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喪失の実感を求めて。無関係でいないための心の作業。1月1日。

自分がこの地震の関係者であることに実感をもてるかどうか、もがいていた。あいまいな予期による高ぶりだけが自分のなかの確かなものだった。嘆く対象がまだ見つからない。恐怖とも隔たりがあった。ただ想像力によってのみ、大切な何かとの別れについて取り乱していた。

私は住まいのある珠洲を離れ、年末年始を関西で過ごしていた。

避難中の友人から、テレビやラジオにアクセスできない状況だとグループLINEに連絡が入った。テレビで見ているわずかな情報を伝えた。相手の充電はなくなりそうだと言う。

「津波の情報がよくわからないから教えてくれるとすごい助かります、ありがとう」

「5m予報になってて、到達するかも、到達中みたいな感じ。何回も津波きてるみたいなので、取り敢えず近づかないようにしてね!!!」

「とにかく逃げてください」「と言ってる」「到達してる映像もある輪島や富山」「何度もくる、あとからの方が、高くなる」「津波」

現地で被災している友人らとの、このようなやりとり、そのひとつひとつが、徐々に私を関係者へと仕立ててくれた。

個人の命にばかり注目していたこの時期、私たち住民が二次避難先へと散り散りになってしまうなんて、まだ知らなかった。

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