嫌なことを忘れるとは

 先程の記事で「嫌なことや愚痴をわざわざ記録な残る物に書く人の気が知れない」と述べたが、よく考えたら(よく考えなくても)私のこの掃き溜めを書くという行為もそれと同じようなこと、というか全く同じだった。自分のことを棚に上げて他人のことを指摘する私が一番嫌いなタイプの人間そのものだ。そうはなりたくないのに…。そのことにふと気がついて、先程の記事に書いたことを反省した。まさしく特大ブーメランだった。それに気が付くことが出来ただけ良かったのかもしれない、と自分に都合の良いように言い聞かせている。私はなんてずるい人間なんだろう。

「嫌なことは寝たら忘れるよ」

「嫌なことはいつか忘れるよ」

先程の記事にも書いたように、嫌なことを記憶から消せない私はこのような事を言う人の気持ちが分からなかった。このことについて私はまさに今日気がついたことがある。

私は今まで「嫌なことを忘れる」とは、嫌なことそのものの記憶がなくなることだと認識していた。認識していたというか、現在も世間一般的にはそのような認識で間違いはないと思う。しかし私は、「嫌なことを忘れる」とは、嫌なことそのものの記憶がなくなるということではなく、過去の嫌なことを月日が経ってから思い出しても、嫌なことがあった当時のような感情にはならない、何の感情も湧かない、つまり嫌なことをどうでもいいと思えるようになることこそ「嫌なことを忘れる」ということなのではないかと気がついた。それに気がついた時に、「これが嫌なことを忘れるということか!」と納得がいった。この持論がたとえ間違ったものだとしても、私としては納得がいってスッキリしたので自己満足している。

本当は「嫌なことを忘れるとは」を先程の記事に書こうと思ったのに、書いているうちに色々なことを考えついて結局書けずじまいだった。嫌なことを忘れるとはどういうことなのかを発見できたこと、それについてこうして記事を書けたことで今日は自分なりに納得がいっている。

※この文章は2021年7月16日にALISに投稿されたものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?