夢亡き世界 第16話
ある日のこと、いつもと同じようにユメは端末と向かいあっていた。すると部屋のドアをたたく音が聞こえる。音を聞いて振り返るとドアが開き白衣姿のナカハラが入ってきた。
いつもなら、すぐに無視して端末に向き直っていたかもしれない。しかしノックして部屋に入ってきたこと。へらへらした表情ではなくいつになく真剣な表情だったため、ユメは端末に向き直ることを忘れてそのままナカハラの顔を見つめていた。
「そんなに見つめられると照れるじゃないですか」
いつもの表情が顔をのぞかせたので、無視して端末に向きあおうとする。
「……というのは冗談です。ユメさん、下克上しませんか」
ナカハラの言葉を聞いて改めてナカハラに向き合う。下克上? 言葉の意味からなんとなく伝えたいことはわかる。しかし、そんなのは不可能に近い。
「それは社長に対してってこと? そんなの無理に決まっているじゃない」
時間を遡れるクロミヤに対しては、なにをしたって無駄だ。それはなんども痛感した。
「なにをしたって夢の力を使われればおしまい。そもそも私がここにきた経緯だって知っているでしょう」
「まあ夢の力で負けて屈服したのはよおく知っていますが」
「……それでも下克上ができると思っているの」
いちいち癇にさわるが無視して話を続ける。
「ええ。夢の力を使えなくなるようにすれば」
頭がついに壊れてしまったかと思い二の句が継げなくなる。しかしナカハラの目は真剣そのものだった。
「夢の力を使えなくする。そんなこと本気でできると思っているの」
「ええ。実は私自身が夢の力を使えるようになりたい。そうして社長に一泡吹かせたい。その一心で研究を繰り返していましたから」
研究。それはナカハラが夢の力を使う人を捕らえたときにしていることだ。
「夢の力についての資料はDLFにしかないですからね。いくつか手に入れたものはありますが……。そうなると研究することでしか情報が得られないですから」
「研究者ぶらないで。あなたはただ人がいたぶるのが好きなだけでしょ」
「心外ですねぇ。楽しんでいたのは否定しませんが、きちんと研究としてデータを集めていたんですから」
にやにや笑う姿に吐き気を感じる。
「夢の力を使えるようになりたいなら、そのメカニズムを知らないといけない。ユメさん。夢の力を使うには夢の世界を進む原動力、そして現実の世界に戻ってくる意志が必要になるんです」
「どういう意味?」
急に演説するかのように話しはじめたナカハラについていけない。
「夢の力による超常現象は、夢の世界から新たなエネルギーを持ち帰るためです。そして強力な能力になるには、夢の世界に奥深くに入る必要がある。でも夢の世界から戻ってこられないと漆黒になってしまう。ここまではわかっていますね」
ため息をつきながらナカハラが説明する。自分自身も漆黒になりかけたことがある。そのときはたしかに夢の世界の深くへと入っている感覚はあった。
そしてクロミヤのことも思い出す。彼女との戦いで感じたことは恐怖だった。さまざまな種類の夢の力を使い、また時間を巻き戻せるほど能力も高い。
そのとき入りこむ夢の世界の深さは想像できない。それでも漆黒にはなっていない。
「つまり夢の世界の能力はふたつの要因に左右されます。ひとつはどれだけ深く夢の世界に入りこむか。そのためにはガソリンが必要です。多ければ多いほど深く入りこみ能力が高くなる。そしてもうひとつは夢の世界から帰ってくるために必要な、現実世界に根ざした錨のようなもの。これがなければ夢の世界から戻ってこられず漆黒になってしまう」
「そのガソリンと錨ってなんなの?」
「まずガソリンですが、これは夢の力を使うときの感情が影響しています。感情が強ければ強いほど夢の世界に奥深くいけるようになる」
ナカハラの言葉を聞いて、自分が漆黒になりかけたときのことを思い出した。あのときはナカハラに対する怒りや憎しみの感情が強まっていた。だからこそ夢の世界の奥深くに行けた。
