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お客様は「暖かい」方がいいか、「硬い」方がいいか?

またまた久し振りの投稿です。よく「今日のお客様は暖かかった」「ソワレの客、硬かったね〜」とか役者が楽屋で言います。芝居は生ものです。僕は大概本番を客席で見ているのですが、確かにお客様の反応や温度は、同じ芝居でもステージ毎に全部違うのを肌で感じています。役者として舞台に立ったこともあるので、舞台上から客席の空気の違いを体感したことも何回もあります。そこで思うのですが、役者は硬い(冷たい?)客の前と、暖かい(優しい?)客の前でやるのとどちらがいいのでしょうか?
勿論、役者の立場から言えば、後者の方がいいに決まっています。
でも、本当にそれでいいのか。ふと僕は疑問を持ったのです。

例えば、お笑い芸人なり落語かなりが舞台(高座)に上がる。所謂「つかみ」の部分で、何となく客席の空気が掴めるわけです。もし暖かいお客様なら、ここぞというところで笑ってくれたり、普段はあまり笑いがこないようなところでどっとうけてくれたりするでしょう。演者からしたら間違いなく嬉しいです。すると、演者ものってきます。ギャグが冴え渡り、リズムや間合いが絶妙な感じになります。すると、お客様はさらに盛り上がり、客席が暖まる。演者はさらにのる…。まさに相乗効果で、どんどん面白さが加速していく。お客様は大満足、というわけです。たまに、いや、しょっちゅう(?)お客様の暖かさで調子に乗りすぎてしまい大失敗、やり過ぎ…なんてこともあったりします。
逆に、硬いお客様の場合は地獄です。つかみからして反応がない、または極端に薄い。これは何とかしなければと芸人は心の中で思います。平常心を装いつつ、できる限りのことをしようとし、普段はやらないようなこと、打ち合わせにはなかったネタをやります。しかし、客席の空気は重いまま。焦る演者は、さらに盛り上げようといろいろやるものの、完全に空回りしたまま、空気はさらに凍り付いてくる。切り札といて出したネタも完全に不発…。もうこうなると針のむしろ、生き地獄です。結局最後まで客席を暖められず、時間切れで何とかまとめて舞台をおりるしかなくなる。お客様も演者も心が重くなる…。演者が何とかしようと焦っておかしなテンションになっていることは、お客様に伝わります。そうすると、お客様はなおさらさめる。まさに負のスパイラルです。

演劇も基本的には同じです。コメディであろうがシリアスであろうが不条理であろうがエンタメであろうが、客席の反応ひとつで役者の出来、ひいては舞台全体の出来が変わってきます。僕の脚本は基本はシリアスですが、時々くすぐりのようなものが入っています。そこで誰もくすりとも笑わない時もあれば、思った以上に笑い声が起きる時もあります。シリアスなシーンも同じです。泣いているお客様が多い回とそうでもない回があります。そして、そういうことが如実に表れるのがカーテンコールの拍手です。役者がのった回、すなわちお客様が暖かかった回と、そうではなかった回は、拍手の熱量がはっきりと違います。勿論、度々いいますが舞台は生ものですから、「今日の出来は素晴らしかったな」と思った回でも拍手はあまり力がなかったり、そのまったく逆があったりします。
芸人でも役者でも、調子の良し悪しや気持ちの乗り方は毎回違いますから、これはある意味致し方ないことです。相手役の調子が悪ければ、それを受ける方も調子が狂い、そのちぐはぐな空気が芝居全体に、そして客席に蔓延します。出来の悪かった回に来て、重い空気を味わって帰ることになったお客様には、本当に申し訳なく思ってしまいます。

そこで先程の疑問に戻るのですが、「天国」と「地獄」、一体どちらが役者にとってはいいのでしょうか。毎回お客様が暖かい劇団や団体でやっている役者と、逆にお客様が硬い、重い作品に出演している役者と、どちらが役者として身になることをしているといえるでしょうか。もっと端的に言えば、どちらが役者として成長できるのでしょうか。いい芝居ができる(ようになる)のでしょうか。
まるで僕が結論を持っているかのように書いていますが、実際のところ僕にも分かりません。重苦しい、または硬い、またはしらけた空気をどうやって変えて、舞台を本番をやりながら立て直していくかの「実地訓練」は、役者を鍛えることになるでしょう。しかし、お客様をのせる、舞台に引き込むことに最初から成功して、そこから舞台と客席の相乗効果で作品がどんどんよくなっていくのには、当然その役者の力量も関係しているわけです。その中で、今までは発揮できていなかった力を出せる瞬間があったり、初めて「これだ!」という演技ができたりする(所謂「初日が出た」状態です)ことが結構あります。ということは、どちらのシチュエーションも力に変えられる役者が、本当に力量のある役者ということになるわけです。

これはあまりにもありきたりな結論です。ただ、忘れてはならないのは、一体どっちの客席になるのか、始まってみないと誰にも分からないということです。そして、しつこいですが、舞台は生ものですから、どう転ぶかも分かりません。誰かが途中で取り返しのつかないミスをして、それまで積み上げてきたものを一気に崩してしまうかも知れません。しかし、それが怪我の功名でいい結果に繋がることもあります。
何が起きても対処できる判断力と瞬発力が、芸人同様役者には求められるのです。それには場数を踏むしかないのですが、希に初舞台でもそれができる人がいます。
これはまさに「生きること」そのものです。「この世は舞台、我らは役者」とはシェイクスピアもうまいことを言ったものですね。

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