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よく言われる、国語と数学は必要かと。

よく言われる。理系の子からは、

「国語って何に役に立つの?」

と。文系の子からは、

「数学って何かに役に立つの?」

と。

 実際に高校や中学で習ったものは、私の人生では、あまり役に立つ気はしない。殆どの人が、役立ったことは無いではないのだろうか。私は高校教師でも何でもない。普通の趣味でしがない物書きだ。だから、説得力に欠けるとも思う。だが、これだけは言わせてほしい。

 国語も、数学も、役に立っているのだ。

 学校では主に点数を付けられる。自分が書いた回答用紙に、ピンとマルを付けられる。先生の用意した回答と合っているか合っていないかで判断されるのだ。だが、私たちの世界は残念ながら、一つの答えで出来ていない。この一つの答えは、決断し、判断したという点では一つの答えだ。だが、その自分の答えに、マルはつけてもらえない。だからこそ、皆言うのだ。学校での勉強は意味がないと、無駄な事ばかり学んで来たと皆が言う。私の周りはそうだった。でも、私はこう思う。今まで勉強したことは意外と役に立っていると。

 私には、この理由の根拠になる二つの理由がある。

一つは、ある偉人の話だ。その人は子供の時、宇宙を夢見たそうだ。あれがベガだ。アルタイルだ。そんなことを言って、幼子ながらに夢を見たのだろう。その中で、ある時、ある小説を読んだそうだ。その小説は、主人公が弾丸の様な形の宇宙船に乗り、打ち上げられ宇宙空間を旅するというモノだったそう。このことに影響を受け、頑張って勉強し、その子は、科学者になった。そして、アメリカの政府機関、NASAの一人に成ったそうだ。

 ほら、役立っている。では、止の主張だ。

 二つ目は、例でも何でもない。ただの、私の持論である。それは、“文学は心を豊かに科学は生活を豊かにする。”というもの。科学は頭のいい人たちが、問題を解決してくれる。文学は先ほどの、人のように夢を与えてくれる。しっかりと、役に立っているのだ。

 最後に話したいことがある。

 私はもともと、科学が好きだった。もちろん、今も好きだが。夢は科学者で、特に物理が好きだったから物理学者を夢見ていた。でも、数学が苦手だった。そこで、思いっきり勉強したが、高校の数学であまり点が伸びなかった、その点数を見て、「これなら物理学者は無理かも」と諦めて、今、ひっそり暮らしている。
 小さい頃は、勉強そのものが嫌いだったから、夢を諦めてしまった。今まで、いろいろ辛いことを経験したことがあったが、その中でもこの夢を諦めることは、トップクラスに辛いことだった。
 これを読んでいる人に声を大にして言いたい。勉強はしていたほうがいい。絶対だ。その夢が変わったとき僕の様な勉強の習慣をつけていないと夢を諦めることになる。人間は単純な生き物だから、その諦めるということに慣れてしまう。そして、自分に関係ない事、例えば数学が苦手だからそれから身を引くなどという、理由をつけ、正当化し逃げ癖が付く。それが一番いけない。社会に出たら、誰も言ってくれない。早くしろ、勉強しろと。しかも、社会人は時間も限られている。だから、学生の諸君今だ。今しかない。筆をとれ、問題を解きまくれ。
 夢を諦めた夢追い人からの小さなアドバイスだ。
 
 意外と、自分の風呂の温度はぬるいよりも、熱い方が後々良い事が起きる。これは意外と本当の事である。

 でも、本当に辛いときは逃げていい。「之繞」を「てへん」に変えたら、挑んでいるのだから。でないと、心が壊れてしまうから。

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