中高年の「ひきこもり」対策に必要な視点

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45436170Z20C19A5CC1000/

 今回の事件が「ひきこもり」に対する偏見を助長してしまわないかと心配だ。ひきこもる人たちが危険だと決めつけてはいけないし、ひきこもりは本人だけの責任ではないことも理解しておく必要がある。

 とはいえ多くの人がひきこもる生活に満足しているわけではないし、社会にはひきこもりから脱出するための支援が求められる。

 こんな話を聞いたことがある。グローバル企業の経営者だった人が退職後、悠々自適の生活に入った。ところが現実の生活ぶりを覗くと自宅のリビングに入り浸りで、怠惰な生活を送っている。家族によると本人は毎日、孫と菓子の取り合いや、テレビのチャンネル争いばかりしているそうだ。

 滑稽に思えるかもしれないが、考えてみればある意味で自然なことだ。現役の間は彼にとってグローバルな市場が「世間」であり、そこでライバル企業との競争をいかに制するかが大きな関心事だった。退職後はその「世間」が家庭になり、ライバルが孫に変わっただけのことである。

 このケースからもわかるように、人間、とりわけ日本人にとって「世間」の影響力はとても大きい。それだけに「世間」を広げるには勇気が必要であり、ハードルは高い。

 しかも年齢が上がるほどプライドが高くなり、それも世間を広げるのを邪魔する。とりわけ会社や役所などで高い地位に就き、「○○専務」「○○部長」と呼ばれていた人が、再就職先や地域活動で「○○さん」と気軽に呼ばれ、対等に付き合うには大きな抵抗を感じる。ちなみに、これも「承認欲求の呪縛」である。だからといって、承認欲求を捨てろとか棚上げしろとかいっても難しい。そもそも「欲求」とは人間に備わっているものであり、本能に似たようなものだからである。

 そこで中高年の「ひきこもり」対策においては、いかに彼らのプライド(承認欲求の一種)を尊重するかがポイントになる。地域のため、あるいは身近な人たちのために「一肌脱いでやろうか」という気持ちにさせる工夫が必要ではなかろうか。実際、地域の見守りや、災害復旧支援、農作業の手伝い、中小企業の経営に関するよろず相談など活躍の場を与え、成果をあげている例は少なくない。

 中高年の「ひきこもり」対策には、これまでと違う視点が必要なのである。

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。