見出し画像

スペインで遅い夏休み

飛行機に初めて搭乗したのは、19歳の時だったと思う。福岡へ、LCCのスカイマークに乗った。
一人で手配し、ガラケー時代で知識も何もなかった私は、なんとなく4、50分前くらいに空港にいって、預けなくてもいいサイズのリュックを預けた。本当に全くの偶然で、同じ専攻の熊本出身の同級生が同便に乗るために並んでいて、一緒に福岡でラーメンを食べた後、2、3日くらい後に熊本のご実家に泊めてもらった。春休みに、九州を一周する旅に出たのだった。

初めて海外へ行ったのは、21歳の頃だっただろうか。HIS社で当時人気だった、行き先不明の格安ミステリーツアーで、韓国に2泊3日で行った。インカレスポーツチームの他大学の仲間を誘って。大韓航空だった。その翌年、就職直後に早速また韓国へ大韓航空で出張するとは夢にも思っていなかった。

僕は旅が好きで、休みを見つけてはなるべく出かけるようにしている。知らない土地で、景観や文化を楽しみながら、人々と触れ合う。さも、旅の一般的な醍醐味のようだが、トレンドの店に行ったり名物料理を食べるよりも、裏路地やローカル線、地元のスーパーに行くのが好きだった。ゲストハウスのドミやリビングで知り合った旅人とその日限りの探検に出かけるのも好きだった。

実は国内47都道府県はもう何周かしているのだが、ご覧の通り裕福でない割に欲張りな性分なため、旅費の高い方面へはなかなか訪れる機会がなかった。また、僕は20代の大半を地方勤務で過ごし、度々東京へ赴いていたこともあって、海外への足は遠のいていた。

ここ数年はアジア諸国をいくつか訪問していたが、コロナを機に「ごちゃごちゃ言い訳ず、行けるうちに行きたい場所へ行こう」という気持ちが強くなった。と言っても、特定の地域へのこだわりは無く、漠然と「世界中全てをまわりたい」と考えている僕は、結果的には、取れた休みの日数・時期と航空券代のバランスといった打算的な旅ばかりしていた。

基本方針自体は変わらないのだが、いよいよ僕も2024年の9月、初めてのヨーロッパへ行くことができた。円安ながら、韓国のアシアナ航空で直前の割には比較的安価で往復できた。前後23時間ほどのソウル滞在(トランジット)で、双方とも夕方着/午後出発のゆるめな日程だった。最終目的地はスペイン・バルセロナ。東京との往復は、羽田
↔︎金浦だったのもかなり心身が楽だった。

金浦空港のラウンジ

長々と書いているには理由がある。僕は、したい旅が基本的に、観光旅行はほどほどに、景色を見て、文化を感じて、そこで暮らす・働く人々を眺めたり、旅人と交流するのが好きだった。ビーチリゾートの魅力を知らないまま大人になった、だからかどうかはわからないが、沖縄へ初めて行ったのは47番目となった。しかし、多少大人になってからは、リゾートの魅力と、大人がリゾートを楽しんでいることを知った。必ずしもファミリーや若者のための消費地ではない、ということだ。

__________

出発2週間前にバタバタと手配し始めた、初めてのヨーロッパ旅。僕は、手配時点から少し緊張感を持っていた。同行するパートナーの希望を全て叶えつつも、自分の願望も実現したいと考えていたから、多少無理の出る旅程を、貧乏性なのに欲張りな僕なりの手配を進めていたからだ。
韓国の宿泊と乗り継ぎはなんのことは無い。問題は、スペイン現地についてからだ。初めてのヨーロッパのくせに、英語圏でもないスペインで国内線のLCCや複数の高速鉄道など、僕にとってはかなり冒険的な旅程を組んで、手配した。しかも、omioというヨーロッパの交通予約に最適化されて日本語で使えるアプリは手数料がかかるので使わずに、各機関で直手配をした。価格比較をした結果、小型の宿直接予約(キャンセル不可)も行った。一人旅ならどうとでもするが、パートナーを伴って、となると話は変わる。様々な心配事を抱えながら、財布のヒモをなるべくしめつつ......正直、出発前までは「ココで◯◯を食べよう」とか「◯◯に行きたい」みたいな願望は薄く、むしろ「この旅程をスムーズにするにはココまでに◯◯をチェックしておこう」と言った、無事旅程を消化し、大きなトラブル無く帰国したいということを考えていた。

サンセバスチャンの駅。表からは立派だが、長い改修工事中でサイドから陸橋を渡って潜るため、わかりにくい

しかし、結果的には杞憂で終わった。むしろかなり充実した旅になった。バルセロナの旧市街地ど真ん中で、客室にバス・トイレ付きの宿に泊まり、サクラダファミリアをはじめとする観光地から、地元住民しかいないようなショッピングモールへも訪れた。

サクラダファミリア

LCCでサン・セバスチャンを訪れグルメやビーチリゾートや世界中の旅人と交流を楽しんだ。スペイン国鉄の高速鉄道で6時間以上の長距離を寝たり食べたり飲んだりしながら楽しんだ。バルセロナからさらに足を伸ばして、ダリ劇場美術館へも訪れた。余裕が出てきた後半では、バルセロナのメトロで高齢者の方へ座席を譲ったり、ベビーカーを運ぶ手伝いまでしていた。

