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もうひとつの初期衝動



初期衝動を数える #HNKS04  のエピローグです。



今の自分を形成したもうひとつのエピソードについて話せたら、と思っています。

その初期衝動は、私の中学からの友達によってもたらされたものでした。その子とは実は今同じバイト先で、なんと共に配送あるあるなんですよね。数えるほどしかいない私の友達の中でも、特に頼りまくっている稀な存在です。

ちなみに、この前その子とサウナに行った時に、体力あるはずの彼が脱水かなんかで気を失いかけ、成人とは思えない勢いで尻もちをついたことから「尻もち小僧」と巷では言われています。あの尻もちは美しかったですね、あそこまで笑えない状況で笑ったのは生まれて初めてです。


そんな彼とは一層仲良くなったのは、彼が大学3年の時に一年間休学してアイルランドに留学し、戻ってきた時でした。丁度その時バイトを探していた彼に、自分が配送あるあるに誘ってから距離がグッと縮まったような気がします。

留学直後の彼は就活ガチで頑張ると意気込んでて、なんとなく進路が決まっているはずの自分たちも、なんか焦ってしまうくらい積極的に就活していました。就活のためにベトナムに一か月もの間インターンに行ったくらいです。


そこからです、彼の考えが変わっていって、もっと仲良くなったのは。


彼のベトナムでのインターンは、旅行会社関連でツアーを作るみたいな活動だったらしいんですが、それ以外の時間で現地の人とたくさん関わる機会があったらしく、その経験が彼の変化にとても影響を与えたのではないか、と思っています。自分自身カンボジアとネパールに行った時に、日本で何不自由なく生活できる自分たちとは全く違う世界で生きている人を見た時のことを、よく覚えているから。

彼は「貧困」に対する意識が自分よりも強い子でした。そしてベトナムから帰ってきた次の長期休みに、今度はミャンマーに1か月インターンで滞在しに行きました。その期間中、活動とは別で「地元の青年と協力して物乞いの少年にインタビューする」というなかなか思いついてもできないアクションまで起こしました。自分にとってはそれはまぁまぁな事件で、すごく驚いたのですが、そこまでの行動をしたキッカケになったのが「ベトナムでの一か月」だったんじゃないかな、と勝手に思っています。



現地から帰ってきた彼と話していると、「何のために働くのかわからなくなった」という言葉をよく耳にしました。東南アジアの日本との生活レベルの差だったりを目の当たりにして、特別な意思もなくただ大企業に入ろうとしていたことに、もしかしたら違和感を抱いたのかも知れません。別にその現実を知らなくたってこの国では生きていけます。それが悪いことだとも一ミリも思いません。

でも彼はそれを知ってしまった、自分の目でそれを目の当たりにした。だからこそ、自分がこれからの人生を捧げたいものを見つけたのかも知れません。この国にある仕事だけでは自分のやりたいことが見つからないこともある、というのを彼を見て思いました。


そこから彼は今までのような就活を急にしなくなり、代わりに国際協力のインターンなどを探し、活動したりするようになりました。そしてその中に「災害ボランティア」がありました。

当時は、台風19号によって、関東中心に多くの地域に数えきれないほど被害を及ぼした災害の直後でした。彼を昔から知っていますが、ボランティアをするような性格ではなく、私が所属していたボランティアサークルのことも「カンボジアサークル」とからかうような子でした。

その彼が「ちょっとボランティア言ってくるわ」と突然言い出したのを聞いて、私はものすごく焦ったのを覚えています、、、え?と。なんでそんなことになったのか、訳がわからないままふと「一緒に行こうよ」と誘ったのですが、なかなか日付が合わなくて。そんなことでもたついている間に彼は、一人で現地にいってしまいました。


それが自分にとっての「もうひとつの初期衝動」です。


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なぜそんなに焦ったのかを考えてみると、身近な友達が何かに突き動かされてバンバン行動をしていることに劣等感を感じたのではないか、というのもあります。ただ、それ以上に自身の将来が何も見えていなかった時期だったことも影響しているな、と思います。


私なんかが建築の大学院に進んだのも、もっと建築について学びたかったとかではなく、短期間実際に設計の仕事を経験した時に、見えた自分の将来が心の底から誇れるものではないと感じてしまい、「今のまま就職したくない」という想いが芽生えたからでした。そうなるために残された数少ない選択肢のひとつが「大学院生」だったというだけで、正直まだ就職しない理由に親が納得してくれるものが他にあれば、なんでもよかったのです。

「今のまま就職したくない」思った理由は今思うと色々でてきます。

サークル活動で取り組んでいたボランティア活動が、自分の人生の中で最も想いと結果がリンクしていた、とても充実していたのものだったこと。そのサークルを3年の前期で引退してしまったこと、それに相反するように、授業や研究では、熱中もできず内容もひどくボロボロで、それを見て更にやる気がなくなっていく負のサイクルに陥っていたこと。

