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新卒2年目の支社立ち上げ記録 〜 「抜擢文化」「成長環境」 〜

こんにちは。Hajimari藤井です。
「抜擢文化」「成長環境」の2点をテーマとして書かせていただきます。

新卒として入社した1年目に営業と新卒採用責任者を兼務し、2年目から1年半大阪にて支社立ち上げを経験しました。
今回は特に刺激的であった直近の支社立ち上げについて書いていきますので、同年代の方々の参考になれば幸いです。

1、開拓期(2019年4月〜2019年10月)



支社長である先輩と2人で大阪の立ち上げをスタートさせました。
半年かけて代表の木村に大阪へ行きたい旨を伝え続け、希望が叶った形です。
当時関西にお客様が全くと言っていいほどおらず、かつ僕を含め関西に縁のある者もいなかったため、この時期はとにかく企業の開拓に注力しました。とにかく量重視で主要採用媒体をぐるぐると回り続ける日々でしたが、この期間のおかげで関西の市場規模、性質、ニーズ、主要顧客・競合などの理解が進み、その後の計画精度向上に非常に役に立ちました。


また、赴任前後で様々な方のお話を聞く中で、商談以外の接点を持ち関係性を深めることの重要性を何度も耳にしたため、シェアオフィスの他社の方々やSNS等で声をかけイベントを開催しました。
いずれもサービスとは離れた内容の趣旨であったため直接利益に結びつくことは少なかったですが、多くの支社長や起業家の方々にお会いすることができました。

同年代の方も多かったですが、その方々から支社運営に関する学びを得ることができたのはもちろん、自分よりも大きな責任を背負う彼らの存在が大きな燃料になりました。

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開拓は順調に進んだ一方、当時はユーザー・クライアント双方の管理・共有が非常に杜撰で、機会損失や時間の浪費を感じること徐々に多くなっていきました。実際に個人間の成績にも差が出始め、業務フローの整備・情報管理・共有の大切さを身に染みて感じることができました。
また、個人成績が軌道に乗ってきたタイミングで自然と僕個人の視野が広がり、それまで支社長に任せきりだった数値管理・施策の立案・決定・実行・運用部分を徐々に巻き取っていきました。

2、組織づくり期(2019年10月〜2020年3月)



8月頃から個人での成果が徐々に安定してきた一方、支社全体での成果が伸び悩んでおり、かなり危機感が増していきました。またこのタイミングでインターンのメンバーが増えたことあり、営業の整備と組織づくりに注力しました。
営業部分では、前述の通りデータの管理不足により時間の浪費・機会損失が起こっていたため、自社SFAのデータ整備・顧客対象の定義〜アプローチまでを試行錯誤し、その中で上手くいくものは標準化しドキュメントに落とすことを繰り返しました。
また、この頃から事業計画の作成や予算などの権限も付与され始めたため、本社マーケ担当とのチューニングや、各種業務のアウトソース、各種ツール活用・インターン採用なども開始しました。
組織づくりに関しては、支社長との間で目指すものの差を徐々に感じ始めており、その原因を本社から課された事業計画のみを追っている状態=支社の目標がないためと考えていました。
そこで支社が一枚岩になるためにと、インターンメンバー含め時間をかけて支社のコンセプトを作成し、それを図る指標も決め定点観測を試みました。
他にも、メンバー一人一人が学習し続けることが強い支社・個々人の成長を作ると感じ、書籍の共有会や勉強会などを定期開催しました。

この頃から支社にまつわる業務の大半を自分で考え、それを支社長・本社の事業部長や代表が尊重してくださったため、意思決定の機会が増えていきました。
SNS等で自分と近しいような立場の方にコンタクトを取ったり関連の本を読み、それらを細かく業務に反映・効果を見て、上手くいくものは試行錯誤しながらも積極的に通常のフローに組み込んでいきました。選択と集中ができず施策の3〜5割が中途半端な状態で終わることが続いていましたが、5人程度の規模の中で自分で決めて実行するという経験を得ることができました。

