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俳句夜話(4)川柳を知って、俳句を詠む その二

今日は、森中恵美子。

武装とくようにイヤリングをはずす

子を産まぬ約束で逢う雪しきり

キッチンでたしかに不発弾となる

男来てどっと淋しさ置いてゆく

逢(お)うていてさえベトナムの話する

極刑と思うひとりの箸を持つ

いっしんに男を思う糸を吐く

生き恥の洗濯ものを小さくたたむ

死ぬときも乳房が二つあるように

はなれ住むただ長生きをして欲しい

私は大好き。
難しい言葉も言い回しもひとつもなく、平易。「恵美子調」という言葉まで産んだ。

どれもこれも平穏ではない。ぎりぎり無事といった風情。テレビドラマなら向田邦子が描く、日常に潜む修羅のようなものと、自らを客観視できる冷静さが混在する。そこに生まれる哀切。ふつうに読んでもいいけど、身をよじるように読むべきとも思う。前回の前田芙巳代より3歳若く生まれているが、大人の女性ぶりは前田より上だろう。

女性の装いを武装と呼ぶのは目新しくはないように思うが、それは森中がそう言ったからかもしれない。イヤリングは確かにもっとも武器っぽい。子は産まぬことと約束させる男を好きになり、キッチンで何もかも呑み込んで呼吸を整え、男が勝手に置いていった寂寞を愛しむ。男はベトナムの話なんぞしているのだ。ひとりの箸を極刑と呼び、ひとり洗濯する事を生き恥という。もう会えなくなっているのに男の長生きを願う。こうやって散文にして紹介していると、涙が止まらなくなる。

同性であったらどう思うのか、わからない。バッカじゃないのと突き放すのか。わかってあげるのか。異性として私はこれらの句に確実に惚れている。彼女に惚れずしてほかに惚れるべき相手などいるものか。でも、会ってもコロナや戦争の話などをしてしまうのだ。

前田芙巳代と同じく、母の連作がある。母への想いと女流柳人には何かあるのだろうか。
母はまだひとりでまたぐ水たまり
いのちとや音たてて食う母の箸
切札のひとつを母のために持つ
冬の屋根いつかは母を送り出す

兄事した鈴木俊策が教えてくれた、「汗でも涙でもうんこでもいいから、身から出たものを詠め」という俳句作法のすべてが森中の川柳にあるような気がする。

世界の事物を借りないとならない俳句で果たして、森中のように詠めるだろうか。詠んでみないことにはわからない。だから、詠むのだ。

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