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探偵と顔のない対象者

ここから探偵が見える。
短い髪に白いシャツ、ジーンズ。
手元のタブレットを操作した。
メールを確認したらしい。
瞬間、スマートフォンから架電した。
相手は事務所所長だ。
「依頼の件、聞いた」
指で机をコツコツ叩きながら言った。
「よく私にまわしたな」
探偵の口調は雇われの割に横柄だ。
電話越しに所長の笑い声が聞こえた。
「事務所存続の為に。女性の方の力が必要だが」
所長は、女性の『方』、を強調した。
「倍の値段もらう」
何か言いかけた所長を遮って探偵は自身の案をぶつけ交渉した。
「分った。それでいこう」

スマホ

調査対象Hはファミレスの調理部で働いている。
15年間勤務しているが身分はアルバイトだ。
探偵はファミレスのガラスに映った自分の姿を確認する。
濃いアイシャドウにアイラインもしっかり書き、まつ毛エクステも付けた。
そして緩やかに巻いた髪にピンクのグロス。
服装はスカート丈の短いネイビーブルーのスーツだ。

Hは従業員数名にパワーハラスメントをしている。
だが解雇に足る証拠がない。殴ったり蹴ったりせずひたすら言葉だけの暴力だという。
人のものをよく触るが盗むわけじゃないし、会社のものは備品扱いだから強く注意できない。
何でもいいからHを解雇出来そうな証拠を見つけること。

難しい仕事だ。だがやり遂げてみせる。
探偵はガラスの中の自分に向かって軽く頷いた。

「こんにちは」
探偵はやや高めの声でHに話かけた。
Hは背が高い。170センチ以上あるだろう。
上半身は細身なのに下半身が大きい。
顔が小さいわりに二重顎の為、常に上を向いて歩いてるように見える。
目に力がなく口も小さい。
要するに全体的にアンバランスなのだ。

これは整形しないと無理かな。
探偵はHの容姿を意地悪く評価した。

Hは振り返った瞬間、口元に握りこぶしを作り探偵を上から下まで舐めるように見た。
昭和のぶりっ子アイドルか。
また探偵は意地悪く思ったが顔には出さない。
「こちらの従業員の方ですか」
「はい、そうです」
握りこぶしはそのままでHはかすれた声で返事した。
ふと、Hは力ない目をぐっと見開き探偵に顔を近づけてきた。
見開くと異様に大きい半月形の目が顔いっぱいに広がり探偵は思わず後ずさった。
だが、すぐに気を取り直すと偽の名刺を取り出し
「管理会社の飯塚 亜矢子と申します。近々私どもの会社で新しい物件の管理を計画しております。それにあたり既存物件をご利用者頂いているお客様の声を伺いたく参りました」
Hは私の名刺をまじまじと見て首を傾げた。
漫画やドラマのヒロインそのままの仕種を真似するHに探偵は驚いた。
「こちらにお勤めしてどのくらいですか」
「15年です」
探偵は驚いた、振りをした。
持っていたタブレットを操作する。
「すっかりベテランですね。ホールの方ですか」
Hはまた口元に握りこぶしを作って、下を向いた
「いえ、調理の・・・」
「え?何ですか?」
Hは更に下を向き目をそらした。
「あの・・・?」
「だから調理って言ってるでしょ!」
「失礼しました」
まったくゆとりは、と聞こえた。
「あの、何か仰いましたか?」
「別に。言ってみただけよ」
言ってみただけ、よ?
「あ、そうですか。宜しければアンケートお願いします。明後日弊社の人間が回収に参りますので頂ければ幸いです」
Hは握りこぶしも下を向いてる顔もそのままで探偵の差し出したアンケートを受け取った。
探偵は一礼して踵を返した。
背中にHの視線を感じた。

