んだ。
ある加害者は東京のA区にあるマンションの一室で暴力を伴いレイプした(私は死物狂いで反抗したおかげでもっと酷いことになった)。
別の加害者は千葉のK市の住宅街に建つ民家に監禁して数日にわたり行為を強要した(わたしは自己を失って加害者に感謝し、現在に渡っても認知が歪みまくったままいる)。
このわたしの記憶を現実だったとすることも可能だった重要な証拠を「消してしまった」ことは家族も知っている。
わたしとの行為のこと、隠し撮りしたこと等が書かれた脅迫メールだ。
わたしを監禁していた相手からの不審な電話があったことも。
加害者宅に置きっぱなしのわたしの荷物が小包で届いたことも。
友人にわたしを保護している等の不審なメールがあったことも。
それらがわたしにあった客観的証拠。
けれど、荷物は気持ち悪いと母が捨ててしまった。
メールはいつの間にか消えていった。
そして一番証拠らしい証拠の、脅迫メールはパニックになり自分で消してしまったのだ。
妊娠していないかを確認しに行った産婦人科でも、性感染症と妊娠していないこだけを確かめた、それだけしかしていない。
確か、そこに体液はあったのに。
まず、わたしは帰宅してすぐにお風呂に入っていた。
わたしは性被害者として、取ってはいけない行動しかとらなかった。
「同意の意思をしっかり示すことがないままにされた行為は全て性暴力」だと、強く強くインプットしていたからの「不同意は不同意でしかないじゃん」という、性被害者のバイアスのかかった見方しかしていないアウトプットも散々してきた。
間違ったことは何も言っていない。
本当に事実として、被害者側は不同意だったことは不同意でしかないのだから。
でも「同意も不同意も主観」でしかない。
だから「不同意の立証に性被害者たちは苦痛を堪えて挑んで」いるし。
冤罪を恐れる男性は「同意の証明は自分しか出来ない」から不利なんだと。
お互い至極当然のことを言っているのだ。
とはいえ、冤罪被害を恐れなきゃならない相手としてしまうというのは、どういうことなのか、今でもさっぱりわからないままだ。
女性蔑視でいながら、女体で性欲処理したいってマジで何なん?
なんて話は置いておくとして。
もしや女性とのコミュニケーションに問題があるの?
なんて話も置いておく。
重要なのは「同意と不同意をどう証明するのか?」である。
どんなに考えを巡らせてみても、実は無理なのだ。
それこそ、録画映像や録音という証拠でもなければ。
そして同意の記録をするアプリ「キロク」なんて加害者が悪用し放題なのだ。契約書を書くなんていうのもそうでしかない。
まず、性被害者たちに見られる5F反応というものがある。
不同意性交には権威をチラつかせた脅迫もある。
そして5F反応がある。
それであると説明できたとして、裁判でも加害者が有罪となったとしたら、被害者にとっての正義は果たせたことになる。なんとまあ素晴らしいことだ!
でももし、相手が本気で同意はあったと思っていたとしたら。
その犯行はまったくの本意でなく「起きてしまって」裁かれることにもなる。
5F反応が起きたことも相手は理解しないで迎合されたと本気で思う。
その加害者は加害をきっと認識しない。本気で。
それも起こり得る。認識の違い。
じゃあ、同意と不同意は密室での行為において、どう説明し証明ができる?
同意を覆されたことは?
本当は嫌なのに従ってしまった不同意は?
性暴力は、同意なき性的接触のすべてに当てはまる。
ここで迎合をどう説明する?その根拠は?
これらは心理学的には証明された被害者の心理であっても、客観視することのできないもので、主観しかない。
まず、この5F反応の知識がなければ被害者は自責にも陥る。
でも、それらの反応である説明は、状況証拠と、被害者の主観に基づいた検証の結果しかない。それ以上のものにはなり得ない。
そして、それを司法が判断する。
心理状態についての医師の診断についても、PTSDに陥っていることすら、因果関係を認めさせるにどうやら難しいのが現在の状況であるかもしれなくて。
まず。医師や心理士はこれが原因のトラウマだと言い切れるのか?
わたしはそれを知らない。
医師の見解の通りに司法がそう判断するのかもわからない。
けれども、脳の萎縮等が見られるものもある。
が、目で見られる形に表れない被害もたくさんある。
心理面のダメージをどうにか被害として数値化できないのか?
因果関係を認めさせられないのか?
