創作エッセイ(33) リアルとリアリティ

最近X(旧・twitter)の創作系アカウント達の間で「リアリティ」が話題になっていた。
現在の私の主な執筆作品が伝奇SFシリーズ「不死の宴」である。舞台は近現代の日米両国である。このあたりのリアリティ演出の勘所は、荒俣宏さんの「帝都物語」シリーズで学んだ。今回はそんなお話。

リアルじゃないからこそ、リアリティが必要

「不死の宴」では、「日本の諏訪地方に残る謎の多いミシャグチ信仰とは、感染すると太陽光に弱くなり、食物嗜好に極端な偏りが現れ、その代わり不老不死になるという西洋風に言う”吸血鬼”を信仰するものだった」という大嘘が根本にある。
 だからこそ、それ意外の部分はリアルにリアルに描いてそれらしさを出すことに工夫した。

時代背景のリアル

 当時の日本では映画のフィルムは白黒が一般的でカラーフィルムなどは珍しかった。そこで、フィルム上映で姫巫女の戦闘力を見せるシーンでは、現代の読者のために「白黒フィルム」であることを書きたかったのだが、当時の人間たちには白黒こそが当然。あえて書くのも不自然だ。
 そこで、「モノクロームの映像のせいか体操着の白さが鮮やかだ」というような表現をした。
 モノクロの画像ではなく服装の色にフォーカスして語ったわけである。
 当時の人たちの場合、フィルムがカラーの方が珍しいのだ。
 ただし、その驚きを叫ぶ場合は、「おお、カラーフィルムですね」ではなく「おお、天然色フィルムですね」と言わせるのが正解だろうなあ。

ガジェットのリアル

 最近はインターネットでの検索で各種情報にアクセスできて実に助かる。
 昭和19年の手術室の描写では、情景の小道具として無影灯を出した。ただ、この無影灯がその時代に日本に存在したのかどうか不安になった。調べたところ、大正時代末期には日本に入っていたようで安心して描いた。
 また登場人物の学者が「電子顕微鏡があれば~」という台詞を言うのだが、これも調べたところ同年には日本に二台存在した。一台は大阪大学と判ったので、「一番近い場所でも大阪か」と嘆かせることができた。

登場人物の心情や社会のリアル

 女性キャラである守矢みどりは、昭和生まれの十八歳である。大戦中、戦地に送られた男性の代わりに多くの職場に女性が進出して、しかもちゃんと社会は動いていた。戦中は女性の地位や権利が大幅に認められ始めた時代でもあった。これは日米両国で起きていたこと。
 そこで、このみどりというキャラは進取に富んだボーイッシュな女性とした。以下引用。

 世間では女性の夜勤など論外だったが、ヴァンパイアの姫巫女をお守りする守矢の長女は特例なのだ。いや、今のご時世、出征した男の代わりに、バスや電車の運転など、従来は殿方の専用と言われた仕事に女性が進出していたし、しかもうまくこなしているではないか。
 婦人時局研究会の市川房枝先生も女性の参政権獲得のために奮闘しているじゃないの。
 そう考えると「女だって、やるときはやるんです」と思って胸を張りたくなるのだった。

以上引用

 余談ではあるが、婦人運動家の市川房枝氏は当時、翼賛体制側に属していたが、そのおかげで戦後の婦人参政権を獲得している。実は敗戦せずとも女性参政権は与えられることになっていたのだ。
 このような記述でリアリティを増すのだが、作家の荒山徹先生が、これを読んで「市川房枝効果」と名付けてくれて、私も思わず苦笑いした。ありがたい。無名作家の私には何よりの励ましになった。

名前のリアル

 登場人物の名前にもリアリティが必要だ。「不死の宴 第二部北米編」では登場人物の来歴や背景に応じてそれを考えた。舞台が1956年のアメリカ合衆国なので、警官ならアイルランド系の姓、ギャングはイタリア系娼婦上がりの美女はヒスパニック系といった具合に決めた。
 移民の国アメリカでは移民の時期が早いほど良い仕事や社会階層を独占していて、移民時期が遅れると、警察や消防という肉体労働(アイルランド系)、港湾労働者(イタリア系)、鉄道建設の苦力(中国系)と言った具合にどんどん社会階層の下へ追いやられたのだ。
 当然、日系キャラ、アーノルド清水の母親は収容所に入るまでは西海岸で洗濯屋をやっていたという設定である。
 一方、名の方は、年齢を逆算して誕生年を出した後、その年の赤ん坊の人気の名前(このような情報のサイトがあるのだ)トップ10の7~8位ぐらいの名前をチョイスした。
 たかがキャラの名前に、ここまで凝るのが私の流儀。何しろヴァンパイアという大嘘を補強するのだから。

リアリティ描写のために書く内容を変える

 昭和十九年の国鉄上諏訪駅を描く際、ホームから改札口、ロータリーといった情景を想像で描いたのだが、この時代、まだ実際の駅を知っている地元の人もいるに違いない。
「こいつ想像で書きやがったな」と思われるのもしゃくなので、駅の構造などの情景描写ではなく、改札からロータリーに向かって移動する際に、構内に張られた地元企業や戦意高揚ポスターの描写をした。キャラクターがそれを見て開戦当初より戦時気分が高揚してるなと気づく心象描写に変えたのだ。
 ちょうど図書館で戦中のポスターなどの図鑑を発見していた。その中には「理研ビタミン球」の広告もあった。戦前~開戦~戦中と時局に応じて内容が変わっていく。作中のキャラ・如月一心は正にその理研(理化学研究所)から軍に招聘されたという設定だったので、これを見つけた作者(私)は欣喜雀躍だった。

嘘にこだわるからこそリアルにこだわる

 以上のような「嘘とリアリティ」に関して、私が学んだのは前述した「帝都物語」(荒俣宏)と「産霊山秘録」「妖星伝」(半村良)である。これらの作品で学んだのは、
「歴史書に書いてないことは、歴史に矛盾しない限り、あってもいいことだ」という伝奇スピリット
 色々、考えるのが楽しみの一つでもある。
「~を装って~を騙す」
 伝奇作家とは、ある意味「詐欺師」と同じなのかもしれない。
(この稿、次回に続く)

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