会わなくても2

【Nの証言】
あのHという女は本当にひどいです。
私は半年前から調理場の主任として異動して参りました。
異動が決まった時、こういう人間がいるから気をつけろ、と言われてたんです。
でも、ここまでひどいと思いませんでした。
まず、私が指示すると何かにつけ
「前はこうだったからこうして下さい!」と時や場所を考えず怒鳴り散らす。
私が机の上に置いてた書類の位置が変わってるんです。他の方に聞いたらHが勝手に触ってた、って言うじゃないですか。
しかもそれを『整理整頓できないゆとりの為にしてやった」と言ってるのを聞いてゾッとしました。
私より1歳上で15年勤めてるから、出来ないところ注意して管理してやるのは当然だ、と思ってるようですが、こっちは正社員あっちはバイトですよ。
15年間アルバイトなんて恥ずかしくないんですか。
あ、アルバイトやパートの方々がいないと仕事がまわらないので馬鹿にしてるわけじゃないです。
学校なら学年が上の方が偉い、になりますが、社会のルールは違いますよ。
会社では、社長、幹部、部課長クラス、係長、主任、社員、それでパート・アルバイトなんです。
私に何か問題があってそれを訴えたかったら、私より上の人間に言ってその方から私が注意を受ける。
またはあの女が私より出世するかです。
しかもあの女がやってることは注意ではなく嫌がらせです。自分より年下の私が出世してるのが羨ましくてしょうがないんでしょう。
しかも何かつけ『ゆとり、ゆとり』
意味分からず使ってるんです。気に入らないことがあると『ゆとり』
一体何を言いたいんでしょうか。
パートのおば様方には大人しいんですが若手の女性社員の評判は最悪です。
学校の生活指導のような注意ばかり受ける、と。二言目にはマナーだの規則だの。

自分棚に上げで何言ってんでしょうね。
見て下さいよ。あの汚らしい顔や服を。
自分の姿を鏡で見てみろと言いたくなります。

一番嫌なのはこちらを見ないことです。

私の方を見ずにあらぬ方を見て怒鳴り散らす。
そしてその顔も半分握りこぶしで隠れてるんです。
あんなにマナーや何とか言いまくってるのに、目を見て話す、人間として最低限のマナーが欠落してるんです。

(ため息)でも、最近お客様からクレームが増えているのは私のせいかもしれません。
うちは各テーブルにアンケートを置いてるんです。お客様からの声をお聞きする為に。そのアンケートの量が突然増えてクレームの嵐なんです。誰かが仕組んでるのかと思いましたが、ファミレスはご家族連れがほとんどで一人客や一験はほぼいません。大体常連さんです。その方達の間でこんな悪い評判が広まってるかと思うと・・・やっぱり僕が悪いんでしょうか。

【探偵の部屋】
探偵は所長から送られてきた依頼人Nの音声を聞き終えた。
ヘッドセットを外す。
そしてHから回収したアンケートを読んだ。
ぎっしりと文字が書かれている。

1.駐車場の使い心地はどうですか。
  C.悪い

2.Cと回答された方は理由をお聞かせ下さい。
  入口が狭い。ゴミが落ちてる。駐車幅も狭い。切り返しが出来ない。

3.管理状況はどうですか。
  C。悪い

4.Cと回答された方は理由をお聞かせ下さい。
  ゴミが落ちてる。汚い。雑草が生えてる。管理会社の服がマナー違反。
  髪を下ろして不潔感。スカート短すぎる。

5.今後の参考の為ご意見お聞かせ下さい。
  清掃をしてほしい。入口を広くしてほしい。管理会社の人間の服装を
  整えてほしい。

・・・続く。

感心してしまうくらい悪口のオンパレードだ。
自分の悪口を読んで楽しくなる探偵は大分屈折してる。

アンケートを回収した、『男性』探偵の報告書を読み直した。

【Hは私を認めると薄ら笑いを浮かべた。また握りこぶしで口元を覆い目をそらす。
そして嬉しそうにアンケート用紙を私に手渡した。そこには管理会社の名を使ってHに近づいた女性探偵の悪口がぎっしり書き込まれていた。
私はアンケートに目を通しながらHに話かけた。
「随分ご不便おかけしてるようですね」
Hを見ると同じ姿勢だった。
下を向き、握りこぶしで口元を隠す。
「弊社の人間にも注意しておきます」
口元は確認出来なかったが、目が笑ったようだった。
「このレストランには長くお勤めですか」
Hの態勢は変わらない。
「はい」
これだけだと内向的な女性に見える。
攻撃的なアンケートは本当に彼女が書いたのだろうか。
「お仕事は何を?」
「調理です」
「すごいですね」
Hはまた笑ったようだ。
「こういうところはメニューがしょっちゅう変わるし、ヘルシー志向とか、がっつりはどうとか言われるので大変でしょう」
「調理師の資格を持ってるんです」
「すごい!」
Hは少しずつ顔を上げてきた。表情が得意げだ。
「昔はホテルでパティシエしててこれが私の最高傑作です」
スマートフォンに表示されたのはウエディングケーキの写真だった。
その画面を撮影したので添付する】
探偵は更に報告書を読む。
【社内の人間関係についても話を聞いた。
「みんな仲いいです」
下を向いているが笑ってるようだ。
「上司の方はどうですか」
「え、まあ、あの人ゆとりだから。私より1歳年下なのにゆとりなんです」
「どういう意味ですか」
「え、だからゆとりなんです。片づけはしないし、ここのルールが分かってないし。私の方が年上だから教えてあげてるんです。社会のルールもよく分かってないようだし」
「あれ、あなたはアルバイトですよね」
「はい、そうですよ」
始めて顔を上げた。何を言ってるの、この人。という顔だった。
でも私と目が合うとまた顔をそらし元の態勢に戻った。】

