ソロ活を楽しめる人はふたりも楽しめる


ライフスタイルの多様化で変化する夫婦のカタチ


ドラマ『ソロ活女子のススメ』もあって、ソロ活なるものが話題になっている。

ソロ活というと、何をするにもひとりで気ままに楽しむ悲壮感のない人をイメージする。
かつてはひとりで行動するというと、「ちょっとかわいそうな人」に思われたが時代は変わったものである。

私もオットもどちらも自分の家があり、日常的にソロ活が基本。
月のうち半分くらいを一緒にすごしているのだが、これも「今」という時代だから許される夫婦スタイルなのかもしれない。

ましてやオットは京都西陣の呉服問屋の三代目。
京都ではなく東京のバツイチの何をしてるかよくわかんない私と再婚して、それも別々に暮らすなんて昔ならありえなかっただろう。
ありがたい世の中になったものだ。

どちらも完全にネコ体質で、束縛されたり、干渉されるのが大嫌い。
パーソナルスペースが普通の人よりも広いので、ひとりの時間がないと生きていけない人間だ。
多くの人から「寂しくない?」と聞かれるのだが、「寂しくない」とややかぶり気味に応えている。
「全然寂しくない」と言ったらウソになる。
月のうち何回か「ちょっと寂しい」と思うくらいがちょうどいい距離なのだ。

「浮気してるんじゃない?」とにやにや笑いながら聞いてくる輩もいるけど、そんなこと心配するくらいなら最初からこの暮らしを選ばない。
そもそも人間はひとりであって、どんなに好きな相手でも同化はできない。
冷めていると良く言われるけど、ホントにそうなのだから。

ひとり、ときどきふたり暮らし


離れている間はそれぞれが日々ソロ活をしていて、ふたりでいる時はふたりの時間を楽しむ。
オットが仲間とゴルフに行く時はお留守番だが、そんな時は目をつけていたお店やスパでソロ活を満喫する。
「おいてけぼりにされた」とすねたりしない。

結局、ソロ活をできる人はひとりの時間も、ふたりの時間も楽しむことができる。
これは互いの時間を尊重しあえるからだ。
こういう関係は疲れなくていい。

20代の頃は「好き」という気持ちが先走って、ひとりでいるのが辛くて、離れたくなくて、どうにもこうにも不安だった。

今思うと、相手を好きというより、「あなたをこんなに好きなんだから、一緒にいてよ」という稚拙で身勝手な気持ちだったんだろうな。
もちろんひとりの時間なんて楽しめなかった。
そりゃ、フラれて当然だ。

色んなことをイヤというほど経験してきたアラフィフともなると、そういう激しい情動は消え、自分の時間を持つことがいかに贅沢で豊かなことかがわかってくる。

だからよけいに「ときどきふたり暮らし」が心地いい。


★キャリアコンサルタント監修&ベストセラー作家による直接指導の発信力&文章力レッスン&オンラインサロン
「アカデミア・ミネルヴァ」
https://www.academiaminerva.biz/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?