まひろの人生から葬られた男〜光る君へ
大河ドラマ「光る君へ」、毎回色々盛り込んでくるものです。
最近は毎話感想をノートにメモしているくらいです。
今回はあえて、右大臣家もとい本作の嫌われ役・道兼と、まひろが彼に対して出した結論について言及します。
(投稿しようとした矢先に大谷翔平選手の結婚報道で気が気でないのですが……それはさておき)
道兼に同情の余地はあったのか
兄弟の道隆や三郎(道長)と異なり、父・兼家に虐げられながら育った道兼。
1話のラストで、鬱屈とした感情の矛先がまひろの母・ちやはに向かい、ちやはは理不尽極まりない形で命を落とします。
まひろの母の死因は史実では明らかになっていないため、ずいぶん大胆な脚色です。
最初こそ「創作の胸糞展開は安っぽい」と非難した私ですが、この出来事が序盤の核になっているのは確かです。
初回以降、私はあえて道兼を「悪」と決めつけず、不遇な家庭環境を鑑みてどのように捉えていくか、静観していました。
裁判でいえば弁護士側として見る感じです。
8話まで観た結果、結論からいうと「道兼には同情の余地なし」です。
まず、真実を知った道長に問い詰められた際「あのような虫けら同然の人間はどうなっても良かったのだ」と開き直り、ちやはを自分より身分の低い者としてぞんざいに扱っています。
一方で、数少ない理解者・兄の道隆には血塗られた身を案じられ涙を流します。
二人が盃を酌み交わすシーンは道兼の不憫さが伺えます。
ただ、それ以上に道隆が道兼を懐柔しようとしているように映るシーンでもありました。
こんな家で育つと性根もひん曲がるよな、とは思いつつも、殺人は殺人。
戦国時代や幕末の斬った斬られたとは訳が違います。
死は穢れ。平安時代ではことさら、犯してはならない禁忌なのです。
決定的だったのは、8話での為時との接し方でした。
道兼は誰からも嫌われ、自分の居場所がないと為時に吐露。
右大臣の息子だから忌み嫌われるとは言っていますが、求心力のある道隆や学友の多い道長はさほどそのような描写が見当たりません。
「自分のせいやん」と画面越しに思わざるを得ません。
お人好しの為時は妻の仇であるにも関わらず、不遇な道兼に恭しく接します。
あくまで上下関係にならう為時にも呆れたものですが、道兼はあろうことか為時の厚意に甘えて自宅まで押しかけるのです。
ここで私は確信しました。
道兼は自分の身が可愛いだけで、根本的な人としての過ちを何も間違いだと思っていない。
そして少しでも甘えられる存在には気が大きくなる。
大河ドラマ好きの母も「道兼嫌い〜」と言っていましたが、嫌いを通り越して、人間として致命的な欠陥があると判断しました。
弱い人は復讐する。 強い人は許す。 賢い人は……
その道兼が突然自宅にやって来たものですから、まひろがどう対応するのか、予告の時点からはらはらしていました。
よもや小刀でも持ち出して斬りかからないよな……とか。
しかし、まひろの振る舞いは5話で泣きじゃくっていた様子から明らかに成長したものでした。
母に習った琵琶を道兼の眼前で披露するまひろ。
亡き母への思いがよぎり、束の間揺らぐ吉高さんの表情が本当に上手い。息を止めて見入りました。
道兼に問われても、母の死因を当たり障りのない病死と偽るまひろ。
ひとり浮かれている道兼が心底愚鈍で、哀れに映りました。
ここまで来るとどうしようもない阿呆です。
為時に詫びられたまひろが涙しないか心配でしたが、彼女はこのように答えました。
まひろが出した結論に、私のほうが涙が溢れて止まりませんでした。
『弱い人は復讐する。 強い人は許す。 賢い人は無視する。』という、アインシュタインの格言があります。
まひろはやはり賢い。
まひろは己の心の中から、ひいては人生から、道兼を葬ったのです。
生きている以上、考えたくなくても憎くて仕方ない人間のひとりやふたり、誰でもいることでしょう。
それでも、限りある人生において真に注力すべきことはほかに沢山あります。
自分にとって価値のないものにいつまでも心を傾けてはいられません。
胸に留めておきたい、まひろの気高い言葉でした。
そして、まひろが道兼を目の前につとめて冷静に振る舞えたのは、まひろを信じると言い切った道長が心の支えになっていたのもあるでしょう。
想いを断ち切ったとしても、まひろにとって道長の存在が変わらず大きいものだと痛感せずにはいられないのでした。
次週は直秀との別れが訪れる気配が濃厚です。
「俺は誰にも惚れない」と豪語していた直秀。どのような思いを託し、まひろはどう受け止めるのでしょうか。
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