今でも哀しい時に焦げたホットケーキ食べてるよ。

 寒さが、私は寒さに強いのだけれど、寒さが身に染みてしょうがなくて、哀しい事があった訳でもなかったのに泣いてしまう帰り道というのを、ここ1週間で2回体験した。その時、私はごしごしと涙を拭いて理由になりそうな哀しみが道に落ちていないか探す。

 WSオーディションが終わった。選考もしてその連絡もした。排気口は少し前からキャスティングやオーディションの選考に関してほぼ私の一存で決める形になった。だから今回も選んだのは私だ。落としたのも私だ。ネガティブな感情は私に飛ばして欲しい。でもこれは世界の相場で決まっていることだが、選ばれなかった者にこそ美しさは宿り、何かを選ぼうとする(今回の私のように)者には必ず罰が下るのだ。その罰とは貴方の素晴らしさを見ることが出来なかったこの視力と恐るべき後悔。どうか素晴らしい演劇を。もしやめても、それ以上に素晴らしい生活を。また会えるときは私も貴方も元気だと凄く嬉しいです。

 年の瀬WSは26日が最終日だ。こちらはキャンセル待ちが出るほどの盛況。急遽増員しても尚キャンセル待ちの状態なので今から応募しても参加は厳しいかもしれない・・・。けれども「もしかしたら参加出来るかもしれない」という小さい類の奇跡を信じるならサンタさんがいなくなった後の冬の夜に一緒に怖い演劇を作ってみよう。詳細は排気口Twitterから。

 年の瀬WSが終わったら本格的に『名前のない役者達』の新作短篇の台本作業になる。それと同時に来るべき排気口新作長編の台本作業もある。年末年始なんて殆ど関係ないみたいなタイトさだ。でもジャニーズカウントダウンは見る。忘れない様にしよう。それからお酒。今年は焼酎かな。あとお雑煮。お雑煮大好き。毎日食べたいぐらい好き。おせちきらーい。

 私はSNSのRIPを妙に居心地の悪いものに感じてしまう。これは私がインターネットはこうであって欲しいと望んでいるある種の軽薄さと相反しているからそう思うのかもしれない。もしかしたら違うのかもしれない。とにかく自分の悪趣味をインターネットで充足させればさせるほどに、かような想いが沸き上がってくるのだから、どうしようもない。と、自分に呆れる。

 それでも、ここしばらくずっと貴方の音楽を聴いていた。高校生振りに聴くアルバムも含めて、聴ける限りの全てのアルバムを聴き返した。2枚目と4枚目は今年の頭にもめちゃくちゃ聴いてた。18歳の頃だ(その頃の日本は限定的に15歳から成人で18歳は飲酒出来て20歳から大麻が吸えて、22歳でみんなナイトプールのVIPでエロしてた。って記憶してるんだけど違ったかな・・・。)酒呑むために大学入ったのかな?と錯覚するほど授業にも出ずに放蕩の限りを尽くしていた時。大学の図書館で読みふけっていた『多重人格探偵サイコ』のサブタイトルに「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ」って付いてるの見つけた。その時の図書館の風景を未だに覚えてる。バイト代で買った『SABRINA NO HEAVEN』は酔って踏んじゃってケースにヒビが入ってる。ふと図書館の窓から差し込む柔らかな光の中でぼんやり思った。もしかしたら酒を呑む為じゃなくて『多重人格探偵サイコ』のサブタイトルに「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ」って付いてるのを見つける為に大学にはいったのかなって。これは親不孝って言葉をまだ知らない頃の話だ。

 西荻で1回だけ会った事がある。その時の事は私と私の友人たちの中でも大切な時間として記憶されている。同じ店でお酒を呑んでて煙草を吸ってた。「本なんて読んだことねえ」って言ってた。フランクでカッコよかった。私は酔ってた。だから言えば良かった。「いつも心の中でミッドナイト・クラクション・ベイビーに真夜中大泣き赤ちゃんってルビ振ってます」

 素晴らしい音楽が残っている。涙はこぼれない。立ち止まれないのが時間で、哀しみ続けらないのが生きているということだ。喪失はいつか何かで埋まる。それでも忘れない様に誓い合う様がロックだとしたら。それをロールするのが最高にイカしてるのなら。そう思える夜はこれからいくらでもある。全ての夜に貴方の声が響いている訳じゃないけど、鳴らすときはいつも爆音で。夜を転がすのはいつでも貴方の声だ。

  全ての穏やかさを祈って。


 

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