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自己肯定感が低くたっていいじゃないか


素の自分と、作った自分とのギャップがしんどい


心理学を学んでいて思うこと。
それは「今の自分はがんばって作ってきた人間」だということ。

本来の私はひとりっこで、どちらかというと誰かに頼りたいタイプだ。
未だ16年前に他界した父のことを思って泣くし、甘えたくて、甘えたくてしかたがない。

人とのコミュニケーションも、実はあまりうまくない。
プチコミュ障なので、同じ場所で、ずっと同じ人といるとしんどくなる。
だからフリーランスだし、別居婚なんだと思う。

素のまんま育って、生きていければ良かったけど、そうはいかないのが人生というもの。
子どもであることを許してくれなかった母のおかげで、意外と強い人間になってしまった。
でも、そんな強い自分にしんどくなることがある。
多分、というか確実に「ちょっとがんばっちゃってる」からだ。

もう、がんばらなくていい


私のようなアダルトチルドレンは、「人の役に立たないと存在価値がない」と思い込んでいることが多い。
そう、認知の歪みである。
心理学を学び、それがわかったことが一番大きい。

ようやく認知の歪みをやや矯正できたのだけど、長年染みついた考え方はそうすぐには治らない。
でも気づいた時に「がんばりすぎなくていい」と自分に言い聞かせるようにしている。

そう、自己肯定感が低くたって、プチコミュ障だっていい。
自分は自分なんだから。
凹んで暗くなる私も私の一部。

それをひっくるめて、そのまんまの自分を認めてあげようと思う。

だって人間だもの。
そんな毎日、ポジティブで自己肯定感の高さをキープできないよ。
「がんばって作ってきた自分」の着ぐるみを、24時間ずっと着ているのは重たすぎる。
着ぐるみは、「ここぞという時」しか着たくない。
人が何と言おうと、素のままの本来の自分でいたい。

ムリして自己肯定感を高くする必要はない


最近、そんな風に思うようになったら、すごくラクになった。
「私、自己肯定感低いし、プチコミュ障のアダルトチルドレンです」と言えるようになった。
言えなかったのだ、こんなこと。
これを言ったら、みんなが去っていくと思っていたから。
それぐらい自分を認めてなかったんだと思う。

そりゃ自己肯定感は高いに越したことはない。
でも低くたっていいじゃないか。
ムリに高めなくても、「いつか高まる時が来る」くらいふわっと考えておけば。
というか、私はそうする。

そこに存在するだけでいい。
丸ごとの自分を受け入れてあげようと思う。

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