「じゃあ錨ってなんなの?」
「それは絶対に戻ってくるという意志のようなものです。DLFで使っていた腕輪は簡易版、おもちゃみたいなものですけどね」
腕輪。ユメはなにもつけていない腕を見て思いをはせる。
それはナオミが開発した漆黒にならないためのデバイスだった。香りを嗅ぐことで、現実感を思い出させ夢の世界から戻ってこさせる。
実際にそのおかげで自分は夢の世界から戻ってこられた。
しかしサイバーメディカルに戻った時点で外してしまった。DLFを裏切った自分はつけている資格がないと思ったためだ。
「おもちゃというからには、さぞかし錨に関して理解が深いんでしょうね」
ナカハラのおもちゃという言い草に怒りが湧き、つい嫌味をいってしまう。
「おっ! ユメさんも僕みたいに嫌味がいえるようになってきましたか。長く一緒にいて仲良くなってきた証拠ですかね」
嫌味をいわれてもナカハラは特に気にする様子はない。むしろ、さらに神経を逆なでするようなことをいってくる。いちいち付き合っていたら、自分の感情がかき乱される。
「で、錨ってなんなの」
なるべく余計なことをいわないように注意する。
「腕輪は現実世界の刺激を与えるだけのもの。まあ嗅覚を使って記憶を利用するのは悪くないアイディアですが……。でもそれだけでは不十分。錨はもっと強い意志がともなうものです」
「強い意志?」
なんどか意志という言葉が出てくる。それは感情とは違うのだろうか。
「ええ。なんとしても現実世界に戻ってくるという意志が必要です。でも、なかなか調べられません。なんせ自分が出会うのは夢の力に目覚めかけている人。夢の世界に深く入り込む前にキャピタルに送ってしまいます」
「錨については、ほとんどわかってないじゃない」
「だからこそユメさんに協力を依頼したんです。そうすれば下克上は可能になるはず」
ナカハラの言葉に嫌な予感がよぎる。
「協力ってなに?」
「ひとつは錨の研究のためにユメさんの力を測定させてほしい。それと能力者の目線から社長のガソリンや錨について見極めてほしい」
「無理! ほとんど私に依存しているじゃない」
「しょうがないじゃないですか。ここまで夢の力が使える人はいなかったんですから」
「あのスーツの人がいたじゃない」
自分が最初にサイバーメディカルで拘束されたとき夢の力を使っている人がいたはずだ。イスに縛られたまま宙に浮いた経験を思い出す。
「ええ。彼は初めての能力者のパートナーだったのですが……」
そこで彼はバツが悪そうに口をつぐんでしまう。
「……でも大丈夫。私は失敗からきちんと学べる性格ですから。ユメさんに不利益が起こることはない」
どうして、それで説得ができると思ったのだろうか。
「それに社長を調べるのだって無理。すぐばれるに決まっている」
「そんなことはないですよ。なぜなら私だってある程度、社長のことは調べられましたから」
そういってナカハラは記録媒体を取り出してユメの隣にある端末に差し込む。端末を操作して写された画面をのぞき込むと、そこにはクロミヤに関する資料が表示されていた。
「クロミヤコウ、サイバーメディカル社長、年齢二十八歳。ただこれは嘘でしょうね。夢の力を使えば見た目だっていくらでもごまかしがきく。あの夢の力は二十年かそこいらで身に付くものじゃない」
「えっ! そうなの!?」
「すこし考えればわかりませんか。夢の能力が高いということは想像したものを実現する能力が高いということですよ。私ですら姿かたちを変えることなんて思いつくんです。社長ができないわけないでしょう。思ったより想像力がないんですね」
嫌味なんて気にならないくらいユメにとっては衝撃的な事実だった。見た目を変える。夢の力を使えば当然できるはずなのに。今までそんなことには思いが及ばなかった。
「じゃあ社長ってなにものなの?」