車窓からのなんでも無い景色が絵になる
車窓から見る朝焼けがゼルダの伝説みたい

自慢したくなる楽しい旅だった。現にこうしてタラタラと書いているわけだが、決定付けたのは、手配でも旅程の消化具合でもなく、人だったと強く感じている。ヨーロッパでは、アジア人差別が多いのではないか、少なくとも数日居れば1度や2度はあるんじゃないか。そう思っていた。初めてスペイン人と施設や街中で会話する際、少し緊張した。彼らのリアクションは堅かった。中2日空けて再訪する宿に、長期の荷物預かりを拒否されたりもした。しかし、国内線LCCの搭乗を完了させることができて、ある程度の消化すべきミッションの山場を超え、自然に笑顔が出るようになってから、周りのヨーロッパの人々も笑顔で接してくれるようになっていた。

バルセロナの空港で国内線LCCへ。待っている間、白人男性が「ここへ座れよ」と言ってくれて譲り合い。

そりゃそうだ、仏頂面のアジア人がカタコトの英語で話していたら、優しい人であっても「コイツは何が言いたいんだ?」と真顔で対応するだろう。自分とパートナーと、旅程のことでいっぱいいっぱいになっていては仕方がないことだし、長い飛行機の移動でただでさえクタクタだからこそ、どうしようもないのかもしれない。しかし、冷静に考えれば、少し客観的にモノを見られたら、できるだけ相手の側に立てれば、普段の振る舞いを、クタクタな状態でもヨーロッパでできたのなら......それだけで楽しい旅に近づくだろう。ほとんどのスペイン人は私たちに優しいか、または無関心だった。同じ旅行者の日本人、韓国人、中国人、アメリカ人、イタリア人、ポーランド人、そして国内旅行中スペイン人たちも皆、旅と私との一期一会を楽しんでくれたように思えた。

シアトルから来た老夫婦と仲良く食っちゃべったバル

スペインの初泊と最終泊は、同じ中年女性がフロントで対応してくれた。訛りの強い早口の英語だったし、初日の硬い表情や荷物の件から、あまり良い印象が無かった。実は口コミでも彼女へに批判的なコメントがあった。しかし、よく思い返せば、◯◯駅にロッカーがあるからそこを使ったらいい、と言ってた。そりゃ宿にも都合があるし、代替案を彼女は教えてくれていた。最終泊のチェックアウト後、時間が空いていたので少し話しかけてみた。この宿は2泊目で、中日はサンセバスチャンへ行ったこと、今日は朝からフィゲラスのダリ劇場美術館へ行ってきた話など、他愛の無い話をすると、彼女は笑顔で色々と、あそこは良いところだ、とか、スペインは楽しめたか、などを話してくれた。英語力が高いとは言えない、カタコトの私に対して。スペインの観光業に従事するスタッフとしては、単純に旅行者が楽しんでいる様子は嬉しかったのだろう。帰るのは何時間かかるんだ?マジかよ、日本遠いなぁ!私は前にフィリピンへ行った時と同じだな笑 とまで雑談していたくらいだった。僕もフィリピンに行ったことがあるよ、マニラ!と言うと急に塩になったあたり、単に彼女らしさ、なんだろうと思った。

フィゲラスのダリ劇場美術館は最高の施設だったが、駅からの道には数えきれない犬のフンが....

もちろん、アジア人差別がまったくない訳では無いと思うし、苦い経験をした方もいるだろう。そもそも客だったから、とか、そんなに沢山の人と触れ合っていないだけかもしれない。しかし、少なくとも僕が触れ合った人々は、僕の様子に合わせてくれていた様に思った。酔った陽気な方以外は別にして、僕がリスペクトと笑顔を持って接すれば、彼らも返してくれるか、せいぜい普通に返してくれた。利害関係の無い相手もそうだった。唯一、どこからきたの?と言われる際、当てにくる時は韓国人か?か、中国人か?としか聞かれ無かったのは多少残念だった。仮説はあるが、本当はなぜなのかはわからない。空港や駅には三菱電機の大きな広告が出ていたし、日本の自動車やバイクもよく走っていた。地上波のアニメチャンネルでは字幕・吹き替え無しにガンガン日本のアニメが流れていて、街中ではジャンプ系のキャラの、著作権の枠を超えたTシャツを着ている人が割と目についた。

バルセロナのターミナル駅・サンツには大きな三菱電機の広告が。空港にもあった。

それだけに、先に「日本人か?」と一度も出てこなかったのは残念だったのだ。「東京から来たよ、日本人だよ」というと、皆だいたい「お、日本かー!」とか「日本はいい印象がある、うちの子供たちも好きだって言ってる」、「アニメよく見ていたよ、しんちゃんな!ひまわりが生まれる前までのしんちゃんがおもろいよな」とか言われた。「ワシは20年前に行ったぞ、東京と大阪、京都さ。大学教授をやっている息子に案内してもらってな。あれはいい思い出さ」とかまで。僕もフランス人とイタリア人の区別はぱっと見はつかないし、それどころか、韓国人と中国人も人によってはわからない。むしろグローバリゼーションしてる人は中韓はマジで日本人とも見分けがつかない。

ソウルの聖水(ソンスー)地区のブティック型メガネ店には、世界中の良品が豊富。金子眼鏡も沢山あった。

5日間のスペインの旅程を終えてソウルへ戻ると、もはや故郷に帰ったような安心感さえあった。韓国で食べた食事は、ガッツリ韓国料理なのに、久々の和食を食べたような嬉しさがあった。ラウンジでチャーハンとシュウマイを食べて、ちょっとホッとした。ああ、なんだ。同じか。そう思ってしまった。

少し高級な韓牛焼肉とキムチがおふくろの味の様に感じた

今度スペインへ行ったら、マドリード経由でサンセバスチャンへいき、ついでにフランスのボルドーまで行ってみてもいいかもしれない。旅費を稼ごう。日本で。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?