木兎乍

きうさぎながらと読みます。良い職場づくりのためのコンサルテーションと教育を考えています…

木兎乍

きうさぎながらと読みます。良い職場づくりのためのコンサルテーションと教育を考えています。noteでは脱力して読めるものが読みたいな、と。それでいて、さりげなく垣間見る視点に多少の深みが感じられ、ホッとするものが読みたいな、と渇望しています。

最近の記事

ケア。だれかと手を繋ぐようなもの。

1月9日 ケアについて考えていた。 手を伸ばしても届かない、つながれない、繋ぎ返してくれない。それは差違が大きければ大きいほど。相手がふさぎこんでいればいるほど。支援をしたくても受け取ってもらえない。だからケアにはプロセスが必要。 そのプロセスには心を使う。つまり、支援者自身が「人とのつながれなさ」を経験することになる。喪失感、無力感、悲しさや寂しさを味わう。自分のマイナスな感情を払拭するために、相手を責める気持ちになったりすることも起こる。それによって関係性が混乱した

    • 生きてるだけで合格、発出事態宣言。

      1月16日 ちょっと、、 生きてるだけで合格 を発出しないといけないこの頃の心理面。 それでいいっていう考え方やそうあるべきっていう考え方もあるけれど、被災地で大変な思いしてる公務員、まちのためにやってる人たち、助けてっていう状況のひともいるのだろうな、とか。でも、私に対して助けてとは思っていないだろうな。ただただ飲み込まれているのだろうな。私にできることを冷静に考えても、大丈夫。ちゃんと、やるべきことをやる。

      • うつ予防。うつうつ、からの回復。生きる希望を買う。

        1月14日 16時59分。まだ起きたばかり。シチューの残りを食べて、着替えて、そこまでしかできていない。 今日はパン屋に行くことを目標にしている。もっと必要なタスクがあるけれど、とてもしんどいので、やらない。たとえば、罹災証明のこと調べたり、寝袋を手に入れたりしないと。でも、とてもしんどいので、できない。顔を洗って日焼け止めを塗るのがしんどくて行き詰まっている。じきに日が落ちるけれど。 発災直後は純粋に、ただただ珠洲の地に立ちたかった。今は、現地入りしていない自分を、ど

        • 自分が間違っているんじゃないかと常に怖い。災害急性期の混乱のなか。

          1月6日。 今日もいろんなことがあった。経験していることを書き尽くせない。 なんだかもう、日付がだんだん分からなくなる。 「自分が間違っているんじゃないか」って常に怖い。情報の取り扱い、人への言葉、話題、自分の意見、誰かへの配慮の仕方。そして気がつかないでいること。あらゆる行動選択。 実際、間違っているということがある。ほとんど間違っているようなものだ、きっと。 たとえ間違えてでも、自分のために、言葉にしたり、行動したり、あるいは何もしなかったり、とにかく選択をしな

        ケア。だれかと手を繋ぐようなもの。

          心の作業前進。現地とのつながりに支えられた1月3日。

          1月3日 避難を継続中の仲間や私のように被災地から離れた場所に滞在している仲間とでオンラインにて顔を合わせる機会を持てた。現地メンバーは穏やかさを保って避難を継続しているようだった。現地から離れた場所にいるメンバーの方が心を乱していた。 現地とのしっかりとしたつながりは、私の心の作業を大きく前進させた。いま滞在している土地の方々とも、地震のことを明るく平気な感じで話せるようになり、変にそわそわしたりせず、また、変にしんみりしたりせず、話をやり過ごせるようになった。

          心の作業前進。現地とのつながりに支えられた1月3日。

          喪失の実感を求めて。無関係でいないための心の作業。1月1日。

          自分がこの地震の関係者であることに実感をもてるかどうか、もがいていた。あいまいな予期による高ぶりだけが自分のなかの確かなものだった。嘆く対象がまだ見つからない。恐怖とも隔たりがあった。ただ想像力によってのみ、大切な何かとの別れについて取り乱していた。 私は住まいのある珠洲を離れ、年末年始を関西で過ごしていた。 避難中の友人から、テレビやラジオにアクセスできない状況だとグループLINEに連絡が入った。テレビで見ているわずかな情報を伝えた。相手の充電はなくなりそうだと言う。

          喪失の実感を求めて。無関係でいないための心の作業。1月1日。

          重要語句を覚えることから人間関係が始まる。被災地支援。

          1月2日 あぁ、白丸のヘリ中継だ。地理に関してスタジオから質問が入る。「白丸は、能登町の中心地よりも穴水よりでしょうか、珠洲よりでしょうか」「はい、えー・・・」ヘリのリポーターが回答につまる。「珠洲よりだよ」と一人テレビの前でつぶやく。遅れてリポーターが答える「半島の先端に行く側、東側ですね」「そうですか、半島の先端側、つまり珠洲よりということですね」。 白丸 穴水 珠洲 半島の先端 スタジオのアナウンサーが、普段私たちの使いこなすこれらの言葉を、全国区のアナウンサーが

          重要語句を覚えることから人間関係が始まる。被災地支援。

          喪失と沈黙。能登半島地震を遠隔地で被災した心の作業。

          状況も感情も刻々と変わる。こくこくこくこく 1月1日のこと 友人に電話をかけた。私が被災地である珠洲に住んでいることを知ってくれている友人。しかし、あらゆる方面への考えや思いが捉えどころもなく私を取り巻いていて、言葉にならない。その沈黙のなかにある私という存在の広大さがなかなか伝わらない。あまりに広大すぎて、どこを切り取って言葉にすればよいのかわからない。だから何も伝えられないし、電話やLINEだからなおさら、相手にとってはただの沈黙でしかないようだった。たしかに支えが必

          喪失と沈黙。能登半島地震を遠隔地で被災した心の作業。

          友達ができて嬉しい。見る夢をコントロールできるエンドウさん

          エンドウさんを見送った。天橋立駅 8時46分。電車の発つ15分ほど前に着き、小さな駅舎のなかで少しお話をした。どういう時間を共有するべきなのか、まだ掴みきれないまま手探りで。わたしは少し見当ちがいの話をしていたようにも思う。それでも、その見当ちがいも包み込んでくれるエンドウさん。静かに、なにかの力を発生させている。 「人に興味がある」「人がどういう生い立ちでそうなったのか知りたい」「木兎さんに興味がある」そう言ってくれるエンドウさん。まだ出会って5日目のわたしたち。季節労働

          友達ができて嬉しい。見る夢をコントロールできるエンドウさん