創作エッセイ(8)情景描写の中の情報量とは

描写とは何のためにするのか

「説明するな描写せよ」、これを私は森村誠一さんの技法書で気づかされた。
 とは言え、必要もない描写を延々続けられても作品は冗長になるだけだ。
描写の第一の役割は、脳内に映像を想起させること。映像喚起力である。
同時に、描写は複数の背景情報を読者に伝えることができる。
 具体例を見てみよう。

 例文は、拙作「92’ナゴヤ・アンダーグラウンド」(Note掲載中)の第一話の冒頭である。

「社長はまだ戻っておりません。日を改めてまた来てくれって言われてます」
 カウンターに立った事務の男が、もう勘弁してくれよという表情で、そう繰り返した。
 額に汗が浮かんでいるのは、暑さのせいだけでもないだろう。
「困りましたねえ。今日がお支払い日でしょう。うちは本来、先月いただく予定だったんですよ、御社の広告費」
 久利は、困ったような表情を作って言った。その隣では後輩社員の山村が唇をかみしめて立っている。
 名古屋市中区錦三丁目の高級レストラン・ビストロ・ルビーを運営する有限会社タチバナの事務室だった。四階建てビルの一階と二階がルビーの店舗で三階が従業員の控室、そして四階がこの事務室なのだ。
 十畳ほどの小さな事務室で、入り口のカウンターの向こうには四台の事務机が島を作っていた。そこに座る女事務員が終業の準備をしながら、薄ら笑いを浮かべて久利達を見ている。出入り業者を見下す中小企業の社員によくいるタイプだ。
 タバコのヤニで茶色く曇った窓ガラスの外には、日没間近の薄暮の空が広がり、街の随所で点り始めたネオンサインの光が滲んで見えた。まるで涙で潤んだ目で見ているかのようだ。さしずめ、この涙は担当・山村のものに違いない
 今日は月末の支払日で、出入りの業者が次々と集金を済ませて帰っていく中、久利の勤務先・アドプランニング遊の扱った求人広告費の小切手だけが用意されていなかったのだ。

では解説。
直接は語られないけど、ここに込められている情報を列挙すると以下のようになる。
・季節は夏(額に汗が浮かんでいるのは、暑さのせいだけでもないだろう)
と同時に、事務員の狼狽も伝えて、問い詰めてる主人公はけっこう曲者(くせもの)らしい(困ったような表情を作って)ことを描いている。
・主人公の勤務先は小さな会社らしい(出入り業者を見下す中小企業の社員によくいるタイプだ) そして、主人公はそれに自嘲気味。
・部下の新人は気が弱い(山村が唇をかみしめて立っている。 さしずめ、この涙は担当・山村のものに違いない)
・1992年当時の時代色(タバコのヤニで茶色く曇った窓ガラス)

 描写の第一の目的は、いつ、どこで、だれが、を明確にすることなのだが、それだけではシナリオのト書きに過ぎない。そこに付加情報を加えることが小説の描写なのだ。

(追記)
ではシナリオでは何がそれにあたるだろうか。実は「セリフ」がそれにあたると思う。
複数の情報を付加したセリフの例を挙げる。

「おはよう、眠れた?
「なかなか寝付けなかった。あんなことがあった後じゃね
付加情報(物語のフックになっている昨夜のこと)

喫茶店で、砂糖を入れようとしながら
「お砂糖、まだ二つだった?」
付加情報(かつて交際していたけど、久しぶりに再会したらしい)

小説もシナリオもよく似てると感じる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?