「だから、それを探ってほしいんです。特に社長の過去につながるような情報を。夢の力を使う者同士、なにか知っていること、気づくことはあるんじゃないですか」
ナカハラの言葉を聞いて、ある情景が頭の中に浮かぶ。それはある部屋の一室。ぬいぐるみやベッドのある一室だ。なぜ、この情景が頭の中に浮かぶのだろうか。
「コウ! 準備はできた!?」
女性の声が頭の中で響き渡る。
そうだ! あれはクロミヤが漆黒を見せたときだ。あのとき自分がなりきった少女。その子は母親にコウと呼ばれていた。
しかし、そんなことがあり得るだろうか。ただ名前が一致しただけだ。それでもこの考えが頭から離れなかった。
漆黒の体験、それはクロミヤ自身が経験したものではないのか。だからこそ、あのときの恐怖や悲しみを強く感じられたのではないだろうか。
「もしかしたら社長は想像するよりも、はるか長く生きているのかもしれない」
ユメはナカハラに今気づいた出来事、以前クロミヤによって体験させられた漆黒について話した。
あれはまだ夢の力が自由に使われていた時代だ。漆黒による危険性がわかってくる過渡期の時代。キャピタルが生まれる前の時代。
「たしかサイバーメディカルは創業二三〇年ですよね。となると社長は二百歳を優に超える計算になりますね」
ナカハラは腕を組んで考え込んでしまう。
「私の考えすぎかもしれない。そんな名前なんて世の中にいくらでもいるし」
「いや、あながち嘘ともいい切れない。偶然にしては怪しい。それに名前を変えない可能性は高い」
「どうして?」
「もし夢の力を使って姿かたちを変えているとしたら。年老いていく体もコントロールしているとしたら。そのときに名前は自分を表す大事な指標になる」
ナカハラの説明を聞いているとクロミヤがあの漆黒の体験をした少女であることが現実味を帯びてくる。
クロミヤはなぜ長い時間をかけてサイバーメディカルの社長となっているのか。二百年以上の歳月。数字としては理解できる。ただ、それを実際に体験したものの思考はわからない。
「ユメさん。ありがとうございます! その話を聞けただけでも何年もの研究以上の価値がありました」
ナカハラは記録媒体を端末から取り外し白衣のポケットにしまう。そしてそのまま部屋から出ていこうとする。
「ちょっと! 下克上の話はどうなったの」
勝手にひとりで納得した様子を見せているナカハラに声をかける。
「あれ? さっき無理っていいましたよね。私としては成果がありましたし、ユメさんが協力してくれないのであれば、ここにいる意味はないのですが」
「だからって、そんな勝手にされても……」
「そんなに僕と一緒にいたいなら、それもやぶさかではないですが。ただ時間がないので。デートはまた今度にしましょう」
そのままナカハラは部屋から出ていってしまう。結局、ナカハラの考えは何ひとつわからない。嵐のようにこの場をひっかきまわしていなくなってしまった。
ひとり残された部屋でユメは考える。そんなことをしている暇がないほど仕事は残っている。
しかしクロミヤが長い時間をかけて社長になった意味を考えずにはいられない。それに下克上を考えているナカハラ。自分に協力を頼みに来たはずなのに、結局はひとりで帰ってしまった。その行動に不安を覚える。
考えることが多すぎる。それはユメにとって二度目の経験だった。サイバーメディカルに戻ってくる前、クロミヤとたったひとりで立ち向かう日々。そのころと同じような状況に戻っている。
なにも考えたくない。ユメは意識的に目の前の仕事に戻りはじめた。ただでさえナカハラのせいで時間がなくなってしまった。
それに下克上なんてうまくいくはずがない。仮に二百年以上、夢の力を使い続けていたのなら、誰も敵わないじゃないか。
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