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じゃんけん

さーいしょーはぐー、じゃーんけーんぽん。
決める時はじゃんけん。
もっとも"民主的"かつ"公平”な決定方法。
そう信じてた。

始めにおかしいと思ったのは小学2年生の頃だった。
クラスの男子達が私を見ると「汚い」「くさい」と言い始めた。
そして男子達同士の罰ゲームが私に体をぶつけること。
獲物になった男子が取った回避方法は「相手にじゃんけんで勝つこと」
どういうわけか勝てば相手は諦めるのだ。
しかし負ければ容赦なく私に体をぶつけさせる。
可哀想な獲物は「汚い。最悪」とリアクションをしなければならない上グループから嘲笑を受ける。
彼らが何を思ってそのようなイジメの連鎖を繰り返していたのか分からない。
意味はないのかもしれない。
獲物も私もゲームのキャラクターのようなものだったのだろう。
その後も”じゃんけん”は続けられた。
授業でグループを組む時誰がどの班に行くか。
勝ち負けは重要だ。
「勝った方が余った子をグループに受け入れましょう」なら入りやすい。
ただ逆だったなら?
「負けた方が余った子をグループに入れなければならない」
罰ゲームを与える気持ちで入らなければならない。
加害者でそれ以上の被害者意識に打ちのめされながら。

ここで学校や子供組織の残酷さを書き連ねたところで意味はない。
誰しも経験しているし子供の遊びは残酷さに満ちている。
花いちもんめ、かごめかごめ、かくれんぼ。
大人は子供に教えた遊びが将来役に立って欲しいと願っているし、それがどんな形に変わろうとそれも可能性の一つだと判断する。

大人になるまでの我慢。
大人の世界は理不尽なんてないはず。
そう信じていた。
会社員生活は楽しかった。
同学年同士で教室に閉じ込められることはなく、20代~70代の人が各々役割を持ち行動していた。
顧客や他部署とのやりとりで辛いこともあったが、誠実に対応すれば感謝してもらえたし、嫌なことがあっても『給料』という形で必ず報われた。
ただ、いくつになってもじゃんけんは続けられた。
忘年会のゲームで同率1位だった時。
女の子にどちらが先に声をかけるか。
子供っぽいと思ったが割り切った。
大人らしい大人なんていない。
私自身が夢見ていた大人と実際大人になった自分の差異を自覚し、齢をとっただけで大人になるわけではないと分かっていた。
それに小学生のいじめを未だ引きずる自分の執念深さに呆れていた。

私には仲の良い男友達がいた。
優しくて話していると楽しかった。私は彼の恋人になりたかった。
彼と話していると視線を感じた。
仲の良いグループの一人の男性が私達を見ていた。
その人は既婚者だった為、嫉妬していることは考えられなかった。
グループのリーダー的存在なので、内内で恋愛関係に発展すると他の人にどう説明しようと考えていたかもしれない。
単に下世話なことを考えていた可能性もある。
その空気を察したのか男友達は私を避けるようになった。
話しかけてもこちらを見ずに生返事し、好きな本の話を振っても「よく覚えてない」とそっけなく言うだけになった。
私のせいだろうか。好意を持ってることを隠さない私の態度が嫌になったのだろうか。
彼から好意も感じていた。でもそれは社交辞令で友人以上の関係を望まなかったのかもしれない。
ふと思い出した。
じゃんけん。
彼とリーダーがじゃんけんして彼が負けたら私と離れる、なんて馬鹿げたことはないだろう。
ただ彼は彼自身とじゃんけんをしたのだ。
私への感情と恋愛関係に発展した後の面倒を。
グループ内で質問攻めにされること、全員に知られてしまえば別れにくくなる、結婚、家庭、途中で放棄すれば自分の評判に関わる、居心地も悪くなる。
たくさんの要素を天秤にかけた。
彼の中でたくさんの彼がじゃんけんした。
そして真っ先に負けたのが私への感情を持った彼だった。
私はグループから離れた。
180度態度が変わった人にどう接していいか分からなかった。
突然の変化が周囲の野次馬根性をより刺激することを考えない彼の愚かさにも嫌気がさした。

生きていると色んなじゃんけんに遭遇する。
私自身もじゃんけんした。
仕事でキャリアアップしたかった。
だから『これからの会社について』と重役たちの前でプレゼンした。
しかし社長にどれだけ愚かか、下調べが不十分で全く考えなしだと密室で理詰めにされ精神が崩壊寸前になった。
キャリアアップは諦めた。そして何故か社内の皆が社長とのやりとりを知っていた。
私はおべっかを使わない人間だったし好き嫌いも激しかった。
同情とざまあみろという目線を始終感じていた。
神経が切れそうになった時私は私の中でじゃんけんをした。
これから仕事を探す過酷さと居心地悪い会社にいることを。
勝負はすぐについた。
私は仕事を探す道を選んだ。
これで居心地が悪くなったのは社長だ。
溜飲が下がった、と言えなくもない。
その反面同情した。
常に先代と比べられ何をしても影で嘲笑の的になる哀れな男性。
彼から見れば
『自分が見下せる従業員』が『生意気なことに』意見し、『飼い犬に手を噛まれた』気分だっただろう。
私を全面否定することで自分の誇りを保てたのかもしれない。
でも誰かの下らないプライドの為に見下される存在になるなんて願い下げだ。

自分の中でじゃんけんをすることはより良い判断をする為と割り切る。それに関わる人の感情までは背負いきれない。今となっては小学校の男子達や男友達の気持ちも理解できる。
私も誰でも持つ自分勝手さなのだから。

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