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春の終わり、夏の始まり 25

16時ごろ、宿泊する旅館の駐車場に到着した。
ここから旅館のバスに乗り、勝浦港の桟橋へと向かうのだ。
旅館は勝浦湾に突き出す半島に建っており、桟橋からは専用の船で移動する。

「さっきまで山の中やったのに、今は海の景色なんやなぁ」
唯史が目を輝かせる。
青い海が広がる中、船はゆっくりと桟橋を離れた。

海の向こうに、「紀の松島」の島々が点在している。
夏の青空、紺碧の海、そして荒々しい島の断崖。
唯史は夢中でカメラのシャッターを切っていた。
その様子に、義之が温かい目を向ける。

5分ほどで、船は旅館に到着した。
ロビーでチェックインを済ませ、部屋へと向かう。
館内はとても広く、本館と2つの別館、さらに山の上にも別館があった。

義之が予約したのは別館、太平洋に面している部屋だった。
二人は荷物を置き、窓際のソファに腰を下ろした。
窓の外には、太平洋の荒波が広がっている。

「唯史、疲れた?」
「いや、全然。今日はずっと義之が運転してくれたから、俺はラクやったよ」
打ち寄せる波を見ながら、唯史は煙草に火を点ける。
「喫煙可の部屋にしといてよかったな」
義之もまた、箱から1本のタバコを取り出した。

夕食前に、二人は温泉を堪能することにした。
洞窟の中に湧く温泉が、この旅館の目玉である。
洞窟の開口部は、すぐ海になっている。
「あー……」
岩風呂に肩までつかり、義之が息を吐いた。

「すごい景色やな」
唯史は、洞窟から見える海の風景に見入っている。
空の青、海の青、そして打ち寄せる波の音。
唯史にとってはすべてが珍しく、見るものすべてに感動を覚えていた。

那智勝浦といえば、生マグロの漁獲量日本一を誇る。
夕食はバイキング形式で、さまざまなマグロ料理のほか、和洋中の料理が並んでいた。
唯史と義之は、心ゆくまで南紀の味を堪能した。

そして部屋に戻り、窓際のソファで義之は焼酎ロック、唯史は缶チューハイを飲んでいた。
気持ちいい酔いが体にまわっている。
部屋の座卓は隅に寄せられ、仲居さんによって布団が敷かれていた。
外はもう暗くなっていて、打ち寄せる波の音が聞こえている。

「義之、ほんまありがとう。義之がおらんかったら、俺は今ごろどうなってたか」
くいっ、と唯史は缶チューハイをあおった。
「どうした、改まって」
おどけた調子で言い、義之が微笑む。
「いやほら、色々あったやん。元嫁の不倫から離婚して、地元に戻ってきて。あの頃はほんま、ズタボロやったからさ」
唯史は、遠くを見るような目で暗い海を見た。

「中3の頃はよかったなぁ。毎日が楽しかったわ」
タバコに火を点け、唯史は深く吸い込む。
「そうやな。何も考えんと、アホばっかりやってた気がする」
義之は笑いながら同調し、ちびりと焼酎ロックをなめた。

「唯史はキレイな顔してたから、常に女子に追い掛け回されてたなぁ」
「いや、やめて。顔に関しては、あんまりいい思い出がない」
唯史が苦笑する。
見た目ばかりがもてはやされた、中学時代。
そして大人になってからの、結婚、離婚。
唯史は、自分の容姿に価値を見出すことができなかった。

「その点、義之は見た目も中身も男前やから良いよなぁ」
義之と同居を始めて2か月、唯史は義之の優しさに甘え切っている。
「それで彼女いてないとか、もったいない。あ、俺が邪魔してるんかな」
最後のひとことを笑いながら言い、唯史は缶チューハイをあおった。
少々酔っているようである。

「唯史が邪魔、てことはないよ。俺が女に執着せぇへんだけで」
タンブラーの焼酎ロックを飲み干し、義之はテーブルに置いてあったカメラを手に取った。
すかさず、唯史にレンズを向ける。
「唯史、浴衣似合うなぁ」
「それ、普通はオンナに言うセリフやん」
「てか、脱力した表情がいいな」
義之は、すっかりリラックスした唯史の姿を、何枚かカメラに収めた。

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