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ティピカの香りに癒されて (2)

年が明けて、1月。

ラオスでは、4月中旬にある仏歴での新年「ピーマイ」がラオス人にとっての「正月」なので、1月1日は「ピーマイ・サコン」と呼ぶ。「サコン」とはラオス語で「国際的な」という意味で、この呼び方からしても「自分たちとは直接関係のないもの」という距離感が感じられる。

職場や学校も基本的には「1月1日」だけが公休だけど、国際機関や外資の企業などは年末年始を休みにするので、そこで働いているラオス人は仕事が休みになる。

そして、関係ないとはいえ、ラオス人が楽しいことやお酒が飲めるチャンスに乗っからない訳はなく、12月に入ると街のあちこちにクリスマスの飾りつけが現れるし、ショッピングセンターやスーパーマーケットに行けばクリスマスソングが流れている。

クリスマスが終わっても、飾りつけなどはそのままで、年末年始に突入。

なんとなくホリデーシーズンな雰囲気の中、12月30日や31日ともなれば、自宅で友達や親戚が集まってカウントダウンと称しての飲み会をしたり、大晦日のパクセーでは、ホテルやクラブなどでカウントダウンパーティがあったりする。

年が明ける時間帯には、街のあちこちで爆竹が鳴らされ、花火も上がる。

日本人にとっては、元旦に続いて正月三が日がお祝いムードのメインだけど、ラオスの場合、盛り上がりのピークはカウントダウンで、年が明けてしまえば、すっかり静かになって、日常に戻る。

パクセーも然りで、ショッピングモールなどは家族連れで賑わっているが、街中のお店は通常営業。

私の家の周辺も、大晦日には何軒もパーティをしていて、音楽があちこちから聞こえていたけど、年末に飲み過ぎた人たちはみんな家でぐったりしているらしく、静まり返っている。

夫のルーは、29日辺りから連日、友達の家での飲み会に行っていた。

結婚した当初は、私を家に置いて自分だけ飲み会に行くのは気が引けたのか、一応私も誘ってくれていて、私も何度か行ったことがあったんだけれど、お酒が飲めない私は正直そんなに楽しくないし、周りもそんな私に気を遣うし、ということで、結局、私は行かなくなり、夫も誘わなくなった。

私的には、家でのんびりYouTubeでも見ている方が、疲れないし、楽しいから、これで良いと思っている。

ということで、私は大晦日はネットで日本のテレビ番組を見たりしながら、年越しの瞬間は家の周りで何度も鳴らされる爆竹の音を聞き、その音に驚いて怖がっている我が家のネコ2匹と一緒に過ごした。

1月1日は、近所に住んでいる日本人の駐在員のお宅にお邪魔して、他の在住日本人も何人か来て、みんなで一緒に夕食を食べた。

ここ数年、私の年末年始は、どこかに旅行に行かない限りは、こんな感じだ。

例年通りのお正月が過ぎて、ショッピングモールには相変わらずジングルベルが流れてる1月中旬。

ケイさんがパクソンに着いたと連絡があった。

ルーは年が明けてから何度かパクソンに行っていたが、私は今年初めてのパクソンへ行くことにした。

ケイさんは、日本のコーヒー商社のスタッフだが、タイ在住で東南アジアのコーヒー豆の買い付けをしている。

1年を通して、ラオスやベトナム、インドネシアなどの国々や日本への出張が多いが、それ以外の時期はタイ人の奥さんの実家があるバンコクの郊外に住んでいる。

ケイさん曰く、東南アジアの出張先の中でパクソンが一番のお気に入りで、とても落ち着くのだそうだ。

パクソンでは、基本的にチャイが代表を務める協同組合から毎年コーヒー豆を買い付けているので、滞在中はチャイのカフェをベースに活動している。

3年前、ちょうどケイさんがパクソンにいる時に私がチャイのカフェに行ったことがあって、その時にチャイがケイさんを紹介してくれた。

年齢も近く、配偶者がそれぞれタイ人とラオス人で、さらにその配偶者の国に住んでいるという共通点もあって、色々話をするようになった。

話をしているうちに、お互い、なんとなく価値観が似ているなあということがあって、私にとっては、数少ない、価値観を共有できる、いい友人だと思っている。



「ケイさん、あけましておめでとうございます」

「マリーさん、あけましておめでとうございます」

「年末年始は、どうされてました? 今年は日本には帰国しないって言ってましたよね」

「うん、今年はずっとタイにいたよ。奥さんも、この寒い時期に日本に行くのは嫌みたいだしね」

「分かりますー。ラオス人の女性と結婚してパクセーに住んでる日本人のお友達も、一度、冬に家族を日本に連れて行ったら、二度と行きたくないって言われた、って言ってました。ルーも、初めて日本に行ったのが4月だったんですけど、それでも寒いって言ってましたからね」

