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企画と広告に関しての持論

企画や広告の表現物は
結構軽く扱われることがある。

「おれでも考えれるわ、こんなん」みたいな。
これねぇ、実は結構難しいんですよ、、、

そんでねぇ、それを真似て違う人が作っても
同じクオリティの物は作れないし
中途半端な結果になってしまうんですよね。


アイデアを次々に出せる人は重宝される。

でも次々とアイデアが出るから
その価値を軽視されることもある。

自分にとっての企画は
回転率をあげて連発するものではない。

CHEFなのでレストランに例えると、口を待たせないために早く出す前菜もあれば、しっかり焼いて提供したり、相手の状況に合わせて料理を出していくようなものと思っている。

なんでもかんでも次々に料理を出されたら、客は困惑する。自分のやる仕事はそういう相手の表情や温度感や気持ちを汲み取って表現していくものと思っていて、ここがズレると悪いPRになることがある。

だから企画を大切にしているし、大切な人が求める時に最高の物を適したタイミングで出すと言うのが自分の持論です。

そういうスタンスなので、絶対やらなきゃいけないとか、誰かの何かのために取り繕ってやるものではない。要するに顧客のためでなければMustでやるものではないということです。

自分にとっての企画・広告・イベントは、知らない人たちに魅力ある素材を表現する大切なステージ。だから安易に企画はたてられないし、毎月やるだの月に何回やるだの、義務化してやるものではない。

企てる人の思惑が存分に入るから、やらなければいけないというmustの気持ちでやる企画はいいものになりません。それはもはや作業です。その方向性を間違えるとお客さんはその場所の価値が下がったと思って、気持ちも離れていく。

だから、自分は丁寧に目的もって計画された広告や企画が大好きで、色んな考えが詰まった表現物にいつも勉強させてもらってます。

そして企画や広告などの表現物は連発しすぎると、その理由がなんなのか?となってしまう。内容を見ればその発信者の気持ちがわかっちゃうので思惑や焦りが色濃く出る。

だから広告って面白いし、怖さもあるのです。
気持ちはわかりますけどね。

でもね、本当にその人がその場所を大切にして
そこに来る人のことを考えて、法律を守り、安全を配慮して計画できたら、どんな人でもとても素敵なものが出来ますよ。

そしてそういう場所に人は集まる。
お客さんは主催が表現するそのものに
愛と想いが詰まっているか?
これを一番見ています。

だからひたすら想像するんです。

そうすると良いものが作れるのではないかなと思います。

あ、そうそうもうひとつ

たまに自分の想像を越える反応があることがあります。それは自分の見立てより、素材のおくゆきが溢れ出る時や、素材の掛け合わせで化学反応を起こす時。そしてお客様のコンディションが良くて、良い反応が生まれた時。

要するに嬉しい誤算ってやつ。


そういう時に
奇跡は生まれるものなのです。


今日もまた
誰かに向けて表現・発信する勇気ある人たちへ
参加する方を想像して、最高の準備を!


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