創作エッセイ(4)学生時代はマンガ少年だった

(2017年 06月 16日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)

昔、中島梓(栗本薫)女史の「小説道場」というラノベ・BL小説入門書があったのですが、その中に中島女史が「マンガ家志望だったが、その夢破れて小説を書いている」というくだりがあり、その気持ちに大いに共感したものである。

実は私も小説を書きだす前はマンガを描いていた。自分の中に、どのような娯楽小説であっても「書いている作家は文学少年で、若いころから文学作品を読んでいる」だろうなあという思い込みがあり、「俺には小説は無理」と思い込んでいたのである。

これは、私の父親が高校の国語教師であり、エンターテイメント小説を軽視していたことも影響している。

自分で「物語」を空想することが好きだった私は、なんとかそれを形にして他者に語りたい欲望が抑えきれず、マンガでそれを描き始めたのであった。
当時描いていた絵がこんなやつ。

手塚治虫さんとか、さいとうたかおさんとか、白土三平さんとか、当時の日本マンガの各流派とは違う絵が描きたかったので、「ヘビーメタル」とか「1984」や、「CREEPY」などのウォーレンコミックスを模倣していた。

唯一完成させた作品が16ページの「暗黒美神(シスターダークネス)」という作品で、要はアメコミ。「パフ」誌に送って選外佳作ってのになっている。「16ページは短い」って講評だったが、だってこれアメコミなので16ページなんだよ、って気持ちだった。

ペン入れの途中で放り出してあるものもあるあたり、自分はやっぱりテキストの人だなと思う。

2時間かけて描いている情景を、口で説明したら15秒で済んでしまい、しかもそれがビビッドだったので、全部文章で語れば早いと思ったのが小説を書くきっかけだった。たまたま、手元に卒論用の原稿用紙が大量に余っていたせいもある(苦笑)

また、同じ時期に、大友克洋さんや谷口ジローさんなどの「画力で勝負」する作家が次々と登場してきて、「じゃあ俺が描かなくてもいいや」って気持ちになったのも大きかった。

でも絵を描くのは楽しい。

今一番の望みは、小説で生計を立て、趣味でマンガを描くことである。

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