まわりまわるよ。僕の思考。
Facebookに過去の記事がリマインドされるという機能があるのはご存知だろうか?
自分が過去にどんなことを思っていたのかを確認するのに、とても良い機能で重宝している。過去と比較して、現在のポジションがよくわかる。
先日、4年前に投稿していた記事がリマインドされた。
なんか、意外と良いこと言ってるし、本質的だなとも思うわけです(自分で言うのもあれですが・・・)。
リハビリテーションの主体はあくまで“その人自身”です。その人の考えを尊重しつつ実現させていくアプローチとなります。
これは本当に忘れてはいけないことで、
なんのためのリハビリテーションなのか?
ということです。
理学療法士は当然のことながら理学療法(身体機能の改善や動作の改善)が得意な職種です。しかしながら、リハビリテーション(その人らしさ)のためにごく一部分にしか過ぎないということを、自虐的に理解しておかないとなりません。そうしないと、どこかで、理学療法にこだわる職人気質が出てしまいます。
和風な家を建てたいと思っているのに、洋風な家が建てられたら、怒るでしょう?そんなイメージです。
常に答えは“その人”にあります。
脚のマッサージや運動よりも、少しの声かけや、仕事を提供するほうがリハビリテーションになることもあります。
事実、今の僕はお腹がすいています。
きっと運動よりも美味しいご飯を食べることのほうがより、リハビリテーションとなりうると思います。
しかしながら、全て、その人の思いを聞いていれば良いというわけではないということが、さらに難しいところです。
僕が前提条件として、重度の糖尿病だとしたらどうするでしょうか。
医学的にはご飯を食べ過ぎたり、糖質をとり過ぎたりすることは悪いこととされています。もしかすると合併症を引き起こすかもしれません。
ここがリハビリテーションの難しさでありジレンマです。
「医学的正しさと vs その人らしさ」
相反することがあります。
個人的には、リスクを覚悟して、死ぬ覚悟でやるなら、良い気もするのですが・・・
難しい現実もよくわかっています。
まあ、この話はこのくらいにしておこう。
何が言いたかったかというと、4年前の自分と今の自分が同じような考えをしているということです。
しかし、同じ言葉を使っていたとしても、4年間の経験や知見が備わっている(はず)なのでほんの少しは重みが違うんじゃないかなと思います。
社会の流れも人の思考もグルグルとまわりながら成長していくのだろうと感じています。
そんな、橋本の雑記でした。
それでは、またね。
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