「マリーさんは?」

「私も、今年はずっとパクセー。在住日本人のお友達とご飯食べたくらい」

「もうすぐ旧正月もあるし、なんだかんだで、すぐソンクランだしね」

「ほんとに。あっと言う間ですよね。ところで、チャイからインターンのこと、聞きました?」

「うん、聞いた。マリーさんが来たら、話そうって言ってたのよ」

ちょうど、どこかから帰って来て、外でルーと話をしていたチャイがカフェに入ってきた。

「マリー、サバイディーピーマイ」

「サバイディピーマイ。ちょうど今、ケイさんとインターンの話してたのよ」

「とりあえず、コーヒー淹れるね。ティピカでいい?」

「うん、ありがとう」

「ケイももう1杯飲むでしょ?」

「もちろん。今年のコーヒー豆もいい出来だね。本当に美味しい」

「ありがとう。今年も無事に収穫が終わって、ホッとしてるよ」

話をしながらも、チャイはいつも通りの順序でコーヒーを淹れてくれる。

ルーは、チャイと一緒に戻って来たトゥーンとカフェの前庭で何やら楽しそうに話をしている。

クリスマス前にできたというトゥーンの新しい彼女の話でもしているのだろう。

「チャイ、インターンは今月下旬に来るって言ってたよね」

「そう、再来週の予定」

「今回は男性らしい。松野先生のゼミの大学院生」

「松野先生って、前にフィールド調査に来てた?」

「そうそう」

「ケイさんは松野先生に会ったことあるんでしたっけ?」

「一度だけ、チラッと。マリーさんは?」

「私は共通の知り合いが多くて、SNSでは繋がってるんですけど、まだ実際には会ったことはないんですよね」

「松野先生のゼミ生ってことは、コーヒーの協同組合でインターンするの?」

「そうなるね。それで、去年のこともあるから、今年はマリーに少しケアをお願いしたんだ」

「そっか。それがいいかもね」

チャイの協同組合は、昨年の同じ時期にも、インターンを受け入れていた。

昨年は、大学の学部生の女の子だった。

同じく、松野先生のゼミ生で、松野先生から頼まれて、初めてインターンを受け入れたのだ。

松野先生は、日本の大学の准教授で、途上国などの開発系の研究をしていて、以前、パクソンのコーヒー農家を対象にフィールド調査をしたことがあるらしく、その時にチャイが手伝ったこともあって、それ以来、定期的にパクソンを訪れている。

私は実際には会ったことはないのだけれど、私も以前は大学院で開発経済を専攻していたこともあって、一度会ってみたいと思っていた。

昨年来たインターンの女の子は、私は挨拶をして少し話をした程度で、あまり深く関わっていなかったのだけれど、印象としては、明るく溌剌としていて、途上国で活動する学生団体にいるような、いわゆる「意識高い系」の前向きな女の子という感じに見えた。

実際、自分から積極的にラオス人の輪に入っていけているようだったし、特段気に留めていなかった。

ただ、その彼女が帰国する直前くらいに、たまたまチャイのカフェで顔を合わせた時、パクソンに来た当初の溌剌とした感じが少し消えているように感じたのが気にはなっていた。

彼女が帰国した後、チャイのカフェに行った時に、当時パクソンに来ていたケイさんもいて、その話をしたら、やはり、彼女の滞在期間の後半は、様子がおかしかったという話を聞いた。

チャイもケイさんも具体的な理由は分からないのだけど、後からトゥーンや協同組合の若いメンバーに話を聞いてみた結果、話を総合すると、どうやら、色々面倒を見てくれていた協同組合の同年代のラオス人の男の子がいたらしく、彼女としてはその親切を異性からの好意と受け取ってしまっていたのではないかと。

