創作エッセイ(36) 作品によって文体は変わる

作品によって最適の文体、語り口が存在する。あくまで、その作家の個人的嗜好ではあるが、私はそう思う。
今回は、そんな文体や語り口について、自分の作品をネタにして語ろうかなと。

ハードボイルド文体

 私が初めて挑んだ作品がハードボイルド活劇だったので、初めての文体がこれである。
例)1「薔薇の刺青(タトゥー)」
 コンクリートとアスファルトで覆われた名古屋市は熱気がこもりやすい街だ。夏の暑さも酷いものだが、十月でも天気の良い昼間は街のアスファルトに熱がこもる。だが十一月に入り、ようやく街から熱気が消え始めた。日が傾き始めると街は急速に冷え始める。そうなると気の早い商店では、ウインドーに雪をあしらいクリスマスムードを演出し始める。昭和六十年という節目の年もあと二か月で暮れようとしていた。

 私が20代後半に書いた作品で、小説クラブ新人賞の一次を通過した。現在Amazonで販売しているのは加筆したもの。全体的に「説明するな描写せよ」を意識した文体である。一人称「私」が語り手だ。皮肉な目線を意識しているのは若さゆえかな。

 夜になればぼったくりバーの客引きや、きらびやかなネオンの光とカラオケの音で賑やかなこのあたりも、まだ日の高い今自分は、惰眠をむさぼる年増女のように薄汚くみじめなだけだ。酒屋の軽トラックが往来し、柳橋の卸売市場で食材を仕入れた板前や料理人が仕込みに追われる様子が、開け放たれた店の裏口からのぞく。街は今夜に備えて化粧を始めていた。

 こういう情景描写に凝っていたわけね。

通常の文芸作品

例)2「自転車の夏」
 
バイトとはいえ工場からの帰りはにはいつも働いているという実感があった。本当に体を動かしているからだろう。家庭教師のバイトにはこういう充実感はなかった。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」で、ハンス・ギーベンラートが神学校を中退した後、肉体労働で魂の救済を得るのと同じことだと思った。少し違うのはハンスが神学校に通う微熱がちな少年だったことに対し、肇は進学校に通う肥満がちな少年であったことだ。

 30代半ばで書いた青春小説。大学体育会時代を描いている。一人称視点の三人称で、これは自分自身をも突き放して描くため。この系統の「実体験ネタ」作品は他にも「神様の立候補」などがあるが基本的にユーモア小説である。自分史っぽい作品は、自分自身を笑い飛ばすぐらい突き放さないと、「自慢話」「愚痴」「恨み節」のような「困った素人の自分史」になってしまうからだ。当然、この作品でも自分は苦笑いの対象である。

ホラー小説

例)3「毛布の下」

私)視点
 またあの夢を見た。
 懐かしさと、不安と、恐れと、そして奇妙な悲しみに彩られたあの夢を…。
 目をあけてそこがいつもの寝室であることを確認すると、私は大きく安堵の息を吐いた。
 窓の外からは雨の音が小さく聞こえている。タイマーでエアコンが切られてから数時間は経っている。室内はむっとする湿気に満たされていた。まだ梅雨が明けるには半月以上かかるだろう。
ぼく)視点
 あの夏、僕たちがあの空き地へ行ったのは、小学二年生の夏以来だったから、ちょうど四年ぶりだろう。というのも、体育館ほどもある広さの空き地が整備もされずに放置されているのは防犯上よろしくない、という大人たちによって、屋敷を含むブロック全体がトタン板と鉄条網で徹底的に囲われてしまったからだ。
俺)視点
 またあの夢を見た。
 カッターシャツの背中が寝汗でじっとりと濡れている。営業車の中だった。スーパーマーケットの広い駐車場の一角だ。俺は客とのアポがキャンセルになった時間を利用して仮眠を取っていたのだ。

 ホラー小説である。これは一人称の作品だが、「ぼく」「私」「俺」の視点で語られる三つのエピソードが併走する構成で、語り口も三様にコントラストをつけた。当時、流行していたメタ構造の掌編である。
 感情を排して淡々と描くのがコツで、怖がらせようとする仰々しい表現やおどろおどろしい表現などは逆効果になることの方が多い。

例)4「青空侍58 人生はボンクラ映画」

うつ時期の描写
 西本がそう言おうと思ったとき、本田が「それはいい」と手を打った。
 ええ?認めちゃうのかよ、と再び西本の心の声。
「実は、クライアントに月に五本ぐらいは問い合わせの書き込みありますから、と吹いちゃったサービスがあるんだが、未だ問い合わせは無しのつぶてで困っている。友人知人を動員して書き込むのも、もう限界なんだ」
 おいおい、いいのかよ、と思ったが、でも「お情けで置いてもらっているうつ病の高齢社員の俺」には文句なんて言えないよな、そうだよ言えない言えない。とブレーキをかける西本の心の声。第一、プロキシーサーバすら理解していない本田に説明することを考えただけで気が萎えた。
 広告会社だから広告イメージである程度「消費者をだます」のもしょうがないかもしれないが、「広告主をだます」のはいけないだろう、なんてことは思っても口には出せません。ええ、私は、「うつ病の年寄り社員で会社の穀潰し、しかもハゲですから」、と西本の心の中の自虐回路がフル回転した。
緩解後の描写
 
夕食後にPCを立ち上げるとSNSにメッセージが入っていた。
「西本様、ご無沙汰しています、今度、新栄で半世紀続いた店が閉店します、ついては、親しい人を集めて最後の宴をしたいと思っています、ぜひ、ご参加ください」
 見ると、東海エージェンシー時代、催事などのMCでお世話になったタレントの守矢冴子女史だった。初めて出会ったときは、クライアントの企業に取材にくる地元中波ラジオのレポーターだったのだが、その後、イベントのMCとしてよく仕事をお願いした。
 守矢女史は、トラブルにも臨機応変に対応が効く点で、クライアントの信頼が非常に厚かった。
 大手の広告主から「来年も守矢ちゃんが来てくれるなら東海エージェンシーさんに任す」とまで言われたタレントである。メンタルを病んでいて「へろへろ状態」のディレクターだった西本を陰で支えてくれた恩人でもあった。
「おお、行きますとも」と返信しながら、東海エージェンシー在職中を含めても、人から「誘われる」のは六年ぶりであると気づいた。どれほど長い世捨て人状態であったのだろう。

 自分史系の作品。うつで中途退職したあと、特殊な職業体験でうつ寛解しつつ、自分のアイデンティティを回復した体験を描いている。例に挙げたように、うつが酷かった時の逡巡する思いと、寛解後の心境とのコントラストを語り口の違いでも表現している。

文体や語り口は自由に選べばいい

「私の文体は」とか「これは私の語り口」などの言辞を散見するが、最初の内は自由に切り替えたり実験したりすればいい。「守・破・離」の「破」である。そのうちに、独自のものが出来てくる。
 奥泉光さんの作品など読むと、本当にそれを実感する。

追記)
文中で例に挙げた作品はアマゾンのKindleでお読みいただけます。興味を持たれた方は是非お読みください。
「薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏」
「毛布の下」(「盂蘭盆会○○○参り」収録)
「青空侍58 人生はボンクラ映画」(西森元・名義)


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