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家の「苔玉もみじ」から新芽が芽吹いた話。

僕の家には苔玉が住んでいる。

苔玉の上に小さいもみじが咲いている様な、植物屋さん?とかでよく売っているタイプのやつだ。一年ほど前に、オカンが出先でノリ買ってきたやつを譲り受けた。ちなみにそいつは洗面所に置いてある。

咲いているもみじは冬になると同時に、少しずつ枯れていった。何日か水をあげるのを忘れていた時があって、その時くらいから枯れていった気がする。苔もその時は少し茶色くなってきて、やばいと思ってそれから毎日忘れず水をあげる様になった。

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それでも季節からなのか、自分の怠慢からなのか。

もみじはどんどん枯れて行った。

だからといって手を加えるような真似はしなかった。何を隠そう、割とどうでもよかったし面倒くさかったから。「あぁ枯れてきたな」くらいの感覚で横目で見守っていた。

そして、あの短命のワニが死んだ日の3月20日の15時頃。

家に帰ってきた僕はいつも通り手を洗いに洗面所に向かった。サッと済ませて苔玉をチラ見して立ち去った後、見慣れない存在に気がついた。

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よく見ると、枯れたはずのもみじの枝先に小さな新芽が咲いていた。


「お前生きてたんか!!」


自分以外は誰もいない家の中で、近所の人に聞こえるくらい割と大きな声で叫んだ。その言葉だけ聞くと、恐ろしい犯罪に手を染めた人にも聞こえなくもない。ちなみに犯罪は犯していない。

何度も言うが、小さな新芽たちがいくつかパラパラと咲いていた。

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「なんだコイツ。可愛いぞ。」と思って、記念に写真をパシャパシャ撮った。こいつは僕に何もしてこないし、水をあげるのを忘れても文句だって言わないし、健気だし一生懸命生きてるし可愛いし健気だ。

大袈裟じゃなく、少し感動した。

春になると新芽が出るってのは、一般的には当たり前の事かもしれないけど、実際に目で見てみないと中々実感はできない。公園に咲く桜も梅も、僕からしたらいつの間にか咲いていたものだ。自然のサイクルの実感なんてあるわけない。

ただ今回みたいに枯れる過程まで見てきたら、やっぱり感じるものはある。勝手に死んだと思ってたけど、それは僕が決める事じゃなかった。生命力は侮れない。すごい。

それからと言うものの。顔を洗いに行ったりした時に、いつもは横目で見ていた苔玉もみじを最近はじっくり見る様になった気がする。ボソッと可愛いと呟く僕はやっぱり気持ちが悪いと思う。

ただ多分それも持ってあと1週間くらいだろう。

1週間も経てば、多分その頃にはまた横目で見ているに違いない。感動は一瞬だけど、慣れるとそれも日常だ。すまない。苔玉もみじ。それが僕ら人間なんだ。

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