仕事部屋

探偵は思案した。
スマートフォンが着信を告げる。
「もしもし」
「俺」
「久しぶり、ハッカー」
「誰がハッカーやねん。博士と呼べ」
「お前はハッカー。調べてくれた?」
「Hね。屈折してるで。まず典型的な家父長制の家や。あと長女との区別が激しい。姉と父親には個室が与えられてるがHにはない。ちなみにテレビは父親の部屋しかなかったらしい。昭和か」
「ミニ情報はいい」
「ミニかどうかは分からんわ。でもこういう家庭環境が屈折した人間を作ったんちゃうか」
「そんな偏見」
「言うたら悪いけどあんな容姿やろ。父親からブスブス言われて育ったらしいで。明らかな虐待や」
探偵はHの情報を読み直す。
「でも両親や姉と同居ってある」
「謎やな。環境はほとんど変わってへんで。36歳になっても両親と同じ部屋に寝てるんや。しかも母親と同じ布団や」
「マジで。てか何でそんな家庭の事情知ってんの」
「俺の情報収集能力や。まあ家庭環境除けば平凡な人生やで。小学校と中学校、高校出て調理師専門学校通ってホテルの調理部に勤務したけど1年半で退職。実家に戻って今のファミレスでアルバイト勤務。それから早15年。何かこの人可哀想ちゃうか」
「・・・人のこと可哀想言うの好きじゃないな」
「・・・そうか。あと気になることは学生時代の同級生の一人が行方知れずや。名前はR。何や小・中学校時代Hと一緒にハブられてたらしい。田舎の学生の割に可愛い子やで。父親からブスブス言われてた子がこういう子と一緒にいるのどんな気分やったやろ」
探偵はしばらく考えた。
「あんまり関係ないな。思春期なんて嫉妬や羨望だらけだろ。それを経て自分の道を決めて人は人、自分は自分、と思ってくし」
「おおい。何やその教科書に載ってるようなセリフは。お前ホンマに探偵か。ってまあそうやな。でもHはその時を抜けれてないんやないか。未だに嫉妬と羨望にまみれてるぞ。それに加えて年齢や。焦りが余計にあんな極端な行動に走らせるんやないか」
「極端、確かに極端かもしれない」
探偵はアンケートを見直した。
自分の勘が間違ってなかったことに気づいた。

「こんにちは」
探偵は管理会社の女性社員に扮し再びHの前に姿を現した。
わざと服装は前より派手にした。
カールした髪に赤いメッシュを入れ、スカートは更に短くなっている。
Hは信じられない、という顔をした。
頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見る。
探偵は悪寒をこらえて
「ご不便おかけし申し訳ございません。上にはこちらから申し伝えてます」
「・・・ジィ」
「は?」
「だから!NG!NGなのよ!あんたの服装!」
うつむき、口には握りこぶし。
NGって人間に向かって言う言葉なのだろうか。着てきた服にそう言われてもどうしようもない。
そもそも誰に向かって怒鳴っているのだろう。
探偵は話を変えた。
「そう言えば、調理師さんだそうですね。すごいです、尊敬します」
Hの目が少し笑った。ここぞとばかりにたたみ掛ける。
「弊社の人間がケーキの写真を見せて頂いた、と申してました。宜しければ私にもお見せ頂けないでしょうか」
Hは薄笑いを浮かべ、しょうがないわね、と言った。
どこのドラマの主人公だ。
結婚式のケーキを私が全て一人で作ったのだ。でもケーキカットの時新郎新婦がおかしなところを切ってせっかくのケーキがお客様へ美しく切り分けられなかった・・・
探偵はHの話を聞くふりをして画像を凝視した。
重要なのは日付だった。さりげなく画面に触れ日付を表示させる。
そしてHの履歴書と以前の職場の所属部署を照らし合わせた。

