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禍い

 自分は、東京大学出身で今現在、阿鼻地獄(八つある地獄の中で、最も最悪と呼ばれる地獄)にいます。自分は、幼い頃は貧しく、おまけに美形でない為、正直云って、父を憎んでいました。
 
 自分は父親似で、自分の家は、父が工務店をしており、景気や時代の影響で、商売あがったりばったりだったようで、着るものも近所の三つ上のお兄さんから毎回貰っていました。ご飯に関しても、まともな料理といえば、学校の給食くらいで、金が無く、朝は出ずに、夜は野菜の皮が浮いたスープでした。
 
 なので、まともな栄養もとれず、自分はガリガリに痩せていました。

 そんなある日、自分は家が恐ろしく貧しい、ということをどういう訳か、クラスメイトにバレてしまい、ガリガリで、イケメンでも無い自分は、それから小中学校でずっと虐めを受けてしまうようになりました。

 父を……

 父を、本当に心から憎んだのはこの時からです。

 自分は、小中学校ことがトラウマとなってしまい、高校生に上がった途端、狂ったように勉強に走りました。理由は、それでしか……、、「現実を見ない」という方法が見つからなかったからです。三年間、友だちもつくらず、彼女もつくらず、がむしゃらに勉強だけを、ただそれだけを、なので自分には、高校の思い出なんてのは、在りません。

 高校三年生の五月……

 自分は、全国模試で何となく書いた有名私立大学でA判定をとりました。先生の勧めで、一ヶ月後の模試で東京大学を書くことを勧められて、試験を受けて書いたら、それもA判定をとりました。自分は……、自分は、何かこの時、吹っ切れたような、自分になにか安堵感が出てきました。そして、自分は、わらにもすがる思いで、東大を目指すことにしました。時は、冬のセンター試験、二次試験etc.., 合格発表の日…、自分の受験番号を見つけ、東大に合格したことがわかりました。

 本当に嬉しかったです……

 ですが、自分が変わってしまったのは……
 この時からでした。
 東大になんて、受からなければ……

 大学生の時は、随分と荒れました。アルバイト代で毎日クラブ通いをし、パチンコと飲み代、ブランド品などの出費で、400万円もの借金、大学にも行かなくなり、二年ほど留年をし、やっと卒業できました。正直自分には「東大」というバックがあるから、何もしなくても、大企業に受かり、そのまま大企業で、役員になると、本当に思って居ました。 

 しかし、現実はそう甘くは在りませんでした。私は、大企業どころか、ベンチャー、中小企業、どこも受からず、かれこれ70社は受けたと記憶しております。ですが、どこの企業でも、「どうして二年も留年したの?」とそこにしか、焦点を向けられず、自分が自分のバックだと思っていた、「東大」ということには一切、目を向けてくれなかったのです。

 
 終わった……
 

 自分は今、アルバイトをしながら、資格勉強をして、二年目になります。資格を生かした仕事を探しています。

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