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歯を食いしばって読む本

一冊の本を、歯を食いしばって読むなどということがかつてあっただろうか。最近治療した奥歯が割れるかと思えた。

この本は、この暑かった夏の昼下がりに、平塚の元市長、吉野稜威雄(いつお)さんの御宅に遊びに行って、湘南ってのは元々いったいどこなんですかね、なんていう話から彼が、これ読めというから読んだ本だ。湘南はどこなのかなどという軟派な話は吹っ飛んで、全編歯を食いしばって読むことになる。歯茎から血が出るんじゃないかと思ったくだりは2つある。

ひとつは、ことの最初から弱気弱腰の近衛文麿が昭和20年初頭に、戦争始まって以来初めて天皇とサシで向かい合い、重臣たちは一撃論(もう勝ちはないが、戦局に何か有利な勝利を得てから講和する)ばかりいうが、もう無理です、これ以上国土がズタズタになると共産革命を引き起こしかねないから、このへんでもうやめましょうと奏上したくだりである。その意見を天皇は、極端な悲観論だ、沖縄戦にやる気満々の陸海軍の士気を考えると今はその時期でないと跳ね除ける。

『独白録』によれば、沖縄戦のあとのビルマ作戦と呼応する雲南攻撃を提案するなどし、天皇は一撃の夢を持っており、作戦の指示まで出している。『独白録』は言いのがれだと取る人もいるが、戦争継続を<指示していた>(支持ではない)ことをはっきりと言い残したものとして貴重だ。

重臣たちにせよ、天皇にせよ、そして始まって1年目からずっとやめませんかと言い募っていた近衛にせよ、国民の命が云々とは言わない。そんなことは気にしていない。たしかにそれが気がかりなら戦争など始めまいともいえる。

それにしてもだ。時代が時代だからそんななのだろうか。いや、今でもあんまり変わらんのか。人の生殺与奪を決められる立場に立つ、つまり為政するものがなんで、自分たちも生きのびたい、生きて人生をたのしみたいなんて思うのだ。そんな奴は政治家になるな。読み終わってひと月ほど経つが、まだ奥歯の歯茎が痛む。

もうひとつは、8月15日の白旗はじゅうぶんに早かったと解釈できることだ。ポツダム宣言は7月27日には伝わったので、即決していれば原爆は免れたんじゃないかという結果論は根強いが、上陸作戦は九十九里浜から揚がる作戦と、湘南海岸から揚がる作戦とが並行しており、チガサキビーチが妥当と米軍は考えていたが、その作戦の決行時期は1946年の春である。

米軍は日本の兵士を「自らの祖国を守る頑強な、いまだ敗北を知らぬ将兵」と見なし、その戦闘意欲を高く評価し、一般国民に対しても「狂信的な大衆」は何をしてくるか分からないと考えていた。予備役含む150万人の兵士と、数千万人の国民。沖縄戦であれだけ手こずるのだからその何倍もの力を動員しなければならない。この戦争はまだ半年、1年、いやそれ以上続き、上陸して徹底的に叩かなければならないだろうと予測していた。

原爆投下はこれで降参するだろうと思って投下したわけではない。ソ連参戦は士気を削ぐだろうと予想はしていたが、これも決定打とはなりえない。とにかく本土上陸以外にない。そう考えて綿密な計画が練られていたわけだ。

歯を食いしばりつつ呆然となったのは、原爆の投下決定の時期と意味合いである。ローズヴェルトとチャーチルが日本に落としてもいいだろと決めたのは1944年の9月。1年も前だ。そして、ローズヴェルトの死後、トルーマンは投下の意味と価値を、ソ連への牽制になると踏んだ。ソ連に参戦を促しておきながら、原爆の脅威によって戦後アジアのイニシアチブを取れる、そう見込んだのだ。広島や長崎で一瞬にして溶けてしまった人たちはこんなことのために犠牲になった。

毎年8月15日にポストしている平塚空襲の真実はいつだか、見知らぬ中国人の目に触れて、加害者が被害者ヅラでいうなとコメントが入ったことがあり、それからはそれも上乗せしてポストしているが、「戦争は政治の一手段」という考え方を完全に葬らない限り、こういう奥歯が割れるような悲劇はなくならないのだろう。

ガザに住まう人々、だれひとり死んでほしくない。祈るばかりでは仕方ないが、祈らぬよりいいだろう。そのためなら奥歯の痛みくらいどうということはない。

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