2022年1月の出来事④

まずはお墓をどうするか


父の住まいについては、現状のままという選択肢があるので急ぐ必要はなかった。早急に対応しなければならなかったのは、母の遺骨をどうするかということ。
父の家代々の墓所は、父の生まれ故郷であるG県T郡の山の中にあるにはあったが、父の住まいから車で早くても3時間ほど。私の住まいからでは優に4時間はかかる。
申し訳ないが、母にはこの墓所に入ってもらうわけにはいかないだろうと考えていた。父も墓参りに行けないようなところに納骨するつもりはなかったようだ。
だからと言って、どうするという考えはなかった。何度聞いても「う~ん、どうしたものか」と言うばかり。誰かに決めてもらいたいという態度がありあり。結局、最終的には「お前に任せる」ということになった。
どうしたかったんだろう、本当は。
何故そんな態度だったのか聞きたいと思うが、今となってはもう遅い(日記が残っているので確認してみよう。これまでは見るのも嫌だったが)。
妹に父の意向を伝えたら、あきれていた。落ち着いたら、父の住まいの件も含め、一度話をしようという話をしたが、そこでどんな話をしたのか記憶があいまいだ。
母を亡くして一人になった父は、さっさと新たな部屋を決め引っ越した。同じ建物だったこともありスタッフの皆さんにお手伝いいただいて移動したらしい。我々には「手伝ってくれ」の連絡もなかった。
新しい部屋を確認するため訪問し、スタッフの皆さんにご挨拶。訪問の件は妹にも伝えたはずだが同行していなかったと思う。
新しい住戸は従来と同じ1階で、それまでの部屋から2部屋ほど離れたところだった。それまで母の見舞いのために訪問してくれていた親族のみなさんや、母が発病前に働いていた職場の同僚の皆さんに連絡。葬儀に参列してくれたお礼とともに、転居の件も報告した。

奥さんと二人、母の墓を探す

母の遺骨をどうするつもりか、気が進まないが聞いてみた。「〇〇(自分の実家)は遠いしなあ…」。自分の意志がないわけではない(多分)のだが、自分から言い出すことはしない。
誰かが「こうしたら」と言い出すのを待つ、というか態度でそう言わせるよう仕向けるのだ。
昔からこういう人だったが、母が倒れて以来、家族として結構大きい決断をしなければならないことが何度かあり、その度にこういう態度をとられ辟易していた。
住まいの近くに新たに墓を構えるしかないのだが自分からは言い出さない。責任を取りたくないのだと思う。
そのあたりは一緒に話していた奥さんにも伝わり、このあとも墓所の件を父に相談しに訪れることになるのだが、帰り道は毎回、いらだった奥さんと車内で口論になった。
今になってみれば、この時、散々な目にあったがお墓を手に入れることができた。結果としてはおいて良かったと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?