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恋愛結婚バレンタイン小話

「ご存じですか、ヘンリック様。もうすぐバレンタインという催しがあるそうですよ」
 恒例のお茶会の帰り、エミーリアを馬車に乗せるまで護衛を務めるのがヘンリックの役目となりつつあった。
 それでも三回に一度はマティアスが自ら見送ると言い出すのでエミーリアと二人で宥めるのが日常になりつつある。
「バレンタイン?」
「はい、なんでも女性が親しい男性にチョコを送る日なのだそうです。店員さんが親切に教えてくださいました」
「商魂たくましいですねえ……」
 エミーリアが立ち寄る店というのはチョコレートを売っている店くらいなものだ。彼女は持参してくるチョコレートを必ず自分で買いに行くそうだから。
「ふふ、そうですね。でも寒い時期はなにかともの寂しい気分になりますから、そういうお祭りもあっていいんじゃないでしょうか」
 エミーリアも、バレンタインが店の戦略として広められようとしていることには気づいているらしい。そもそもチョコレートはまだ高級品だ。お祭りとして定着するかどうかは怪しいものがある。
「わたくしも陛下とヘンリック様に差し上げようと思っておりました。恐れながら親しい男性というと、お二人くらいですから……」
「え、俺にまでいただけるんですか」
「いつもお世話になっておりますから」
「俺は仕事してるだけですよ」
 それでもですよ、とエミーリアは微笑む。
 いつもお茶会で茶菓子をつまんでいる身としては、普段と変わるものもないかと頷きかけたが。
 いや、まてよ?
「……うん、やっぱり遠慮しておきます」
「何故でしょう?」
 きょとん、とエミーリアは首を傾げている。
 何故と言われても。
(……あの陛下が、シュタルク嬢が他の男に贈り物していて機嫌が悪化しないわけがないだろ……)
 あの堅物女嫌いの国王陛下は、婚約者への恋心を自覚して相思相愛になった途端にめでたく恋の奴隷となった。
 護衛のヘンリックが砂糖を吐きたくなるほど甘ったるい空気を振り撒いて、愛しい婚約者を愛でることに余念がない。
 困ったことにエミーリアはマティアスの溺愛っぷりに未だ気づいていないのだ。
(それに、親しい男性ってことはさぁ……)
「お店でも、愛の告白にどうぞって売り出していたんじゃないですか?」
 親愛を伝える手段はいくらでもある。その中でより特別感を出すのなら、それより一歩先へ行かなければならない。ましてチョコレートは媚薬になるなんて話もあるくらいなのだから。
 ヘンリックが指摘した途端、エミーリアはぼんっと爆発したみたいに真っ赤になった。
「……それなら、陛下にだけ贈らないと拗ねられますよ?」
「い、いえ! その! 義理チョコというものもあるそうですから! ですからヘンリック様に差し上げるのはそのつもりで! もちろん陛下とはちがうものを!」
「義理は受け取るとキリがなさそうなんでやめときます」
 ……本命からはもらえるとは思えないが。

 会う予定がない日に、エミーリアからマティアスに「お時間いただけますか?」と連絡がくることは珍しい。珍しすぎて今日は雪になるかもしれないと思うほどだ。
 待ち合わせていたのは城の庭園だった。初夏には思い出の薔薇が咲くその場所も、今は寂しいばかりだ。
「陛下」
 外套は着ずにマティアスが庭園に着くと、エミーリアは既に待っていた。肩から毛皮の外套を羽織っていて、少し鼻が赤くなっている。
「待たせたか?」
「いいえ、時間ぴったりですよ」
 早めに着くつもりだったが、とマティアスは反省する。真面目なエミーリアは待ち合わせの時間よりだいぶ早く待っていることが多い。
「陛下にお渡ししたいものがありまして」
「渡すもの?」
「はい、チョコレートです」
 エミーリアが「ふふ」と笑う。なぜ今更? と思ったのが顔に出たのかもしれない。
「今日はバレンタインデーという日なんだそうです。女性から……その、男性にチョコレートを贈る日なんだとかで」
「そんな日があったか?」
「できたんですよ」
 どうぞ、とエミーリアが綺麗に包まれた箱を差し出してくる。いつも手土産に持ってくるものより大きい。
「陛下のお好きな甘いチョコレートばかりですから、楽しみにしてくださいね」
「君と一緒に食べるんじゃないのか」
「ええと……それは、陛下がお一人で食べてください」
 エミーリアの顔が赤い。
 寒いからか、それとも別の理由があるからか。ここで問い詰めてもこの婚約者は可愛らしい顔を見せてくれるとマティアスは知っているが。
「ではそのうち君に何かプレゼントしよう。何がいい?」
 今日のマティアスは甘やかすことにした。
「え!? いえ、そんな……」
「白薔薇を模した髪飾りか。それとも君の瞳と同じペリドットで何か装飾品を作らせるか」
「そんな高価なものをいただくわけには……!」
「プレゼントにはプレゼントを返すものだろう?」
 手袋を外した手でエミーリアの頬に触れると、赤いくせに冷たい。この時期は外で会うべきではないなと思った。
「で、では……」
 エミーリアは真っ赤になったまま口を開く。
「茶葉を用意しておいてください。……陛下と一緒にミルクティーをいただく時のために」
 この短い時間で必死に安価なものを考えたのだろう。婚約者のおねだりにマティアスは満足気に笑った。
「わかった。とびきりのを用意しておく」

 後日、公爵令嬢のエミーリアさえひっくり返りそうになるほど最高級品の茶葉が用意されていたらしい。

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