心理面のダメージは、一般的な認識かどうかわからないけれど、割と欺けるものだと思う。
精神病院に精神疾患でない人が患者を装って混ざっていても気づかれなかったなんて実験を思い出してしまう。
PTSDの強い症状が現れていては、生活は困難である。
けれども、見るからに精神疾患ではないのが、PTSDや解離性障害等のトラウマ疾患の困った部分であるような気もしている。
誰が見てもわかりやすく困っていないから(わたしがまさにそうだ)。
被害者の主観が重要になるのは、性暴力の性質上、仕方ないとは思う。
密室での加害行為で、被害者の証言しかないのだから、それを詳しく聞いて裏を取るみたいなことをするしかないけれども。
たとえば、体液が体内に残っている状態の女性が、合意の元でしたはずの行為で男性をハメることは可能なのだろう。
仮定の話として、可能なのだ。
それをネチネチとこねくり回すのが一部男性の合意が主観に頼られることのリスクらしいし、本当にそれが起きるなら最悪な話なのは分かる。
そうやって性暴力の仕組みを悪用する女性がいるらしいから、本当にやめて下さい!って思う。
お願いだから、虚偽申告しないで。
性暴力を軽視しないで。
あなたたちがしていることは、性暴力被害者をも陥れる行為で、性暴力を嘲る人を増やすし、性暴力被害者の困難を増やすことなんです。
だから、どうか、どうかお願いだから……。
って、どこかにいるかもしれない冤罪で稼ぐらしい女性にお願いする。
「同意の取り方マニュアル?」
男性たちは、これなら確実に同意が取れた状態だ!と証拠として残る事柄を欲していた。
そうして「キロク」というアプリは生まれたのかもしれない。
けれど、そんな合意の取り方は加害行為に悪用し放題であるから、全く意味をなさない。
ちなみに、わたしは、自分についてをしっかり考えるようにしてからは、同意をしっかりとれないなら「しない」でいる。
相手の同意ももちろんだし、射精の責任についても言及する。
ムード?はあ?なに言ってんの?
お互いが納得して安心して出来ること以上に大事なことがある?
嫌であることにノーと言うことができない関係なら「しない」だけだ。
それほどに、大きな意味を持っている行為だからの「信頼」があることに「確信」をしているからの、する、なのだ。
女性たちははっきり言って「ムード」なんてものを気にしてる場合じゃない。
性行為に付きまとう「妊娠」は、起きたら女性は逃げることが不可能だから。
男性が責任を取る取らないに関係なく、女性はその責任から絶対に逃れられない。
中絶するのは女性の身体。
妊娠期間を過ごすのも、出産するのも、女性の身体。
男性が結婚という形でいる状態だとしても、女性はその責任から逃れられないし、出産後のボロボロの身体で新生児育児もはじまる。
それが地続きにあることをよく考えて、ムードなんていうものとどちらが重要か考えるべきだと思う。
そして男性は射精することに対して、責任を持てないなら性行為をしないでほしい。
正直な気持ちで言ってしまうなら、女性の体内に自身の精液を入れてしまっての結果から逃げていいのは自由恋愛のリスクだなんて、無責任の正当化でしかない。
そんなクソ雄に股を開いた女が悪いが一部の男性の主張。
でも無責任に射精しない責任を持ってほしいことのどこが贅沢なんだろう?
どうしてコンドームの着用を徹底するだけのことができないのか、わたしにはさっぱりわからない。
相手女性を妊娠させる予定もその責任を果たすことも承知していないなら、なぜ?
それで人生終わった……とか言うの、なんで?自業自得でしかないじゃん。
そして、もし相手を思いやることより快楽を優先するなら、加害欲や支配欲であることを心に止めて、自身の暴力性と向かい合ってほしい。
それから、男性にとってはどうか知らないけれど、女性の多くは、心を満たすために性行為をする。
愛する人とのコミュニケーションの一環として。
このコミュニケーションでしか得られない幸福がある。
説明は上手くできないけれど、性的快感がどうこうっていう話とは別次元であることだけは確実で。
同意について、わたしは「しようとしたことにノーと言われたたやめたらいいだけ」と言ったのだけれど、これにも反論されまくる。
気が変わって、やっぱりあのとき嫌だったから不同意ですーって女は言うらしい。
わたしは未経験で、理解しがたいのだが、実際はどうなのだろうか?
性的同意に関することは本当に「ふわふわ」したものでしかない。
でも、ふわふわしているとめちゃくちゃ嘲笑された。
男性は性的同意を履行や不履行の義務もある「契約」にしたいと言っている人がいるのだけれど、それはさすがに……となる。
けれども性行為をしてもいいと思える関係性というものってそんなに見誤るのか?と疑問に思っていて。
けれど、見誤った男性とわたしが昔いたなと思い出した。
友達として付き合っていた男性で、彼の車でのドライブにも普通に行く関係だった。
が、ある日突然ホテルに誘われて、わたしは性被害のトラウマが既にあったために泣いて拒否ってしまった。
これがもしかしたら男性の言うリスクなのか?
