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春の終わり、夏の始まり 24

7月第1週、週末の朝。
澄み切った青空が広がり、真夏を思わせる日差しが降り注いでいる。
義之が運転する軽自動車に乗り込んだ唯史は、これから始まる旅への期待で心が高鳴っていた。

「よし、行こか」
旅に必要な荷物を積み込んだ義之は、車のエンジンをかける。
車は軽自動車だが、後部座席を倒し、たくさんの荷物が積めるようになっている。

1泊2日の旅行計画で、まず目指したのは奈良県・十津川とつかわの「谷瀬たにせの吊り橋」であった。
まず、和歌山県北部から奈良県に至る京奈和けいなわ自動車道を走る。
車窓からは、進行方向に向かって左に和泉山脈、右側遠くには紀伊山地の緑が見える。

「旅行とか、ほんま久しぶりやわ。めっちゃ楽しみ」
窓の外の景色を楽しみながら、唯史はワクワクする子供のような表情を見せていた。
「それは良かった。温泉もあるし、ゆっくり疲れを癒そうや」
唯史の表情に、義之も温かい笑みを浮かべる。

五條インターチェンジで京奈和自動車道を降り、国道168号線を南下する。
国道168線が通る奈良県西吉野地方は、豊かな山林に恵まれている。
ほぼ川沿いのルートなので、自然の風景が美しく目に映る。

南大阪の自宅を出発してから、2時間ほどで谷瀬の吊り橋に到着した。
村営の駐車場に車を停め、それぞれにカメラを首から下げて吊り橋を目指す。

駐車場からほどなく、巨大な吊り橋が二人の目に飛び込んできた。
十津川(熊野川)にかかるこの吊り橋は、長さ297メートル、川からの高さは54メートルもある。
目の前に広がる長い吊り橋は、下を流れる澄んだ川と、周囲を取り囲む緑豊かな山々が美しいコントラストを描いていた。

「けっこう高いなぁ」
唯史は吊り橋の入り口に立ち、慎重に一歩を踏み出した。
橋がわずかに揺れ、バランスを崩しそうになる。
対して義之は割と平気らしく、
「これはこれで楽しいやん」
と、少々不安そうな唯史にカメラを向ける。
橋の中央に差し掛かる頃には、唯史も橋の揺れに慣れたようで、周囲の風景をカメラに収めていた。

吊り橋を渡り終えた頃、ちょうどお昼時になった。
唯史と義之は、吊り橋近くのカフェで昼食をとることに決めた。
インターネットで調べたところ、オムライスがおいしいらしい。
吊り橋が見渡せるテラス席に座り、二人はオムライスを注文した。

ボリュームたっぷりのオムライスを堪能してから、また車に戻る。
「次は熊野本宮大社に行ってみよか」
義之が提案した。
「うん。本宮、一回行ってみたかったねん」
嬉しそうな顔を、唯史は義之に向ける。

「唯史、本宮は初めて?」
「そやな。これまで神社とかお寺とか、ほとんど行ったこと、なかったから」
唯史が寺社を訪れるようになったのは、義之と写真を撮るようになってからである。
これまで神仏にまったく興味のなかった唯史あったが、寺社の持つ荘厳な雰囲気に興味を持ち始めていたのだ。

谷瀬の吊り橋から熊野本宮までは、カーナビによると1時間弱ほどの道のりらしい。
国道168号線を南下するルートは、緑豊かな山道が続く。
「ずっと東京やったから、こんな景色忘れてたわ」
ぽつりと唯史がつぶやいた。
美咲と暮らしていた頃が、もう遠い過去のように思えている。

「大学出て社会人になって、結婚して離婚して…あっという間の20代やった気がする」
唯史は、タバコに火を点けた。
「俺は高校出て専門出て、そこから写真一筋やったなぁ」
ハンドルを握りながら、義之もタバコをくわえる。

ふと、唯史は聞いてみる気になった。
「そういえば義之、彼女とかどうなん?中学の時はそこそこモテてた記憶があるんやけど」
自分と同居をしていることで、義之の女性関係を邪魔しているのではないか、と唯史は少し懸念していたのだ。
「うーん、今は彼女とか無理やな」
ぷかり、と義之は煙を吐き出す。
「なんで、また。義之やったら、いくらでも女が寄ってくるやろうに」
疑問を口にしてから、唯史は煙草を消した。
「いや仕事が忙しくてさ、それどころじゃない、て感じかな」
むしろ仕事をしている方が楽しい、と義之は笑顔を見せた。

7月の日差しが差し込む中、車は熊野本宮大社に到着した。
「ちょいと暑いけど、石段上ろっか」
晴れ渡る空を見上げ、義之は車を降りた。
「水筒持って行っとこう」
唯史は、持ってきた保冷マグボトルを、リュックのサイドポケットに差し込む。

熊野本宮大社の鳥居をくぐると、杉木立の中に石段がそびえていた。
石段の両脇には「熊野大権現だいごんげん」と書かれた奉納のぼりが並んでいる。
神域の空気を味わうように、唯史と義之はゆっくりと石段を上っていった。

熊野本宮大社の社殿は圧巻というほかない。
第一殿から第四殿と、大きな社殿が立ち並び、さらに正面右に「結びの神」の小さな社殿がある。
それぞれに賽銭を納め、唯史と義之は二礼二拍手一礼をもって参拝した。

さらに二人は、大斎原おおゆのはらへと向かう。
大斎原は、もともと熊野本宮大社のもともとの境内があった場所で、本宮大社からは徒歩5分ほどである。
熊野本宮大社は、古来より熊野川と音無川の中州にあった。
だが明治22年(1889年)の洪水で社殿が流されたため、現在の高台に移築されたのである。

大斎原へは、田んぼの中の参道を歩く。
参道の向こうに、日本一の大鳥居が立っている。
濃い緑色の田んぼ、そして大鳥居の風景を撮りながら、唯史と義之は参道を進んだ。

大斎原の旧社地に詣で、二人は車に戻った。
「暑い……」
義之は、車に積んであったクーラーボックスから、冷えたスポーツドリンクを取り出し、一気にあおる。
時刻は15時。
夏の太陽が、容赦なく照り付ける時間だ。
唯史もまた、マグボトルの麦茶を喉に流し込んだ。

「そろそろ旅館に向かうか」
義之が、カーナビをセットする。
「もう何年も前に行った旅館やねんけど、洞窟の中に温泉があるねん」
「それ、すごいよな。俺は行ったことないけど。なんか楽しそう」
無邪気な笑顔を浮かべて、唯史はスマートフォンで旅館のサイトをチェックしている。

「旅館の駐車場まで、ここから1時間くらいか。唯史、疲れてたら寝てくれていいから」
「うん、ありがと。まぁ多分いけると思うけど」
と答えた唯史であったが、義之が車を走らせてから5分後には、助手席でうとうとし始めた。
楽しすぎて、疲れたのであろう。

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