映画レビュー(32)「三度目の殺人」

プライムビデオで鑑賞。
 2017年9月9日公開の日本映画。是枝裕和監督のオリジナル脚本による法廷サスペンスである。
 物語は、三隅という容疑者の弁護の協力を頼まれた弁護士・重盛の目線で語られる。

毎回、矛盾する証言

 三隅の自供は毎回変わり、検察側だけでなく重盛たち弁護側も翻弄される。ついには認めていた犯行そのものの否認までしてしまう。
 そこに被害者の複雑な家庭環境などが関係してきて、何が真実かわからなくなる。
 一体、この物語は、どう着地するのか? とミステリファンほど翻弄される仕組み。
 三隅はかつて殺人の犯歴があり、今回の容疑が二度目。「三度目の殺人」の「三度目」とは、死刑が確定した三隅の処刑を指しているのだろう。
 これをして、底の浅い評論だと「司法の闇を告発した作品」と断じて思考停止してしまうだろうし、そう論じる評論家諸氏の顔まで目に浮かぶが、実はそうではないと思う。

真実は受け手の心の鏡に映った数だけあるのか

 三隅は空っぽの器のように思われるが、「自分の有罪である人物を守ったのではないか」と思った重盛に、「重盛さんがそう感じたのだとしたら、それでいい。うん、いい話じゃないか」とほほ笑む。
 受け手の想像力に委ねてしまうこのスタイル、現代版の「藪の中」(芥川龍之介)なのだ、と気づかされた。

 観客よ、どう思う?

 この「問いかけで終わる」スタイル。いや、侮れない作品。さすが是枝 裕和だ。

(2011/11/23 追記)
 記事内で言及している芥川龍之介の「藪の中」は以下のような話。今昔物語を下敷きにしているという。
 1人の侍の死をめぐって、捕らえられた強盗、死骸の発見者の木樵り、強盗を捕らえた放免の話が語られる。また侍の妻は清水寺で懺悔をし、侍の死霊は巫女の口を借りて当時の有様を語る。しかしいずれも自分を中心に語り、話は核心部分で微妙に食い違う。真実は不明、すべては藪の中である。
 これをもとに映画化された作品が黒澤明の「羅生門」である。


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