サイレント・ランニング

映画を観た。

古いアメリカSF映画で、サイレント・ランニングというやつ。
こんな映画があったことすら知らなかったのだが、
なぜかDVDを買ってしまった。
引き寄せられた。

以下、映画感想文。ネタバレ注意。

映画は、美しい花や小動物のシーンから始まる。
マクロレンズで追うカタツムリ。カメ。
自然豊かな森の風景。
森の小さな池で泳ぐ主人公のローウェル。

だが、カメラが引くと、これが実は宇宙船の中であることがわかる。

ローウェルも含めて4人の乗組員。
巨大な宇宙船で土星の衛星軌道上をもう8年も周回している。
「森は宇宙船の中」と書いたが、正確に言えば、宇宙船の先端に透明なドーム状のユニットが複数付いていて、そのひとつひとつが森なのだ。
(ちょっとハカイダーに似ている、それもハカイダー4人衆が合体した、「ガッタイダー」に似ていると思った私は、少し病んでいる。)

乗組員たちの会話で、やがてこの船が何をしているのか、
今、地球はどうなっているのか、解ってくる。

地球上には、もうかつてのような豊かな生態系は無く、人間だけが快適に過ごせるように、温度(おそらく湿度も)が一定にコントロールされ、人間はすべて人工合成された食糧を食べて生きている。

かつて地球上にあった生態系は、この宇宙船のドームの中にだけあるのだ。
この船は、いつの日かまた地球に動植物を復活させる時のため、いわば「種の保存」をしているのであった。

とは言っても、そんなことを真剣に願っているのは植物学者で主人公の、ローウェルだけ。毎日熱心に植物の世話をし、収穫を頂き、その喜びを噛みしめているが、残りの3人は、自然に全く興味なし。
3人は、フードマシンが瞬時に吐き出してくれる合成食糧しか食べない。
それしか、知らないのだ。
地球を出発する前から。

そして、ある日、地球から指令が入る。

「理由はわからないが」
と司令官。
プロジェクトは中止。
ハカイダードーム、じゃなかった、「森のドーム」をすべて切り離し、核爆弾で完全に爆破して帰って来いと。

「そんなことをしたら、取り返しのつかないことになるぞ! ここの森は最後に残った生態系。地球上にはもう無い。ここの森も無くしてしまったら、もう、2度と戻らないんだぞ!」

必死で力説するローウェル。
しかし、森に思い入れの無い3人は、何の躊躇もなく、淡々と命令を実行していく。
ひとつ、ふたつ。。

切り離され、爆破され、次々と宇宙の藻屑と散る、森の木々、動物、虫。。

ついに、最後のドームに手を掛けようとしたとき、思い余ったローウェルは、爆破を食い止めるために、3人を殺めてしまう。

ローウェルは宇宙船の故障を装い、そのままさらに深い宇宙へと消える。

ローウェルと、ロボット3体の、孤独な生活が始まる。
毎日、毎日、ロボットと一緒に、森の世話をするローウェル。

やがて。。

映画の冒頭、森の植物をEVでわざと踏みにじったり、ローウェルがせっかく丹精込めて作った貴重な果実をヘラヘラ笑いながら床に投げたりする3人には心底腹が立つ。
だが、森の爆破を食い止めるために仕方が無かったとはいえ、命を奪ってしまった時点で、映画を観ている観客の心境が変わる。

そしてその後、孤独な生活が長く続くにつれ、人を殺めてしまったローウェルの自責の念と、あんな奴らでも今一緒に居てくれたら。。という救いようの無い寂しさがひしひしと伝わってきて、やり切れなくなる。

だから最後は。。ローウェルは究極の選択を取るしか無かったのだろう。
自分が彼の立場でもおそらく同じことをしたに違いない。

せめて、
彼が残した森が、
宇宙を彷徨い、
そしてまた遠い遠い未来に復活してほしい。
たとえそれが地球でなくても。
そう、願わずに居られなかった。

映画を観た後に、心に引っ掛かったことがある。
なぜ、プロジェクトは突然中止になったのか?
せっかく、おそらく莫大な費用をかけて、巨大な宇宙船を作り、動植物を一度は救ったのに。
8年間も、育てて来たのに。
地球に豊かな自然を復活させるために。

「理由はわからないが」

映画の中ではそう言っていた。

もし1972年の放映当時に映画館で観ていたら、小学生だった僕も「理由がわからなかった」だろう。たぶん。

でも、
今は、すぐわかる。

自然が復活したら、困る人たちが、居るからである。
生きる選択肢が増えたら、
合成食糧が不要になったら、
とても困る人たちが、居るからである。

明白だ。

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