ガマンは美徳なんかじゃない

人には「ガマンするシステム」が埋め込まれている?


アラフィフ女子大生にとって、知らない世界を学ぶのは楽しい。
そして刺激的だ。
「この年になって、こうも夢中になれるものがあったのか」と日々思う。

朝は1時間早く起きてメディア授業を受け、夜は復習と予習。
学生時代にこれだけ勉強していたら、もっと違った人生だったかもと思うばかりである。

専攻したのは心理学の行動脳神経科学。
勉強自体はとっても楽しいけど、優しい言葉をわざわざ難しい言葉に置き換えているような気がして、終始もやもやするのが玉に瑕だ。

ここでは心理学一年生のアラフィフ女子大生が、覚えたての心理学を備忘録も兼ね、思いきりかみ砕いて書いていこうと思う。
(アウトプットが大事なので)
へっぽこなので、解釈が違っていたらお許しを。

ガマンは必要だけど、ガマンのし過ぎはNG


今日のキーワードは「ガマンは美徳」
日本ではガマンすることが美徳だと説かれてきたけれど、生き方や働き方が多様化して今、ムリにガマンすることはないと思う。

人間には感情を制御しようとする仕組み(感情制御)が神経に組み込まれていて、それによって社会に中に適応して生きている。
感情制御にはさまざまな手段があって、代表的なのが①ディストラクション②認知的再評価、そしてもう一つが③抑制である。

①のディストラクションは感情から注意をそらすこと。イライラした時にお茶を飲んだり、散歩に行くような行為を指す。②の認知的再評価を一言で簡単に言えば「ポジティブシンキング」である。イヤなことがあっても、「この苦しみが私を成長させるのよ」とポジティブに解釈することを指す。

この2つの感情制御はすっごくいいと思うのだが、3つ目の「抑制」は言うなればガマンで、度が過ぎるとストレスでしかない。もちろんオトナにとってガマンは必要だし、スムーズな人間関係を構築する上で不可欠なことだが、ずーーっと続くとただただしんどい。

実際、実験からも「表出行動」(顔に感情が出ること)は抑えることはできても、自律神経系の興奮はかえって高まる」という結果が出ている。

アダルトチルドレンである私は幼い頃からガマンを強いられてきたので、「抑制」が妙に身についてしまっている。
「自分さえガマンすればいい」と思い、グッと言葉を飲み込んだり、甘えたくても甘えないようにしてしまう。
そして気づくと円形ハゲができていたり、突発性難聴になっていたりする。これは私だけではなく、「持続的・慢性的に感情の抑制を行う傾向のある個人は健康面で問題が多いとさえ報告されている」とテキストにもある。

ガマンは大切だけれども、ガマンしすぎるのは美徳どころか悪徳でしかない。
ガマンで心が麻痺してしまうほど、自分を追い込む必要はどこにもない。
ガマンが原因で病気になったら、それこそ元も子もないのだから。

と言っても、日常生活においてまったくガマンしないというワケにはいかない。
問題は「程度」である。
「メンタルを病むまでのガマンは必要ない」ということだ。

そうそう、感情の抑制には多くの心のエネルギーを使う。
その心のエネルギーを「統制資源」、平たく言えば「ごほうび」である。
このごほうび、最近ではグルコースやグリコーゲン、つまり「糖」だという説が提唱されたそう。

多くのガマンが必要な時は、おいしいスイーツをごほうびに、ちょっとだけがんばろう。

*参考文献:「感情心理学・入門」(大平英樹著・有斐閣アルマ)

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