【死語の世界】第二十七話 『不潔!』
「不潔」は衛生的でない、実際に汚らしいという意味と、精神的に淫らで汚らわしいことの二つの意味がある。「!」がつくものはたいてい後者の意味合いで使われるが、両方ともに死語となったようである。
物理的な意味が消えたのは、どんなおっさんもたいがい毎日風呂に入り、一度着れば洗濯に出し、なにより自分が発するにおいを気にするようになったことが大きい。加齢臭とかいう言葉を編み出し、資生堂やライオンは本格的にどんな成分かを研究したりして、おっさんに自覚させるにじゅうぶんな社会現象となった。
昔の大人の男たちの臭さといったら、こんなもんじゃない。加齢臭+たばこ臭+アルコール(日本酒)臭+ポマードとかチックのにおい+スーツが放つ長年吸い込んだ汗と樟脳やナフタリンの混ざったにおいで、おっさんたちが集う事務所だの会合場所だのは息もできないほど臭った。目まで痛かったようなおぼえがある。これらはしかし、せいぜいが「不潔」で、少なくなったこと自体は歓迎すべきことだろう。石鹸シャンプーの使い過ぎが環境を壊している、という問題はさておくとして。
興味は「!」のついた「不潔!」が言われなくなったことにある。叫ばれなくなった、のほうが表現としては近いか。
使い方としては、純情可憐な(これも死語か)若い女性が、いい気になって男性論理で喋りまくる男たちを「不潔!」と呼ぶのが主流だったようにおもう。男なんてそんなものだ、とかうそぶくと「不潔!」が飛んでくる。誤解をおそれずにいえば、いまダイバーシティといわれて市民権を得(ようとし)ている様々な性的嗜好はほぼすべて「不潔!」だった。異性装だの同性愛だのフェティシズムだの、もちろん浮気も浮気性も「一度くらい浮気してみたいものだなあ」程度でも(かつて不倫という言葉はなかった。あったら集中砲火は免れなかったろう)、ひとまとめにそれらは「不潔!」で、人前、特に嫁入り前の娘(これも死語だ)に話していい話題ではなかった。それでもそういう生娘(これまた死語)に余計なことをしゃべりたくてしょうがない親戚のおじさんというのが必ずいて、決まって「不潔!」とやり返されたのだった。やり返されても、おじさんたちは嬉しそうにしているのが常だった。おっさん側の錯覚だとしても、なんとなく距離が縮まった感はあったんじゃないかと思う。今となっては私もじゅうぶんにおっさんなわけだが、「不潔!」と言われるのも悪くない気がする。
昨今、多様への寛容が世の本流になり、精神的な意味でこの言葉を使うのは難しくなった。やや理知的な「不純」には、「不純!」という話し言葉があるにはあるが、「不潔!」に比べたらはるかに弱い。純真は抽象的でわかりにくく、いい歳こいて純真というのも困る、対して清潔や潔癖は具象そのもので、それを失ってこそ大人、みたいな誇らしさが逆にある、古き良きコミュニケーション用語だったということかもしれない。惜しいことである。
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