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3、コロナ期(2020年4月〜2020年9月)



支社に赴任してからの1年間は業務量の多さ・範囲の広さについていくのが必死でほぼ1ヶ月毎に計画を決めていたため、短期的かつ場当たり的な行動しかできておらず、施策の一貫性のなさが余計な疲弊を生むというループに陥っていました。

2年目はその反省を活かし、ユーザー・クライアントそれぞれで1年スパンの事業計画を立て臨みましたが、4~6月でコロナウイルスの影響が顕著に現れ、計画の見直しを余儀なくされました。
市場の需給バランスの動向を全く予想できず振り回され、6月末までほぼ毎月事業計画の修正を行いました。その過程で、会社全体を考えた際に利益の出ないまま支社を残すことは最適ではないと感じ、半期・通期で撤退ラインを設け、背水の陣で臨みました。

この中で、メンバーの役割・予算などを何度も変える形となり、非常に大きな負担をかけてしまいました。言わずもがな、体力・雰囲気的ともに支社設立後、最も苦しく辛い時期となりました。
一方、退路を断ち短期的な価値貢献を目的としたことで、対象顧客へのアプローチに集中し切ることができ、結果7~9月で売上水準をコロナ以前よりも高めることができました。

成長に関して


この1年半を振り返って、得た力を言語化すると以下2つであると考えています。

▶︎辻褄を合わせる力

大阪に来る以前はほぼ既存営業を行っていた自分にとって、顧客のいない土地での営業活動は未知の連続でした。どこが顧客層なのか、ニーズは東京と違うのか、KSFは何なのか、どうやってチームを作るのか。本社との心理的な距離も想定以上に大きく、必然的に自分の頭で考え試行錯誤しなければなりませんでした。
そんな中でも当然結果を出さねばいけない環境の中で、この力が以前よりもついたのではないかと思います。
なお、僕が考える「辻褄を合わせる力」の要素は次の3つです。

① 走りながら改善する
計画が妥当かどうかに時間をかけず、運用を重要視する。
細かく定点観測しながら仮説検証を繰り返す。

② 固執しない
予め撤退ラインを設け施策を行う。目標に到達しない場合は特別なことがない限りすぐに捨てる。良いものは標準化・チームへの浸透に努める。

③ 逃げない
どれだけ時間がかかっても上記をやり続ける。サービスを利用してくださる方や期待してくださる社内外の方への感謝を強く意識し、絶対に逃げない。

▶︎仕事を楽しむ力

大阪赴任前に比べ働く時間も苦しみの量も圧倒的に増えました(過去経験のない体の異変が何度も出ましたw)が、シンプルに働くことが楽しくなりました。
なぜかと振り返ってみましたが、以下2点が理由かと思います。

① 業務の重要性を実感できた
それまで業務の全体が見えておらず、自分が主で携わらない業務への優先度は低くなりがちでした。
自分で全体を俯瞰し事業計画を立て実行していくなかで、業務全てが結びついており、一部を疎かにすると中長期的に必ず悪影響が出ること、逆に大小あれど細かな改善の積み重ねが大きな成果につながることが腹落ちしました。

② 全て自分の責任と心から信じることができた
赴任中はほとんどの決定権をいただいていたため、必然的に「他人のせい」という概念がなくなり、全部自分で改善していこうと心から思うことができるようになりました。それ以降は徐々に物事の悪い部分ではなく「どうやったら状況を改善できるか」という視点に切り替わり、未来を考える時間が増えました。

最後に


最後までお付き合いいただきありがとうございました!
正直憂鬱や苦しみがほとんどで、まれに喜びや興奮が訪れるという一定ハードな期間でしたが、責任を伴うことで人は成長すると改めて感じた1年半でした。

今回は「抜擢文化」「成長環境」について書かせていただきましたが、今後もHajimariの大切にしていることを発信していきますのでどうぞよろしくお願いいたします!



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