大道芸考

先日、大道芸を見かけた。
いつもよく通る公園で、やっていたのだ。
若者が頑張っている。
観客はそれほど多くは無かったが、少なすぎることも無かった。
途中、何度か失敗しながらも、次第に難しい技に挑戦する。
拍手してくれ、と言う。
歓声をあげてくれ、と言う。
みんな優しいから、言われるがままに盛り上げていた。
さあ、いよいよクライマックス。
今から最高難度の技に挑戦するという。
ここで、お定まりのアナウンスがあった。

「さあ、今から一番難しいワザに挑戦します。この技が終わりましたら、後から皆様のところを回ります。ええ、もう解って頂けますよね? はい、わたくし、〇〇から来ました。交通費は出ません。この場所を借りるのにお金もかかります。
ですので、チャリン。。では無く、折ってたためるモノをよろしくお願い致します。」

またか。。

一気に幻滅した。

「硬貨は要らないよ。札をくれよ。」
と、遠回しでも何でもなく、ダイレクトに訴えているのだ。
ひと昔前は、大道芸人でこんなことを言う人は居なかったように思うのだが、最近よく聞く。
他の場所でも、違う大道芸人から、何度も同じセリフを聞いた。

最近の流行りなのだろうか?

気持ちは、わかる。
この場所を借りるのが決して安く無い事も、借りたことがあるから知ってる。
〇〇からの交通費も、いくらかかるか知ってる。
他にも、いろいろ見えないお金が必要だろう。
そのためには、硬貨を集めていたのでは埒が明かない。
効率良く頂くためには、最低価格を決めよう。
わかるよ。

でもね。。

大道芸って、立派な芸術だ。
芸術の価値を決めるのは、芸術家の方では無くて、鑑賞するお客さんの方ではないのか?
それに、お金の重みは人それぞれ異なる。
年収2000万の人と、100万の人では、同じ千円札一枚でも、重みが随分違うだろう。

それを一律、千円でボーダーラインを引き、事実上、
「千円未満は要らないよ。」
と、言い切ってしまうのは、如何なものだろうか?

たとえば、お小遣いの100円玉を握り締めた子供が居たとする。
好きなお菓子を買おうと家を出た。
途中でたまたま大道芸をやっていた。
ものすごく感動して、自分のお菓子を我慢して、その100円玉を大道芸人の帽子の中に入れようとしたとき、
「なんだ、ジャリ銭かよ。そんなの、要らねーよ。」
と言われたら、どんな気がするだろう?
その子にとっては全財産。
とっても価値のあるものを、素晴らしい芸を見せてもらったお礼に渡そうとする。
それを渡す前から拒否する。
「チャリンじゃなくて、折ってたためるモノを♪」
って言うのは、そういうことだ。

「俺の芸を見たんだから、最低千円よこせ。」
と言われて、気の弱い人がしぶしぶ出した千円札より、
「すごい!素晴らしい!僕も大きくなったら、このお兄ちゃんみたいになりたい!」
と、自らの意思で全財産をはたいて出した100円玉の方が、よほど有り難くないか?
100円玉でも10人集まれば、1000円になる。
しぶしぶ大人ひとりの千円札と、
感動子供の全財産100円×10人=千円。
どちらに価値があるかは、明白だろう。

事実、この日私は財布の中に一万円札と500円玉1枚、持っていた。
ツレも、たまたま五千円札と100円玉を4~5枚、持っていた。
後で二人で話してわかったことだが。

そして、私たちの感覚では、
正直言って、この芸の価値は300円相当ぐらいだな、と思った。
少なくとも、五千円や一万円の価値は、絶対ない。
でも、せっかく頑張っているのだから、ちょっと色をつけて500円玉を納めさせて頂こうかと思っていた。
連れも、同じことを考えていたようだ。

「あの言葉」を聞くまでは。

あんなことさえ言われなければ、2人で合計1000円、納めていただろう。
そして
「これからも頑張ってね!」
と、エールを送っていただろう。

でも、あの一言で、
2人とも即、その場を去った。
同時に、二度と応援したく無くなった。
だって、コインを入れても、
「なんだ、これっぽっちかい。」
って思うんだよね?
そういうことよね?
コインは、あなたにとって、全く価値の無いモノなんだよね?

この日は休日だったので、公園の他の場所でも、他の大道芸があった。
偶然だが、知ってる顔だった。
以前旅先で見かけた大道芸人だった。
私達は、見向きもせず通り過ぎた。
なぜなら、この人も以前「例の言葉」を口に出したからだ。

同時に2人の観客を永久的に失い、
2人合わせての1000円をもらい損ね、
「二度と見ない」って思われるのと、
2人から合計1000円もらって、
もし次にまたどこかで会ったとき、
「あ!あの時のあの人だ。前よりパワーアップしてる♪ すごい!」
って、思われ、ファンになって、
もしかしたら「折ってたたんだモノ」を何枚ももらえるかもしれないのと、
長い目で見て、どちらが良いだろう?
どちらが「芸術家」として幸せだろう?

厳しい練習を積み、
素晴らしい芸を披露する、路上の芸術家。
だから、
勿体ない。
あの「要らぬ一言」が、台無しにする。
とても勿体ないと思うのだが。

単に私が、ヘソ曲がりなだけなのだろうか?



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