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朗読の奥深さ

少しご無沙汰してしまいました。気が付けばもう2月。この分だと、1年なんてあっという間に経ってしまいますね。

さて、一昨日ですが、舞台や朗読劇で活躍するとある女優さんとお話をしてきました。3年程前に出会い、僕の舞台や朗読劇にも、これまでに3回出演していただいています。その他にも、たった2回しかやっていない「FBIが配信しちゃうよ!」という配信番組にもゲストで出ていただいたことがあります。
その彼女から「朗読」についてじっくり話を聞いてきました。というのも、2021年は、僕のユニットFavorite Banana Indiansは朗読劇に力を入れていこうと思っているのです。コロナの収束が見通せず、先行きが不透明な中、劇場を使った演劇公演は暫くはできないだろうというのが、僕の読みです。そこで、比較的手を付けやすい朗読を活動の中心に据えてみようと考えつきました。ただ、朗読には朗読の「作法」があり、ある程度の特殊技能も必要とされる筈です。その辺りを中心に、彼女に実態を聞いてみました。

朗読劇を配信をする上でまずネックになるのが、機材の問題です。彼女は、昨年にコロナの流行が始まったばかりの時点で、今後は自宅からの案件が増えるだろうということを見越して、宅録の機材を買い揃えたそうです。具体的には、Webカメラ、照明、マイク、オーディオインターフェイス、そしてパソコンです。10万以上の出費になったそうですが、そのおかげで、その後の自宅からの配信をベースにした朗読劇のコンテンツに参加することができるようになりました。
僕が実際に見たのは、zoomのような画面に出演者が1人1画面で写り、台詞をやり取りする朗読劇です。全員が自宅から参加し、それを配信元のパソコンに集めて配信するやり方だったそうですが、配信用の機材も必要になります。
それだけではなく、各々の回線で、少しずつですが遅れが発生します。そのために会話が途切れたり被ったりしないように、出演者は予め各々のその日の回線の状況を把握し、それを加味したタイミングで台詞を出さなくてはなりません。これは、なかなか高度なテクニックで、声だけの収録等に相当慣れていないと、普通に舞台だけで役者をやっている人には無理でしょう。
これを聞いた段階で、僕はリアルタイムの配信で行う朗読劇という選択肢は捨てました。

では、普通に場所を借りて、お客様を入れて行う朗読の場合はどうか。
上記のようなテクニカルな問題はなくなります。ただ、今度は役者の方のスキルの問題が出てきます。
彼女に言わせれば、朗読劇はさながらジャズのセッションのようなものです。稽古はあまり行わず、カチッと決めるというよりは、その時に相手から発せられたものをキャッチして、的確に返していくという、キャッチボールが如何にうまく行えるかが鍵になります。朗読に不慣れな役者は、どうしても手に持った本に目を落として読みがちになりますが、本来の朗読は、本はあるけれどないようなもので、アイコンタクトも必要になります。
普通の芝居の場合は、割ときっちり段取りを決めて、そこを外さないようにしながら、感情を入れていくという作業になります。本番で稽古と180度違うことをやるのは、普通は許されません。(勿論、人間がやることですから、毎回少しずつは違ってきます。)そういう意味では、朗読の方がその場で生成されるもの=「生」の感覚が強いかも知れません。

もう一つ、面白いことを彼女は教えてくれました。それは、シーンの背景に流れる音楽(BGM=M)に関してです。普通の舞台だけやっている役者は、演技中はMをあまり気にしていません。むしろ、Mに過度に引っ張られるのはよくないとされています。それに対して、朗読の役者の場合は、Mにも気を配ります。Mの曲調を聞き、Mの盛り上がりに台詞(感情)の盛り上がりが当たるように計算して、台詞のスピードを調整するのです。これは、朗読劇には基本役者の動きがなく、お客様に届けるものが主に「音」であることに由来します。特に声優さんは、音(声色や強弱・緩急)で勝負します。なので、相手役の台詞の音の変化にも対応しますし、Mにも敏感になります。神経を使う所が、舞台俳優や映像の俳優とは違うのです。だから、声優さんが舞台に出ると、どうしても台詞(声)のみで演技をしようとしてしまい、浮いてしまうことがあります。「声優芝居」と揶揄される所以です。
両方をきちんとスイッチしながら演技ができる彼女のような人は、なかなか凄いと思います。それは、映像と舞台で演劇を切り替えられる人の凄さにも通じます。

要は、朗読を甘く見てはいけないということです。お手軽に取り組めるようでいて、実はとても奥が深いのが朗読です。考えてみて下さい。それこそ「音」(=声)のみでお客様を作品の世界に引き込み、飽きさせることなく一定時間惹き付けておかなくてはならないのです。会場にもよりますが、照明も殆ど変わらず、役者も座ったまま動かずが基本ですから、本当にその役者の力量が問われます。不慣れな役者ばかりで朗読公演をやってしまうと、結果は悲惨なものになる可能性が高いです。分かっていたつもりでしたが、彼女と話をしながら、改めてその難しさを再認識した次第です。
それでも、コロナ禍で何らかの活動を続けるとなったら、朗読が有力な選択肢であることにかわりはありません。例え赤字覚悟でも、赤字の桁が劇場での公演とは違いますから、その点でも主催者側としては安心感があります。僕も、昨年朗読を2本やってみて、Favorite Banana Indians独自の朗読劇のスタイルが見えてきたところです。これをもう少し深めて、独自の路線で勝負していきたいと思っています。

実際にやるとしたら、春になるでしょう。今年前半に1回はやっておきたいところです。具体化しましたら、また公式サイトやこちらでお知らせしますので、首を長くしてお待ち下さい。

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