見出し画像

"便利"の正体

コンビニねぇ スーパーねぇ
車もそれほど走ってねぇ
交番ねぇ 信号ねぇ
たまにパトカーぐーるぐる

市街地に行きたけりゃ
車で片道30分
クーラーねぇ 電車もねぇ
里山バスだけ走ってる

そう、これが私の住んでいる飯地町。
何を隠そう、岐阜県恵那市飯地町は正真正銘のド田舎である。
(とはいえ、郵便局、診療所、小さな商店はあります。)

1年前、コンビニは徒歩一分、駅まで徒歩5分の都会に住んでいた私からすると、飯地町での生活は明らかに不便だ。

だが、不思議なことに、"不便"な生活になってからQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が爆上がりしたのだ。
都会から飯地町に移住してきた人は口を揃えて言う、不便なド田舎に来てから「人間らしい生活になった」と。

「不便」だが「人間らしい」生活とは、いったいどういうことだろうか?

1年前、名古屋に住んでいたときも楽しかった。

カラオケにもショッピングにも沢山行けた。
車を持っていなくても、電車やバスで行きたいところに行けたし、
欲しいものがあれば、すぐ歩いて買い物ができた。

でも、心は満たされなかった。
あれだけ娯楽があふれていたというのに。

一方、娯楽のない買い物にも不便な飯地町に来てからというもの、毎日が楽しい。
「私は毎日幸せ!」って、疑いなく言える。

最初は、名古屋にいたときと飯地町に来てからの、この心の変化の理由が分からなかった。
しかし、私はとうとう気づいてしまったのだ。
"便利"の正体に。

例えば、どこかへ出かけるとき。

都会なら、電車やバスといった、公共交通機関を使うことがほとんど。それ以外ならタクシーがある。

しかし、ド田舎に電車はないし、バスも大して走っていない。
車を自分で運転しなくてはいけない。

では、おなかが減ったときはどうするか。

都会は、どこにでもコンビニやスーパー、カフェがあるので、そこに駆け込めばいい。
料理が面倒くさければ、すでに完成された商品を買うか、お店へ食べに行くか、Uber Eatsで頼めば良い。

しかし、飯地町からは、最寄りのコンビニでさえ車で片道20分はかかる。
基本的には自炊をしなくちゃいけない。
カフェやレストランがないから、お客さんが来たときは、手料理をお出しすることになる。
また、飯地町には自分で野菜を作っている人も多い。

さて、"便利"とは、どういう状態か。

電車、バス、タクシーがすぐに使える状態。
いつでも、コンビニ、スーパー、カフェ、レストランが利用できる状態。

でも、これらを動かしているのは誰?
電車、バス、タクシーを動かしているのは誰?
食材を提供してくるのは誰?
すでにできあがった料理を作ってくれるのは誰?

少なくとも私じゃない。

そう、"便利"とは、"自分がやる代わりに、誰かがやってくれている状態"

そして、その「誰か」とは、
どこの誰とも分からない、顔すら見たことのない人達なのである。


逆に、"不便"だとどうなるか。

移動したければ、"自分で"車を運転する。
飯が食いたけりゃ、"自分で"作る。
人によっては、食材を"自分で"育てたりする。

"不便"だと、"何でも自分でやらなくてはいけない"のだ。

最初は「めんどくせえ」と思っていた。

都会では、電車やバスが使えたけれど、飯地町では車が運転できないといけない。

在学中に運転免許は取得していたが、それ以降車のハンドルを握っていなかったから、師匠に運転を教えて貰わなくちゃいけなかった。

名古屋に済んでいたとき、家から出たくない、料理をする気も無い場合は、Uber Eeatsで食べ物を注文して、悠々と自宅で到着を待てばよかったのに、
飯地町にUber Eeatsはこない。

しぶしぶ、料理をやるようになった。

"自分でやらなくてはいけない"のは、正直面倒くさい。

でも、おかけでいろんなスキルはついた。
できることが増えたら、生活が楽しくなった。

そうか、"自分でやらなくてはいけない"を前向きに言い換えれば、

"自分でコントロールができる"ということなんだ。

庭にジャガイモを植える師匠

"便利"な都会では、沢山のことを誰かががやってくれる。

駅にいけば勝手に電車が来てくれて、カフェで注文すれば料理が出てくる。

でも、それらのことは大体、自分のコントロール下にないのだ。

以前、電車で帰宅している途中、事故のおかげで電車が何時間も止ってしまったことがある。電車よ、早く動いてくれ!と言ったって、動いてくれない。

最近ファミレスでは、機械で注文して、機械が料理をもってきてくれるようになった。
しかし、料理を全て受け取りきっていないのに、機械に「戻ります」なんて言われて、食い物をもってかれそうになったことがある。

車が運転できるようになってからは、
自分のタイミングと自分のペースで、行きたいところへ行けるようになってきた。

料理を覚えてきたら、
自分で自分の好きな味の食べ物を作れるようになってきた。

庭で採れた柿

飯地町では娯楽施設はないが、
ないなら「自分で作ればいい」。

飯地町の人達は、自分で楽しみを作るのが上手だ。

ご近所に住む老夫婦は、年中、野菜作りやお花の栽培を楽しみ、夏にクロスズメバチの巣を見つけ、秋までに「へぼ」を育て、冬には手まりを作っている。

お庭作りに凝ってる人もいて、わざわざ何十キロ先から山の水を引いて、竹で獅子落としを作り、立派な池を完成させていた。

"不便"な暮らしは、自分でクリエイトできる余地が沢山あるのだ。

ご近所さんが見せてくれたクロスズメバチの巣。「へぼ」が沢山いる。

とはいえ、自分でやりきれないことがあったら、人に頼んだっていい。
便利なツールやサービスを使ったっていい。

ただ、自分で運転できる、自分で料理できる、自分で食べ物を作れるという状態にしておけば、
いざというときに困らない。


そして、できることが増えれば、自信がついてきて、いろんなことに興味が広がる。

"不便"な暮らしは、私に多くの楽しみを教えてくれた。やりたいことが増えた。

そして、これからが、もっともっと楽しみだ。


私の師匠が厳選して選んだクリエイティブな代物が集まるオンラインストアはこちら。

私第3村の海老は「サバイバルと創造」を追求するKAMOSHIKA MURAの副村長も務めています。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?