でも、それについて怒るとかの気持ちもわたしには湧かないし、少し歪になったけれども友達を続けた。
確かに関係性が少し歪にはなった。
そうすると確かにリスクなのかもしれない。
と、そこでフラれるとして何のリスクがある?
空気読めねえ勘違い男にホテル誘われたwwwマジキモいwww
とか嘲笑されることかな?
それはもはや見る目なくない?
そんな女やめとけって言いたいし、わかってよかったじゃんって思う。
もしや一般的には違うの? 男性はこれがそんなにも嫌なの?
というのも、わたしは自認しているのですが「変人」です。
どうやら一般的な感性とはかけ離れているのです。
一般的なウケる、嘲笑、楽しい、傷つく、笑う、等々、ツボが違うことは分かりきっているので、もうどうしようもない。
「変人」というより「変態」の域にあるかもしれない。
男性が負っている性的同意に関するリスクについて、わたしは理解できないだろうとたくさん嘲笑された。
でも、誰も説明をしてくれなかった。
わたしなんかに教えるのはどうやら嫌なんだろう。
もしくはわたしには理解不能な難解な責任やリスクを負っているのだと思う。
説明求む。マジで。そうしなきゃ、話が進まねえ。
わたしは性的同意はふわふわしてるものだから、パートナーとの関係性の中で築き上げるしかないもので、お互いが向かい合って話し合って、その手間を省けないものだと考えている。
ふわふわしたものの、ふわふわしたものなりの着地点を個々でパートナーと共に探り見つける以外にない。
どうしてそんなものの正答を探しているのって、本当に疑問に思っていたけれど。
これにもし、はっきりと答えの規範があるなら「冤罪を防げる」のだ。
同意した証拠が残るから。
でもそんなもの加害側の悪用が可能で、加害者へのメリットしかない。
被害者にはデメリットしかない、アプリ「キロク」でしかないから。
それでも男性は求めている。
同意の規範があればいろんな問題が解決すると言って。
けれども、被害者の問題、不同意の証明には妨げにしかならないことなのだ。
同意したくない人に同意させないことを絶対に守れる契約なんてないのだ。
女が同意を明確にしないから性暴力も減らないんだと言っている人がいる。
ノーと言えない環境が女性にはあることを、男性は知らないのかもしれない。
殺されるよりマシと選んだお前の自業自得じゃん。
そういう男性がネットの匿名空間にはいるのだけれど、本気でそう思っている男性もいるのかもしれない。
殺してももらえないで、性加害されるしか選べない事態があるから、この問題に正答がないのだ。
「こんなにも絶望的に証明ができない犯罪」
「ざっくりと切られてぱっくりと開いて血が止めどなく流れ出ていく致命傷すら内面にあるなら誰にも立証(見て確認)することは不可能で、だからこその魂の殺人」
「加害事実が在っても無罪に出来る犯罪。そんな理不尽な現実は許せないよ」
「不同意の証明はどうしたら証明ができるの……同意より難しいじゃん」
「イエスのみがイエスの意味である常識」
女はノーと言いつつイエスだ。イエスと言ってもノーに変わる。
という不満なのか何なのかを言っていた男性がいる。
女性はそういう無責任な生き物だ、と。
その女性と恋愛したいなら、それは仕方ないじゃん。
けれど、これの弊害は「Yes is means Yes.」に反することを女性がしているのに、何が本当のイエスなのか?となること。
それこそ、個々にパートナーと話し合ったら良いでしかないのだけれども。
個々に登場する課題が「イエスと“言わされた”イエス」の扱いが問題なのだ。
言わされた証明はどこにあるのか?
どうすれば証明できるのか?
ノーなのにイエスと言ってしまうなんて、女性には主体性がないのか。
そんな反論がアンフェミから聞こえてきそうだ。
しかし、性暴力ではあり得るのが現実なのだ。
男女問わずそうなるのだ。性暴力を前にすると。
自害すらできないで性加害されることもある。想像できるだろうか?
洗脳という場合もある。
ストックホルム症候群のような状態も。
被害者が自身の心を守るために「自分は加害者が好き」と自己暗示をかけてしまうような状態もある。
男女問わずに。
同意の取り方の規範があってとしても性暴力での同意は解決しないし、司法にも制度にもそんなものがあっても意味はない。
解決するのは冤罪のみ。
そして被害者への不利益しかないのが性的同意にマニュアルを作るという行為だとわたしには思える。
そして、もし、ここに女性が賛同したら、男性はその先の性暴力被害に関してはだんまりかもしれない。
性暴力の冤罪被害は問題であるのは確かなのだけれども、どうにも賛同できない。
アプリ「キロク」が男性には良い!と言われて性被害者たちや女性たちに「無能」「害悪」と言われたことと同じだ。
「正答はどこにある?」
今のわたしには、不同意だったことに客観的な証拠とする事柄を見せる方法はない。
それはたとえば、「わたし自身の性加害行為」について。
被害届をこれから出すとか、証明して賠償がどうとか、そんなものは不可能なのが前提にある。
加害者が不明だから。そこに繋がる証拠すら、わたしの内面に刻まれているだけであるから。
わたしの中になら加害の事実にまつわるいろいろがたくさんある。
ある部分は詳細に、ある部分はぼんやりと。
わたしの中に在る記憶を、いま、どうやったら、他人に事実だと証明できる?