対象者2

【探偵の告白】
数週間後私のスマートフォンが鳴った。
所長だった。
「終わったぞ。お疲れさん」
「お疲れ様でした」
「大成功だった。あちらも喜んでるよ」
喜ぶ。
Hの姿が瞼に焼き付いている。
口元の握りこぶし。決して合せない目線。それでも愛想良くしなきゃと強迫観念のように思ってる薄ら笑い。
「まさか自分で筆跡を変えて苦情のアンケートを大量に書いてたとはな。それを理由に解雇だそうだ。Hの行為は犯罪スレスレか犯罪か何とも言えん。Hは店の為を思って正直に書いただけ、と言い張ってるらしいがどうだかな。それに経歴を詐称していた。ホテルでスイーツを作っていたというのは嘘だ。あのケーキはHが専門学校に通っていた時のものだった。どうしてそんな嘘ついたのか分からん。とにかくHに解雇通告が下った」
大きく息をついた。
「大丈夫か」
所長の優しい声に心がぐらつきそうになる。
でも私は最初に決めた私のままだ。
「大丈夫も何も、先に話を持ってきたのはそっちだろ」
「ああ、お前のこともHとのことも調べてた。だからHの前に出すつもりはなくあくまで後方支援をだな・・・ああ、くそ。本音言っていいか」
「どうぞ」
「お前が過去に囚われてることに気づいてた。名前変えようが姿形変えようが嫌な記憶は一生消せない。Hと向かい合うことで楽になれれば、と思った。俺は、ま、何だ、上司だ。優秀な探偵が、気に病む、違うな気がかり、そうだ、優秀な探偵の気がかりを少し減らせればと思ったんだよ」
Hと向かい合う。
あんな状態を向かい合うなんて言えるだろうか。
Hは何も変わってなかった。
自分より優れている相手に僻む。その割に努力をしない。ひたすら嫌味を繰り返す。自分の考えを持っておらず、テレビや両親が言ったことを鵜呑みにするだけ。
でも所長が言ってくれたことは嬉しかった。
何より『優秀』と言ってくれた。
そう言われる努力をしてきた自信はある。
でも自信があるのと他者から言葉にしてもらうのとは別だ。
「吹っ切れたよ。ありがとう」
そう言った。所長へ感謝を込めて。

Hの前に現れた女性探偵と男性探偵はどちらも私である。
私は23歳の時名前も性別も捨てた。
身体は女性だが自分の性に違和感があった。
そんな私を周囲は許してくれなかった。
レズか、ヤバい、死ね、キモイ。
影で―それでも私に聞こえる程度の大きさで―囁かれた。
嫌悪感を表現する曖昧な言葉。
それは肉体に受ける暴力より人を傷つける。
故郷を出るしかなかった。
だが戸籍を男性にしたところで違和感は払拭されなかった。
自分に関連してると思う本を読み漁った。
どれを読んでも私のことのようだったし、どれも私でないようだった。
結局、自分も他人と同じくらい理解不可能なんだろう。
物事を自分の思考の範囲内で咀嚼して分かったつもりになってるのだ。
とりあえず『私は女性の性に違和感があるのではなく、女性に求められる役割』に違和感があるのだ、と自分の思考の範囲内で納得することにした。
何より男の言葉で男として生きるのはずっと楽だった。

そして紆余曲折を経て探偵になり、独学でヘアメイクや演技を勉強した。
吹けば飛ぶような小さな探偵社だ。私が女性に化け、男性に化け行う潜入調査は会社の利益に大きく貢献している。
ただ、同一の調査対象を前に私が別人を演じるのは初めてだった。
電話で所長は言った。
「事務所存続の為に。女性のほうの力が必要だが」
私は閃いた。
「女性探偵と男性探偵の役を両方引き受ける」
「ふざけてるのか。見破られるに決まってるだろう」
「失敗したら報酬はなしでいい。ただし成功したら報酬は2.5ヶ月分。外注より安いだろ。どうだ?」
所長は考えた。法律に照らし合わせれば危ない気もするが、そこは胡散臭い所長だ。何とかするだろう。
私の提案を却下すれば外注するしかない。探偵の手当て、その会社に払う外注費、手数料、云々・・・
一番安いのは
「分った、一人二役で行こう」