でも、その男の子には他にも仲の良いラオス人の女の子がいることが分かり、彼女としては不信感が募り、ラオス人全体への嫌悪感にもつながったのではないかという。

率直に言うと、この手の話は、ラオスではよくある話で、いわゆる「あるある」なのだ。

日本人男性しか見てこなかった日本人女性にとって、ラオス人男性は非常に優しい。

日本人男性が優しくない、と言っているのではなく、言うなれば、ラオス人男性は「優しさ」を表現するのが上手い。

女性をケアするのが上手いし、ちゃんと言葉にして言ってくれる。

例えば、「キレイ」とか「かわいい」とかは当たり前で、服のこと、髪型のこと、とにかく褒めてくれるし、ポジティブなことを言ってくれる。

日常的な行動も、レディファーストは当たり前だし、食事の席に着けば、自分よりも先に女性にサーブしてくれる。

しかも、特別好意を抱いている相手はもちろん、そうでない女性に対しても、普通に、なんなら礼儀だという感じで、自然とやってのける。

もちろん、ラオス人男性全員がそうだという訳ではないのだけれど、ラオス人にとっての外国人である日本人に対して、自分から臆することなく接してくれようとする時点で、その人は社交的で積極的な性格の人だろうから、こういうタイプに当てはまることが多い。

なので、もともとレディファーストが当たり前だったり、男性が女性を褒めることが普通の国から来た女性だったら、ラオス人男性のこういう行動にも動じないのかもしれないけど、やはり、レディーファストで扱われることや、男性から口に出して褒められたりすることに慣れていない日本人女性が、ラオス人男性の通常の行為を特別な好意と勘違いしてしまうのは致し方ないことなのだ。

これは誰が悪いという話ではなくて、文化と言うか、慣習というか、国民性というか。そういう話なので、前以て知っていれば、なんてことないことなんだけれど、知らないと思わぬところで誤解やすれ違いを生んでしまう。

日本に住んでいる日本人が当たり前だと思っていることが、外国から見ると全く当たり前ではないということが多々あるのと同じで、ラオスに住んでいるラオス人にとっては当たり前のことが、まさか外国人には当たり前じゃないのか、ということは当然色々あって、長く滞在すれば徐々に分かっていくこともあるけど、短期間だとなかなか難しい。

だから、自分が関われる範囲内で、もし日本人とラオス人の間に無用な誤解や行き違いが生じていたら、それは解消したいと常々思っている。

もちろんラオスには色々な外国人が住んでいて、中には、別にラオスに来たいとか住みたいと自発的に思った訳ではないけど仕事の関係でしょうがなく、というケースもあるし、最初からラオスのことなんて我関せずで、自分のやり方を通すのみ、という人もいるので、全員にラオスを理解して欲しいなんて思っている訳ではないし、私自身、ラオスを理解できているのかと言われれば、そんなこともないのだけれど。

少なくとも、ラオスに興味があって、ラオスやラオス人のことが知りたくて来た人が、不必要にラオス人を誤解したり、ラオスのことで傷ついたり、ラオス人を傷つけてしまったりするのは、やっぱり忍びないので、私が少し関わることで、そういうことを避けられるのなら、望むところだと思っている。

前回、そういうことがあって、そのあとチャイやケイさんとも話をして、少し気を付けてあげていればよかったなあ、と思っていた。

チャイも、初めてインターンを受け入れたものの、そこまでケアできなかったことを後悔していたようで、今回は私にケアを頼んできたのだ。

チャイが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、私たち3人は、前回の話をしていた。

「前回、なんとなく後味が悪かったし、今回、インターンを頼まれたとき、引き受けようか少し迷ったんだけど、松野先生の頼みだしね」

「パクソンに日本人の学生のインターンが来るっていうだけでも珍しいことだし、きっと学生にとってはいい経験になると思うよ」

「そうそう。私も学生の時に初めてラオスに来た時のこととか思い出したけど、20年以上経った今でもすごく色々覚えてる。楽しかったこと、悲しかったこと、驚いたこと、不思議に思ったこと。いいことも悪いことも」

「僕も、初めてパクソンに来た時のことは、よく覚えているよ。タイにはもう慣れていたし、インドネシアとかベトナムとかにも行っていたけど、パクソンに来た時、初めてのはずなのに、なぜだか、少し懐かしい感じがしたんだ」

「あー、なんとなく分かる気がする」

「ラオスに来た日本人は、よくそういう言い方するね」

「もう今となっては新鮮味はなくなってきたけど、それでも、やっぱり他の出張先よりも、パクソンにいるのが一番落ち着くんだよね」

私とチャイは目を合わせて、ほほ笑む。

ケイさんがこういうことを言うと、毎回チャイはうれしそうで、少し誇らしげな顔をする。

そして、それを見た私もうれしい気分になる。

「私としては、チャイがインターンを受けれてくれるのは日本人の学生にとっていいことだと思うから、私にできることなら協力するよ」

「僕も、パクソンにいる間は気にかけておくから」

「2人とも、ありがとう」


(つづく)


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