「わたしへの加害事実はあった」
「ただ、証拠は主観しかない」
「魂は殺された」
「殺されたのは魂だから(見えないから)証明できない」
「でも明らかに被害の影響でわたしは破綻している」
「どうしてわたしは独り舞台で観客すらいないで必死に演じて」
「助からない」
それでもこのわたしの被害すらを司法に認めさせることが可能である状態についてを考えたい。
それができないなら、もしかしたら、性暴力の加害者は逃げ放題かもしれないから。
許せないよ。のうのうと生きている、あなたが。
全国のわたしと同じような被害者たちの加害者たちが。
こんな現実にしておいて無罪放免と逃げ切れる犯罪が在るなんて、許していいはずがない。
そんな怒りと虚しさと共に年明けをしたのです。
まだまだ考えないと。
同意の取り方だけじゃダメなんだ。
被害者の正義を果たすためには。
主観しかない証言が事実だとする方法なんてないんだと思う。
けどそれが不可能だって状態だと、救えない性被害者は絶対にいるから。
呼んでくれたひと、もしいるのなら、性暴力の不同意を証明する方法を一緒に考えてください。
思い浮かんだらそれについて話しませんか。
わたしひとりでどうにかなる問題じゃない。
わたしには圧倒的に機動力が足りない。
電車にも乗れない。生活自体が破綻している。
トラウマ治療のちゃんとした治療先を探しているなんていう、被害から早15年以上。
たくさんの人に助けてほしい。
わたしの力があまりに微力だから。
わたしを助けるんじゃなくてもいい。
全国で苦しんでいる性被害者たちのために。
どうか、どうかお願いします。
こんなにも卑劣な犯罪に遭っても「殺されたのは魂」だから、証明ができない人がたくさんいる。
男性にも女性にも。子供にも大人にも。若くても老いても。
加害事実はあるのに、魂だけが殺されたら証明が不可能なんです。
それこそ、配慮してもらって、嘘がないという性善説を適応してもらって、捜査してもらって、無理でしたー、が現実にたくさんある。
被害届を出せば一番だけど(覚悟が必要な二次加害を受けるかもでも)、できない事情もあったりする。止むを得ないことで。
人生をこれに費やして悔いもないかもしれないと思った。
もしかしたらこの先にもっと重大で手強い障壁は表れて、そのために人生を費やすことに悔いもないと言い直すかもしれない。
わたしの人生は壊れた。壊された。
壊されたことに意味なんかあってたまるか。
そう思うと共に、意味なく壊されるなんて……。絶望する。
わたしの尊厳の蹂躙は尽くされた。
その過去は変わらない。
この先の人生が急展開に明るいものになることも、現状の症状からあり得ない。
それでもできることをしたい。
しないなら生きることに意味がないと、今のわたしは思い詰めてしまうから、生きる意味を意義を必死に探し続ける。
性被害に遭ったことに意味があったなんて嫌だ。
意味があったからって遭いたくなかった。
それでも意味もなく被害に遭っていたなんてどうにも耐えられない。
どう折り合いをつけたらいいの。
でも、抱負なんだ。
目の前に目標を。わたしの人生に意味があると思い続けること。
そうしないとやりきれない。
諦めたくないの。死んでやるなんて勿体なくて。
ここまで生き延びたわたしの努力が無かったことになる。
わたしを生かしてくれたやさしさもあたたかさも、大切なひとへの想いも無意味にしてしまうことには、わたしが耐えられない。
人生の抱負なんだ。
魂の殺人を証明する術を探したい。まったくもって無謀な目標だ。
夢物語?絵空事?
すべての性被害者に救いと正義をなんて奇麗事?
でも、わたしは諦めるのが下手だから、見つからなくても無い証明をすることは一生できない。
だから一生かかっても探し続ける。
性被害当事者のわたしは、性被害で人生が詰みにある年が明けたばかりの今日、初日の出を待ちながら。
すべての性暴力被害者に救いがあり、正義が果たされる方法が絶対にない証明ができたと思い込まないようにすることを、人生の課題として、わたしが寿命まで生き抜いてやるために定めるのだ。
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