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されどケーキ。

ケーキが飛んだ。
円形のケーキが美しい弧を描いた。
その時、私の頭に募金箱と子供の顔が浮かんだ。
学校に行けず働き家計を支え、なお瞳の輝きを失わない人々。
心の中で彼らに言った。
給料1カ月分寄付します。ごめんなさい。

どの国でも『仕事の経験年数』は必要である。
20代までなら畑違いの職種に転職可能かもしれない。
でも30歳を過ぎると難しくなる。
どんなに意欲があっても年齢の壁に阻まれて採用してもらえない。
なので本人の希望に関わらず同じ職種を転々とすることになる。
もちろんそれには良い事と悪い事がある。

良い事1 経験年数が給与に反映される。
良い事2 共通項が多い為仕事の覚えが早い

悪い事 職種につきまとう嫌なことがそのまま継続されることが多い。
その他、その他、たくさん。

電話をとる。
いつもの得意先だ。
生憎外出しております。16時帰社予定になりますが・・・
言いながら連絡先をメモし更に別の伝言用メモを出す。
身体が覚えてる動作。
15年事務の仕事を続けている。
3回程転職したがいずれも同じ職種だった。
事務の仕事は性に合ってると思う。
先頭に立つより陰で支える方が好きだし、几帳面な性格だから。
地味だけど向いてる仕事につけたことは幸運と思えた。

ただどうしても嫌な仕事があった。

応接室にコーヒー持ってきて。
お客様からもらったお菓子配って。
この2つは我慢できた。

○○旅行行ってお土産買ってきたから配って。
みんなにケーキ買ってきてあげたよ。切り分けて。

お土産買ってきて、ってこっち頼んでないですよね?
ケーキ買ってきて、も頼んでないですよね?
課長部長などおじさん世代だけではなかった。
私より年下の男性社員までが当たり前のようにお菓子を配る役、ケーキを切り分ける役を押し付けた。

切るにも誰が買ったか分からない古い包丁しかなかった。
柔らかい生クリームが載ったケーキを切るのは難しい。
どんどん溜まっていく自分の仕事も気になり、常にイライラしながら切っていた。
配ろうとすると
「いらないです」
「切り方が汚い」
「等分に切れないのか」
「良い奥さんになれないね」
等セクハラとしか思えない言葉を浴びた。

腹立ちと言葉にならない悲しさを誰かに聞いてほしかった。
友達にメールすると
「いいなー。ケーキ買ってきてくれるなんてやさしーい。自分の分を大きく切れるね。役得」
屈託ない返信に更に落ち込んだ。
男女差別と思う自分が器の小さい人間に思えた。
毎日のことじゃないから割り切ればいい、と分かってる。
でも私はどうしても嫌だった。
何故私の仕事になってるんだろう。
自分が持ってきたものや買ったものは最後まで自分で後始末するのが普通じゃないのか。
そう思うのは私だけだろうか。
社内で浮いてるのがその証拠に思えた。

ある男性社員が陰で私のことをこう言ってた。
美人だけど精神不安定。

せいしんふあんてい。
たまたま耳にしたその言葉が頭から離れなかった。
一人の言葉が世の男性全員の言葉のような気がした。。
どの雑誌の恋愛特集を読んでも、恋人にしたくないタイプは
『精神不安定』『家庭的でない』
精神不安定って何だろう。
精神の安定を測る機械があるのだろうか。
その機械で測った時『安定』と出る人がいたら怖い。
不安定になるのは先のことを心配するからだ。
今と地続きの近い未来、遠い将来を考えて、ああなったらどうしよう、と思うから不安になる。
『安定』の人は何も考えてないか、他人に気持ちに恐ろしく鈍感な気がする。

私は『打たれ強い』人も怖かった。
強くなったんじゃない。当たり前として受け入れたのだ。
私は受け入れたくなかった。
受け入れてしまったら、私が私以外の誰かに同じことをしてしまう気がした。

『精神不安定』と言われてから何度も転職を考えた。
でも無職になるのも嫌でズルズル会社に居続けた。

慌ただしい夕方だった。
課長が声をかけてきた。
「お客様からもらったんだけど賞味期限今日までだから切って配ってくれる?」
ホールケーキ6つが机に置かれた。
男性社員がわらわらやって来て箱を開け始めた、
おー、すげー。
食べたい。
よろしくね。
切れるの?また切り口汚いんじゃない?

誰一人、大変そうだから手伝おうか、と言わなかった。
私は終業と、仕事と、切る為にかかる時間の計算をしようとした。
出来なかった。

ケーキが見事な弧を描いて飛んだ。
1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ。

時間が止まった。
誰も動かなかった。
一人の男性社員が自分の席に向かって走り出した。
それをきっかけに周りの男性も一斉に席に戻り何事もなかったかのように仕事を始めた。

私は生まれて初めて職場放棄した。
帰り道涙が出てきた。
そして募金箱と貧しい国にいる子供達のことを思った。
1カ月分の給料を寄付しようと心に決めた。

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