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保育園の話

現在、とっても治安が悪いです。住んでいる地域のことではありません。私自身の治安です。キーボードをソフトタッチで叩きながらバッキバキに破壊されたキーボードの成れの果てが脳内に浮かんでいる、そんな感じです。

今回実は『向精神薬』をテーマに書き始めたんですけど脱線事故を起こしまくった結果人格形成の話になってしまいました。驚きです。タイプライターの時代だったら窓から放り投げ捨てていたところでした。現代に生まれて良かった。まあ、そんなこんなで脱線から始まった人格形成の話を書き連ねていきますね。

幼少期はとても明るくひょうきんな子供だったと思います。人を笑わせることが好きな、今では考えられない陽のエネルギーを持っていました。

こわいものはお化けくらいだったかな。恐らくストレスによるものだったんでしょうが、よく金縛りにあっては怖い夢を見て両親を起こし慰めて貰っていた記憶がありますね。金縛りに関してはどのくらいで収まったんだっけ、小学生くらいまで続いてたかな。おっとこのままでは金縛りの思い出を語るだけの記事になってしまうぞ、軌道修正しましょう。

そうですね、5歳で保育園に入園してからでしょうか。多くの方は保育園から幼稚園に以降するタイミングかと思います。私の実家はド田舎なので保育園しか無かったんですよ。これはもうしょうがない。

何が問題かというと社会に出るのが周りの子達と比べてとても遅かった。母親は今は亡き祖母の介護をしながら専業主婦をしていたので私を預ける必要が無かったのです。

近所に同年代の子供も殆ど居ませんでしたし、私の中での社会は家と親戚ぐらいの小さな規模で生きてきました。今思えば乳児からずっと保育園に預けられていた子達は殆ど気の強い性格だったな。まぁそれもまた小さい規模の保育園の話なので一般的かは分かりませんがね。

それである時、逞しい子達が既に居る環境だとはつゆ知らず、私は母親に保育園に通いたいとお願いしたのです。同い年のいとこが居たのでその子に影響されたのでしょう。ちなみにその保育園の子達の9割とは結局中学卒業するまで同じ学校で生活を共にしました。都会の方々からは想像できないであろう何とも代り映えのしない日々です。それが嫌で嫌で…嫌過ぎたので割愛。

初めて保育園に行く日、ウキウキしていたのかルンルンしていたのかは覚えていません。夢を見ていたのは確かです。

しかし建物を見て、中ではしゃいでいる活発な子供たちを見て、明確に覚えた恐怖は今でも忘れられません。あまりの恐怖で送り迎えしてくれていた父親の首筋の肉を噛みちぎって行きたくないと泣き叫んだエピソードは今でも家で語り継がれています。ごめん父。

やっとこさ入園出来たのはいいものの、子供達の世界は小さい私が想像していた楽しい場所ではありませんでした。お化けの他に怖いものなんて無いと思っていた私が初めて人間を恐れるようになったのです。弱肉強食、それが世の理だということを動物として悟った瞬間でもあったかもしれません。

印象的なエピソードは沢山あるんですがキリが無いので一つだけ書きます。もっと過激で暴力的な事件も多々ありました。

しかし何故だか最も印象に残っている記憶は余りにも静かで。

保育園にも少し慣れてきたとある日、砂場で一緒に遊んでいた子にふと聞いてみたんです。


「私たちってともだち?」と。


私が生まれて初めて、友達ってこういうものなのかな?と認識し始めていた相手でした。


するとその子は怪訝な目をして「ねいちゃんは友達じゃないよ」とつぶやき別の子達が集まっている場所へ走って行ってしまったのです。


血の気がさっと引いた夏の日の出来事でした。



悲しみや怒りの記憶ではありません。

物心ついてから初めて人格形成に強く影響した事柄だったのかもしれないと今になって気付きました。

他人と同じ場所で生活を共にするという経験が0だった私にはあまりにも、衝撃的だったんだと思います。

猛暑と陽炎と土とその子の影が今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

焼き付くという言葉があまりに相応しい。



なんか疲れちゃいました。

書いてて1人でエモーショナルな気持ちになって。

笑えてきた。楽しい。文章を書くのって楽しい。




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