1700字シアター(9)キラーフレーズ
(2021/04/23 ステキブンゲイ掲載)
N市役所の会議室である。
N市は、市とはいえ小さな自治体で、三階建ての市庁舎も白く無愛想なコンクリート造り、昭和の後期、全国に雨後の竹の子のごとく建てられた庁舎ビルの典型だった。
その後の耐震基準の見直しで、建物の外側に増設されたX字型の耐震構造が、逆にアクセントをつけて単調なビルに救いを与えてる感があった。
会議室の窓の外に、そのX字の構造が走っていて、昼とはいえ室内は薄暗かった。
その会議室で、俺は、教育文化課の小島課長を前に熱弁を振るっている真っ最中だった。
「ビジネスコミュニケーションで重要なのは最後の締めです。どれだけにこやかに商談を進めても、最後の一押しができない人が多い。その最後の決断を迫り、決断を促し、決断させる、それがキラーフレーズ、殺し文句です」
「なるほど」と課長が頷く。
「例えば、仕事の現場で上司を説得しているとき、最後にどう締めますか?」
「お願いします課長決めてください、かなあ」と小島。
「それでもいいんですが、効果的なのは、
あとはお任せします、決めるのは課長です、と言います。
課長に他者が行動をお願いするのではなく、本人の決意を促すわけです」
「よく違いがわからないなあ」と小島は首をひねっている。
「でしょう?
この違いがわかるようになるのが、私のビジネス・コミュニケーションセミナーなんです」
小島は、頷きながら、
「重要性はわかるよ、民間でも盛んにやってるやんコミュニケーションセミナー。
でも、それをどうして自治体でやるのかなあ」
もっともな疑問である。
実は、それの答えももう用意してあった。
「民間のセミナーは企業が主体、ですが、今本当にコミュニケーションのセミナーが必要なのは、企業ではなく、地域や家庭や学校ではありませんか?」
俺は精一杯の深刻な表情を浮かべて、現代社会を憂えてみせた。
「学校や地域でのいじめ、パワハラなどの事件は、コミュニケーションの小さな齟齬の積み重ねで起きているのではありませんか?」
本当はセミナー業界は民間需要が飽和状態で、ライバル業者も多い。供給過多のセミナー料金は、既に暴落が起きている状態だ。
新たな販路として、俺は自治体にセールスしているわけだったが、そんな内部事情は表情にも出せない。
「なるほど、それは一理ある」と小島は少し前のめりになった。
「例えば、ソフトな印象のセミナーにして、地域のコミュニティーセンターを巡回して開催するとか」
本音としては、こうすれば回数を増やせてありがたい。
「セミナー前後の、当該地区のいじめパワハラの発生件数の推移を検証するとか、そう県警さんと一緒になって行うんです」
「そうすると料金も県警と折半できるかもしれんなあ!」
小島はさらに前のめりになった。
よし、いける!
俺は、とっておきのキラーフラーズを出した。
「これがうまくいったら、自治体の先進事例として注目されると思います」
「おお!」
小島は喜色満面の笑みを浮かべた。
この「先進事例として注目される」が自治体や国の部署に対するプレゼンテーションの殺し文句だった。
フリーになる前の広告マン、マーケッター時代から、このキラーフラーズで多くの受注を勝ち取ったのだった。
「この件、進めたいね」と小島。
「ありがとうございます」と俺はしてやったりという笑顔を隠して頭を下げた。
「ただ、料金だけど、これぐらいにならんかねえ」と小島が料金を提示した。
その金額に俺は唸った。損する一歩手前の絶妙なラインを突いてきた。フリーになる前なら即刻断っている金額だった。
「これではほとんど利が出ませんよ」と泣き落としにかかった。
小島は、にこやかに笑いながら、
「確か、フリーになられたばかりでしたねえ」と言った。
「ええ。それが?」
「私どもの、この仕事、今後のモデルケースとして、あなたの今後のキャリアにも役立つんじゃないですか」
小島はそう言うとニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
俺は唸った。
この「今後のキャリアに役立ちますよ」は、俺のようなフリーランスを落とすキラーフレーズだったからだ。
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