などが原因だったような気がします。院進が決まった後もその状態は特に変わらず、大4の秋は今の自分なんかが大学院に行く価値なんてないと本当に思っていた時期でしたね。


あれだけ熱心に取り組んでいたボランティアでさえ、台風直後の「今こそ」ってタイミングでさえ動けていない自分がいました。というより、「ボランティアをしにいく」という選択肢すら、当時の自分には持ち合わせていませんでした。あの時は台風被害で多くの人が苦しんでいる様子が毎日のようにテレビから流れていて、それをしっかりと見ていたのに、まるで違う国の様子を見ているような、どこか他人事で、自分には全く関係のない出来事としか捉えていませんでした。


そんなメンタルであったからこそ、友達がボランティアに行くと言い出したのにものすごく衝撃を受けたのかな、と思います。死角からアッパー食らったみたいな、目が覚めたとかではないんですが、自分の体勢がずっと昔から崩れていることにやっと気づいて、立て直さなきゃとすごく焦りました。「今のままではいけない」と、逃げようとした瞬間、まさしく初期衝動でした。

焦りって、ものすごいエネルギーを生むもので、あれだけ抜け出せなかった当時のモヤモヤが、自分に足りてないものが一瞬で鮮明に見えました。きっと何かに気づくのって一瞬なんですよね。そこにかけた時間とか正直関係なくて、その一瞬さえ来てしまえば勝手に体が動くものだと思っています。ただ、その一瞬は自分では起こすことはできないので、待つしかない。そこがもどかしい。

あの時の自分に足りていなかったのは、ボランティアでした。細かく言えばボランティアそのものというよりは、ボランティアを通して「世の中へのアクションに参加している自分」を全然出せていなかった。

ボランティアにできることなんてほとんどなく、自分が関わらなくても結果はほとんど変わらない。過去ボランティアをしてきた自分でも、そう思います。ただジッとしていられない他人事ってあって、それは「相手のためを思って」とは違う、ほとんどエゴ近い衝動によるものです。そういうことに、他人がグチグチ口を挟んでいたら、Twitterのクソリプ野郎と変わらなくなってしまう。でも、そこにボランティアという理由があれば、そのエゴに任せて行動することができる。

そこが自分がボランティアが好きな理由です。「他人のために」を理由にしているのものは、ボランティアではないとも思っています。


「知ってはいるけど、他人事だった。」


彼にとって貧困がそうだったように、自分にとっても「災害」がそうでした。でも彼と同様に自分の目で、耳で体感することで、自分の中の出来事になりました。その方法がたまたま自分にとってボランティアだっただけです。自分とは全く関係のない地域でも、自分にとって身近なモノにすることができる力がボランティアにはある。

そういう「世の中のものを自分事にする経験」を当時は全然できていなかった、研究ではどれだけ調べても、いつまでも他人事の枠を越えられず、ずっとモヤモヤしていた。自分らしくいるために動いてなかったことがモチベーション低下の原因だったのか、とその時わかりました。

そこから絶対に正しい選択ではなかったのですが、狂ったようにボランティアに通い詰め、卒業設計があるのにも関わらず片道2時間半かけ神奈川から栃木に通ってました。ボランティアに行ったところで、研究のモチベーションや成果が上がるわけがなかったのに。でも、それをしないと研究をやっていられないような気がしていました。

ただやる気にならないことを続けることから、「やりたいことをするためには、やりたくないこともしなければならない」と自分の中で研究する理由をシフトチェンジし、研究に取り組む気持ちを作り直しました。結果的に、まハナクソみたいな成果ではありましたが、研究を無事終わらせることができました。

今だから言えますが、あの経験はとてもよかった、と言えます。あの時のメンタルを持って同じ行動をしようとしても、きっとできないと思います。それに、「当時得れたもの」と「今得れるもの」は全然違ってくる気がするからです。初期衝動に体を任せて動いた結果得れるものは、後々の人生に大いに役に立ちます。それだけは保証できます、こんな自分ですが。


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偉大な言葉やわかりやすいドラマとかではなく、ただ友達が突然ボランティアに行くと言ったことが初期衝動だなんて、正直わかりやすくないし全然伝わらないと思います。そして誰にも当てはまらないような気もします。

でも、きっと初期衝動なんてそういうもんだと思います。誰かに理解されないからこそ初期衝動だとも思います。そして自分の中でさえ、時期が違ったら同じシチュエーションでも、そこまでの出来事になってない気さえします。


「あの日、あの時、あの場所」だったから、ものすごく焦った。小田和正みたいですが、「初期衝動は突然に」です。いつか「なんで昔あれであんなに焦ったのか」分からなくなる日が来るでしょう。でも、それでいいんです、忘れる時まで覚えておけば。


あの出来事から、ま色々なことがありコロコロ考えが変わって、時間はかかりましたが、なんとか20代の時間をかけて取り組みたいことは見えたきた気がします。

だから、誰にも理解できない感情、出来事を大切にしましょう。



「誰にも理解されないこと」が、きっと自分らしい初期衝動である何よりの裏付けになると思うから。




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