バイク

あれから一度Hに会いに行った。
ファミレスの駐車場で待ってるとHが出てきた。
今日、最後の話し合いだという情報を事前に得ていた。
Hはひたすら電話に向かって怒鳴り散らしてた。
「信じられない!あのゆとりども!私は正しいことをしたのに!お客様の声は改善のチャンスなの!正直に書いただけで解雇って!私に問題なんてない!いつもぐちゃぐちゃの机の上片付けてやったのに!ちゃんとしない服装注意してやったのに!会社には悪者になる人間は必要でそれを進んでやった人間を解雇なんて、あああ!あり得ない!」
もはや発狂のレベルだ。
それでも口を隠してどこを見てるか分からない目。
もはや習い性なのだろう。
恐らくその目線の先にHの理想の世界がある。
その世界で、Hは自身が理想とする姿になり全てが称賛されてるのだろう。
ふと思った。
私は偉そうに分析出来る立場なのか。
男と女の性を使い分け演じる。その世界では脚本も演出も役者も私一人だ。一人よがり。
私もHと似たようなものじゃないか。
一歩間違えると私もHになってたかもしれない。

Hは私の姿とバイクが目に入ってるのかな。
試しにバイクのアクセルを回してみた。
「ぎゃっ!?」
こちらを振り向いた。
私と目がまともに合う。
私はそらさない。
Hはとんでもないものを見てしまった、という表情でまた元の態勢に戻った。
管理会社の人間と気づいてない。
Hは逃げるように去っていった。
一度も振り返らなかった。

家の近くの駐輪場にバイクを止めてるとスマートフォンが鳴った。
ハッカーだ。
「よお、探偵。どこいってた」
「散歩」
「1時間かけてバイクでかいな」
「何で知ってる」
ハッカーは黙った。今までない重苦しい沈黙。
「なあ、Hの同級生やったRのことやけど」
「言うな」
私の反応でハッカーは全て理解した。
「分った。言わへんよ」

Rは私の以前の名前だ。
その名前を聞いた時、忘れたふりして捨てた落とし物を拾って来られた気分になった。
いつからだろう。
「Rはいいよね。頭いいから。私なんて」
「何よ!お父さんがあんたのこと可愛いって言ったからって!」
そういって嫉妬とも僻みともとれる感情をHがむき出しにしたのは。
それだけなら良かった。
自分一人だと何も言えないH。私が誰かに攻撃されてる時は喜んで攻撃側に回った。
私の中でHに対する信頼感が徐々に揺らいでいった。
そして決定的な出来事が起こり、もはや修復不可能になった。
関係も。心も。

探偵と対象者

ハッカーはHの行動を不安と焦りで極端に走ってる、と言った。
だがそんなことみんな同じだ。
みんな不安でみんな自分のことで精いっぱいなのだ。
この仕事をしていると本当の意味で安心してる人なんていないことがよく分かる。
自分の不安を攻撃に変えて他者を傷つけたHの罪は重い。
私は所長に嘘をついた。
吹っ切れてなんてないし、Hと再び関わるようになってからフラッシュバックの回数が増えた。
一度傷つけられた心は決して治らない。
ただ、私は自分がされたことを他者にしようと思わない。
私とHを分けたのはそこだったのかもしれない。

「聞いてるか?」
ハッカーの声が電話越しに聞こえた。
「悪い。何?」
「好きって言ってたバンドの画像まとめて送ったぞ」
「本当?ありがとう」
「友達やからな」
一瞬フリーズした。
「え?」
「何回も言わすな。友達やろ。俺ら」
「会ったことあったけ?」
「顔知らんとと友達になれへんのか」
吹き出した。ハッカー。自分のことをハカセと呼ぶ人。でも私にとってはハッカーだ。
いつも助けてくれて私が触れてほしくないことに触れない。
いい加減かと思えば約束は守ってくれる。
「なれるよ。会わなくても友達やでハッカー」

~最後に~
人間が生きていくということは自分以外の人間と関わるということです。
それはつまり自身が持つ羨望、嫉妬、好意、悪意など多くの感情の舵を取りながら生きていかなければならない。
対象者Hはその舵取りが出来ず周りをそして自分をも苦しめています。
一見舵取りが出来ている探偵も自身の感情をコントロール出来ない時がある。
どうしようもない人間模様を書いてます。でも探偵とハッカー・所長とのやり取りを軽快にしたので楽しんで頂ける要素もあるのかな、と思います。
ところで2人を分けたものは一体何だったのでしょう?
自身が受けた傷の後始末が他者に向かうか向かわないか、と結論付けましたが他にも理由がある気がします。
人間と言うのは厄介ですね。
そして初めてミステリ仕立てに挑戦しました。
男女を曖昧にして変装させたり、微妙な日本語のやり取り(『方(ほう)』)をしたり・・・楽しんで頂ければ嬉しいです。
長々書いた小説を読んで頂きありがとうございました。

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