「墓じまい」を父の命日に思う
15年目の父の命日に、初めて「墓じまい」を本気で考えた。「いつ墓じまいしようか?」とクルマの中で母と話した。父からのメッセージだったのかもしれない。
お父さん、ごめんね
赤土が粘土のように墓のあちこちにこびりついていた。
ごしごし、ごしごし。
霊園に備えてある小さなブラシでは、こすってもキレイに落ちない。
大まかに落としたところであきらめ、近いうちにデッキブラシ持参でくると父に誓った。
(ホントは高圧洗浄機で洗いたい)
コロナ禍ということもあり、この数か月、墓参りに行かずにいた。
久々に訪れた父が眠る墓は赤土にまみれ、花を供える花器には水がたまり、異臭を放っていた。
「お父さん、ごめんね」
そう言いながら、墓を掃除した。
母はただ黙っていた。
クルマの中で私は「お墓なんて…、要らないね」と言った。
一呼吸おいてから母も「私が死んだ後、墓じまいしていいよ」と言った。
「私の三回忌を過ぎたら墓じまいして、永大供養すればいい」
母は静かにそう付け加えた。
霊園には管理費を払っているが、墓掃除はまた別。
遺族がやらなくてはならない。
私には実子がいないので、私が死んだら墓守をする人は誰もいなくなる。
誰も参ることがない墓は、今日見た以上に赤土にまみれ、朽ちていくのかと思うと胸が締め付けられた。
墓じまいをしよう。
カラダが自由に動いて、誰の力も借りずにできるうちに。
運転能力が下がらないうちに。
誰かに迷惑をかける前に。
「墓なんていらない」と父からのメッセージ
実は墓や戒名に対しても疑問をずっと抱いてきた。
何で死んだ後に大金かけて名前変えなくちゃいけないんだろう?と。
小難しいヘンテコな名前つけられるより、私は今の名前がいい。
それで三途の川を渡らせてくれないなら、それでもかまわない。
葬式に大枚払うのもバカらしいし、意味がない。
母にも伝えているが、自分のために好きなだけ、それも生きているうちに使えばいい。
あの世へは、紙に書いたお金しか持っていけないんだから。
死んでしまったらそこまで。
死後にまでお金を使う必要はないと私は思う。
そういえば、父も同じ考えだったんだよね。
ねえ、お父さん。
もしかして、私にそのことを思い出して欲しかったの?
「お墓はいらない」って伝えたかったの?
心配しなくてもいいよ。
必ず墓じまいするからね。
朽ち果てた墓なんか、この世に絶対残さないから。
数か月、墓参りしていなかったけど、これからは月イチで参ろう。
テレワーク中心になったんだしね。
汚れた墓を見るのはもうたくさん。
墓じまいするまで、墓守娘としてがんばるのだ。
◇◇◇◇◇
えええと、私は頭の上にあんなでっかくて重たい墓石を乗せられるのがイヤです。戒名も不要です。はい、墓に入りたくありません。ハワイの海に散骨して欲しいです。死んでもなお、私たち夫婦はデュアルライフを送るのかも。笑
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