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伝わらなくて当たり前

今日もいつものようにTwitterで情報を発信した。
そのツイートを見たあるフォロワーが情報の意図を誤解する人が出ないように注意喚起の補足を入れてリツイートしてくれた。
一見ありがたいように見えるけど、発信した本人から言わせてもらうとその補足は残念ながら無駄終わる。そのフォロワーが救おうとした人たちは氷山の一角に過ぎない。
発信者の思いとは裏腹にほとんどの人たちはその情報の意図を発信者の思い通りには受け取ってくれない。

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自分の発信をキャッチしてくれる人の9割は顔も知らないし喋ったこともない人たちだ。
その人たち向けて自分の伝えたいことをネットで発信して、全員に確実に伝えることは可能なんだろうか。
経験上、半分も伝わらない。2割ぐらいが限度だろう。伝言ゲームみたいなものだ。人は得た情報を自分の都合の良いように解釈する。残念だけどそれが現実だ。
どんなに分かりやすく説明しても100%もれなく伝わることはなかなか無い。もちろん自分の文書力の問題や説明不足は否めない。ただTwitterなどにおいてはどんな文章であれ全員が全員同じように理解してもらうのは限りなく不可能に近い。そう思わないと苦労する。

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それでも以前の自分はそれを全員に正しく理解してもらわなければいけないと思って必死に努力した。
でもあるとき気づいた。それは無理なことだと。
全体の2割にだけでも伝われば十分だし、分かる人にはたいした説明をせずともきちんと汲み取って理解してくれるのだと知った。
以来、情報発信した内容に関して、誰がどう捉えようが間違って伝わろうが気にしないようになった。
誤解している8割の人に対して誤解を正すよりも、正しく受け取ってくれる2割のために次の情報を発信することの方がはるかに有益だと学んだ。
情報は受けとった人が好きなように扱ってよいものなのだという前提で発信しないと15年近くも情報サイトやっていられない w
この投稿も皆さんがどう受け取るのかは個人の自由ってことで、眠くなってきたのでこの辺でおやすみなさい。


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