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地面の底の病気の顔

地面の底の病気の顔

 地面の底に顔があらはれ、
 さみしい病人の顔があらはれ。

 地面の底のくらやみに、
 うらうら草の茎が萌えそめ、
 鼠の巣が萌えそめ、
 巣にこんがらがってゐる、
 かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、
 冬至のころの、
 さびしい病気の地面から、
 ほそい青竹の根が生えそめ、
 生えそめ、
 それがじつにあはれふかくみえ、
 けぶるごとくに視(み)え、
 じつに、じつに、あはれふかげに視え。

 地面の底のくらやみに、
 さみしい病人の顔があらはれ。

   .........................(萩原朔太郎「月に吠える」より)


こちらは萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の一つの作品です。
彼の孤独感や虚無感を表していると考えているのですが、今回は私の実際の病について書こうと思います。


🦋🦋🦋🦋


私がおかしいと感じたのは小学生くらいの頃でしょうか。
気分の上下が激しすぎ、常に鬱屈としていました。
死にたいなあという気持ちも絶えずあり、なんとなく20代前半で死ぬのだろうなあと思っていました。

その為、母との喧嘩も絶えず「どうしてちゃんといい子にできないの」「他の子と仲良くしなさい」「子供なんて産まなきゃ良かった」等言われたこともありました。
母自身も体の病気を患っていたこともあり、情緒が乱れていたんでしょう。
そう理解ができたのはもう少し私自身が大人になってからで、その時はひたすら希死念慮でいっぱいでした。

遂に私自身にも限界が来て高校二年生の時に心療内科へ行きました。
そこもあまりいい病院とは言えず、「そんなに辛いなら学校辞めちゃいなよ」等無責任なことを言う所でした。
なんとか学校も卒業して、病院も変えて色々試しましたが希死念慮は消えず。

何回か自殺未遂もしています。

そんな時にコンセプトカフェと出会ったりピアスやタトゥーと出会ったり好きなお洋服屋さんができたりと、今まで自分では絶対できないと思い諦めていた自己表現をするという事の素晴らしさに気づきました。

私でも許されるんだと思い、今の表現者という立場に落ち着いています。

ただ、やはり自己破壊をしたいと言う衝動や破滅願望は私の感性の1つで、どうしたって消えないのですが。

それでも投薬をすることによって大分元気になりました。
高校の友人からは「たまきが年々楽しそうになってて嬉しい」とも言われます。
自分のコンセプトカフェを出すと言う夢も出来ました。

精神的に辛いことがあっても死にたいと思っていても夢が私を支えてくれています。

20代前半で死ぬと思っていた私も来月の24日で25歳です。結局私は死にませんでした。
夢があり、沢山の方が私を応援してくださっているから「黄泉竈食たまき」は死にませんでした。

本当はこのようなことをお伝えしていいのか、2つ目のnoteでこれは重すぎるのでは?と思ったのですが病も含めて私自身なので書かせていただきました。 

自分の殻に閉じ籠って生きづらいなと考えている人がいつか殻を破って素敵な人生を歩めますように。
私は願います。


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