歌うことの浄化力

「人の声はその人の心を表す」と以前沖縄で関野直之さん(「バシャール」の翻訳で有名)から聞いたことがある。スピリチュアルコーチングの講義でのこと。私はなるほど!と膝を打った。歌にはいい歌声が不可欠。つまりきれいな心が不可欠ということ。私は自分で言うのもなんだがいっぱい苦労をしてきた。しかし、辛い目にあうたびに、『蓮は汚泥より出でて美しい花を咲かす』ということを思い出しては歯をくいしばった。

苦労という泥を知る前の心は純粋無垢で美しい。しかし、汚泥の中から這い上がった心には力強さという美しさが加わる。苦を知らない者に苦はいやせないし、傷を知らない者に傷はいやせない。強く優しい心に成熟した者の歌う歌は神々しい。様々な人がカバーしている沖縄の唄「童神」を作詞した、元ネーネーズの古謝美佐子さんの歌声は天であり大地であり海である。その声を一聴すれば彼女の人生が自ずと伝わってきそうだ。懐の大きなやさしい歌声。

私は曲も作るが、詩と歌が本業。特に島唄を歌うことを好む。その理由は島唄が神と交信する力をまだ秘めているからだ。島唄を本格的に歌ってもらえばわかるが、島唄は喉からではなく胸のチャクラから頭のてっぺんのチャクラへと声を引き上げて発声する。これに一般的な歌は胸と喉のチャクラで歌う。チャクラとは全身に7つあるエネルギースポットのこと。恐れや執着などがあっては真の歌は歌えなくなる。真の歌とは、あなたがあなたであるための歌だ。

どれだけ相手に伝えられるかと良く思い悩むけど、まず自分の心に正直でなければ相手にまっすぐな歌は届けられない。歌の訓練よりもまずは心の鍛錬だ。自分に嘘をつく癖は直ちに捨てなければならない。それができないと嘘の歌で身を固めることになる。心を開いて本当の歌を歌えた時に双方が癒される、つまり感動する歌がその場に発生する。それは魂をも癒し原始の浄化力を持つ。先住民族の歌などにはその力が存分に残っている。それを勉強中だ。