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【死語の世界】 第二十話 『重役』

ちょっと昔の映画やドラマで描かれる会社のおえらいさんは、社長と重役だった。たいてい社長は人徳はあるがお調子者の思いつきの人で、始終まわりを振り回し、それでいて女にはゆるくて浮気の画策ばかりしている。それに対し、重役は四角四面のきっちりした男で、それらの粗相をすべて処理し、会社の業績にも貢献するまじめ男と描かれるのが常であった。

1950年代から70年代にかけてシリーズ30作以上を数える『社長シリーズ』では社長に森繁久彌、重役に加東大介、小林桂樹である。この配役だけで1本も(ちゃんと)見ていなくてもそのドラマの方向はおおよそ想像がつくにちがいない。この『社長シリーズ』は『寅さん』に抜かされるまでは、シリーズ映画のギネスものだった。

この2シリーズは人間関係の構図が似ている。森繁は寅さん、加東大介がおいちゃん、小林桂樹が博に対応する。『社長シリーズ』に出てくる、営業部長役の三木のり平は重役にあって一人だけひょうきん者なのだが、そのままタコ社長に相応するというわけだ。

ちなみに、今でもつかう「パァーッといきましょう、パァーッと」という言葉は、この『社長シリーズ』での三木のり平の口癖である。何かもめごとがあるたびに飲み会をセッティングし、飲めばなんとかなるとおもっているタイプ。コンプライアンスなのかハラスメントなのか、それらの浸透でこのタイプの管理職も世の中には激減した。

昔の社長と重役が全員こんなふうだったとはおもわないが、現代における社長とその取り巻きのイメージはたいぶちがうようにおもえる。社長ではなく代取(代表取締役)であり、CEOと名乗ったり、知的で行動的で抜け目がないイメージを作ろうとする。重役はもともと自ら名乗るものではないが、代表以外の取締役は専務だろうと常務だろうと、ひじょうに軽い。呼び名は「役員」で統一されていて、なんだかPTAのようである。

経営陣のあり方は、社長ですべてが決まるベンチャー型が増えたのかもしれない。投資筋がとにかく社長だけを見ている、貸した資本の裏書を代表に書かせる、そのかわり権限表においては社長権限がほかを圧倒する、というふうに、全体的な権限の構造が急峻な山型になっている。外資系企業などに見られる、2つ上までの上長になら相談していいという2upルールなども、融通が利いているようでそうではなく、3つ上にはなにも話すなというヒエラルキーの急峻化と見るべきだろう。

『社長シリーズ』の重役たちは取締役ではない。加東大介は総務部長、小林桂樹は社長秘書、三木のり平は営業部長である。権限の傾斜がなだらかで、組織が平坦なのだ。

組織の急峻化は、全体経済が右肩で上がらなくなったことと少なからず因果のある話だろう。一点突破で行かないと勝てない。しかし、であれば、組織の中は一枚岩で硬そうなものだが、まったくそうでもなくなった。むしろ、バラバラと剥がれ落ちていって、最後は社長一人にでもなるんじゃないかというくらいに、山型どころか槍型組織のベンチャーが多いようにおもう。『社員が「よく辞める」会社は成長する!』などという新書が登場してくる謂れである。そこには当然、『重役』など存在しようがないのだ。

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