「わたしらしさ」を捨てればラクになる



他者が望む「わたしらしさ」を演じるのはしんどい

手がかからない子。

私は幼い頃からこう言われてきた。
だが果たして「子ども」としてはどうなのだろう?
親にとっても都合がいい子どもだが、子ども単体で見た時、果たして幸せだったのだろうか?

もちろん幸せなことも多々あった。
母の言われた通りにしていればかわいがってもらえたし、欲しいおもちゃも買ってもらえた。
まさに心理学でいう「オペラント条件付け」で、母は報酬とバツをうまく使い分け、幼い私をうまく手なづけていた。

*オペラント条件付けとは?
行動を報酬とバツで結びつけ、学習すること。
平たく言えば「アメとムチ」。

少し大人になって母が望む高校、大学に行き、仕事をするようになり、世間に名前が出るようになるとほめてもらえた。
「~さんにほめられたのよ」と他人の口を介して。

父が死んだ後は、「あの世に行って父に顔向けできるように」と母のケアをできるだけした。
父が母にできなかったことを私が代わりにしようと。

ずっと、ずっと「いい子」でいた。
「親の育て方がよかった」という結果とイメージを保つために。
それが「わたしらしさ」だと思っていた。

そして気づいた。
「あれ? 自分軸がないじゃん、私」と。←今ココ。

他者が望む理想の「わたしらしさ」のイメージを演じ、期待に沿う形で生きてきただけで、自分の幸せを後回しにしてきた。
親を喜ばせることばかりを優先し、「親より幸せになってはいけない」とどこかでブレーキをかけてきたように思う。
50歳を過ぎるまで、その「違和感」を感じなかった、いや、感じないようにしてきたがコロナ禍で自分と対峙する時間が増える中、「自分軸」がなかったことに気づいた。

「ゆるキャリ」とか「おひとりさま」などの自著の中で「自分軸が大事!」とか、散々えらそうに言ってきたクセにこのザマである。
話題にこそなっても、本がベストセラーにならないワケだ。
だって「いつわりのわたしらしさ」しかない私が書いた本だもの。

これまで常に「しんどい」と感じていたのは、演じている外の自分と、本当の自分の乖離があったから。
しんどくて、しんどくてたまらなかった。
私が「わたし」に疲れてしまっていた。

幸運なことに私はこのことに気づくことができたので、「わたしらしさ」という言葉に縛られることを止めた。
「自分軸」はあっても、「わたしらしさ」というイメージにとらわれてしまうと、行動や言動に妙なブレーキがかかり、どんどんしんどくなる。
アメーバーのように、その時々でカタチを変えていけばいい。
芯さえブレなければいい。

いちばんラクになる方法は、「自分の弱さ」を認めてやることだと思う。
あと心の中に住む「甘えたい自分」の存在をわかってやることだ。

べつに世間さまにほめられなくてもいい。
もう十分すぎるほど、「手のかからない子」も「自立したカッコいい女」も「親思いの娘」も演じてきた。

他者がイメージする「わたしらしさ」はもういらない。
本物の「自分軸」を持って生きていきたい。

ちょっと長めのひとりごとでした。

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