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5話 アンナとマリヤ

 74年

「きれいな絵ね」
 ふっと後ろから声をかけられたアンナは、少しキャンバスに被さって隠した。

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「ごめんごめん、怖がらせてしまったようね。日記、渡しに来たよ」
 声をかけてきた彼女の名前はマリヤ。この地図にない町―――計画都市の入植者の同期で、不慣れな土地で塞ぎ込んでいた私に声をかけてきてくれた。そう、さっきみたいに…。

「…ありがとう」
 日記を受け取って、地面に放ってあったカバンに入れる。
「探すのに苦労しちゃったな。 絵、描いてていいよ」
「うん…」

 私は、もう一度絵筆を握り直して、この日毎変わりゆく景色を眺めた。
「アンナは風景画をよく描いてるけど、人は描かないの?」
「うん、人はあまり…その人のことをよく知らないのに描くのが怖くて」
「そっか、じゃあ私はよく知らない人?」
「そんなことないけれど…」
 マリヤはそんな悪戯にも似た事を言って、無邪気に笑っている。
 
 絵筆を握り始めたのは8歳の頃。とにかく村の一部始終を描きたいと、空きがあれば一心になって描いていたのだけれど、10歳になってこの街…と言っても、前にいた村よりも見すぼらしく、ゆえに荘厳な景色のなか家々が立ち並ぶこの計画都市に来てからというものの、私の心は塞ぎ込んでしまった。
 無碍に切り開かれていく森や川、慌ただしく建てられていく建物に田畑。
 どこか、ここに私が居るという感情よりも、この街に押し込まれていくような感覚。いつか、私がいたことなんて追いやられてしまうのではないかという不安が、私を押し込めていく。
 
 学校へも満足に行けず、家で無気力に駆られ親には悪霊付きと呼ばれ……そんななか、私の様子を見に来てくれたのがマリヤだった。

「こんにちわ、アンナさん。私、同じクラスメイトのマリヤっていうの」

 その時は、おせっかい焼きか物見が来たのだろうと思っていたのだけれど、散らかった部屋を見回して「これ、見て良い?」と、私の絵日記帳を目ざとく掘り出した。
 無感動になっていた私は、ひとつ遅れて「…!」と慌てた。
「大丈夫、許可取らずに中は見ないよ。表紙だけみせてよ」
「良い…けど…」
「この表紙、素敵。…あなたが書き足したの?」
「そう、前にいた村の…」
「そっか。この街はあなたには魅力的ではないのね、だから描けない…かな?」

 確かにそう。言われてみれば、そうなのかもしれない。
「……」
「じゃあ、私はこれで。また遊びに来ていいかな」
 と言ってくれたにも関わらず、私は返事ができなかった。


 学校に行けば、会える。そう思って、登校したのだけれども、私の入る余地はすでになかった。
 もう、グループが出来上がっていて、私はよそ者のようだった。
 学校の勉強も分からない、何より辛かったのはマリヤの背中が遠い人のように感じる。

 帰り道、少しばかりのめまいを覚えて、道端で腰を掛けていたのだけれど、聞いたことがある声が後ろから聞こえた。
「見つけた!」
 マリヤだ、私は不意に身体を声の出どころから反対を向くようにしてしまう。
「探すのに苦労しちゃった!」
 そう言って、無作為に私の横に、ずり込んで座った。肩がけカバンから何かを引っ張り出してきて、そして私の手を無理くり引っ張り出して握り込ました。
「一緒に書こうよ!」
「これ…」
 それは、手作りのノートだった。恐らく、紙切れを漉いて作り直した紙を、撚り糸で綴ったノートだった。
「これを作ってから遊びに行きたかったんだけど、時間かかっちゃった」
 遠く感じたマリヤの背中ではなく、こちらを向いて私に問いかけてくるマリヤの顔に戸惑いを隠せない。
「私は文章、あなたは絵を描いてくの。ほら、鉛筆も持ってきたよ」
「…」
「今日は私が文字を書く、あなたはそれを持ち帰って絵を描く。」
「うん」
「で、アンナが絵を描いたら、私に渡す。その代わり番こ。わかった?」
「わかった」

 そう言って、マリヤは文字を書き始めた。
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 一匹の羊が群れからはぐれた。
 でも、その羊は他の子が見ていない大切なものを見てきたのでした。
 わたしは、そんな羊の見てきたことを知りたくて、こうやって探し出しては言う。
「あなたが持ち帰ったものは、わたしの宝。あなたの思い描くものは私の世界」
「あなたは、だからこそわたしの│牧者《ぼくしゃ》」
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「ってね!」

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 マリヤは、わたしに照れ隠しか頭で小突いてきたのでした。

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