見出し画像

無題


私の“あの失敗”とは、元はといえば母の失敗。

私が小学4年か3年の頃に、母は父に無断で福山雅治さんの東京ライブに行った。この日も父はいつも通り夜遅くまで仕事だった。母は日帰りで帰ってきたので、黙っておけばバレなかったろう。

しかし、勘が鈍い母は感想を言ってしまったらしい。母は福山雅治さんのファンであり、初ライブということもあってだいぶ興奮していたのだろう。

この「らしい」とか「だろう」とか煮え切らない不確定な言葉を使っているのはなぜか。答えは簡単。見ていないからである。私が見たのは、母が土下座をしていたところ。

私の家はリビングダイニングで、その直線上にお座敷がある。私はこのお座敷で姉と共に寝ていた。夜遅くに帰ってくる父を母が料理をこさえて待ち子供らは寝かされる、というのがこの時の常だった。

そう、つまり「母が帰ってきた父にライブの話をしたところ、父は激怒し、喧嘩が始まり、自分が悪いとわかった母は土下座をした」の「母は土下座をした」の部分で私は起きた。

確か母は泣いていた。父はそれをただ無言でじっと見つめ、暫く経ってタバコを吸うためか外に出て行った。

これを見た幼少の私の頭の中には、土下座をしている可哀想な母・それをただ見つめる冷酷な父という構図が出来上がった。

父は敵であり、母を守らなければならないと思った。

これ以来、母と私と姉は父と全く話さなくなった。父は元々働き詰めだったから、少しでもお互いに会う気がなかったらだめだ。顔を見ることすらもない。初めは正直戸惑ったが、次第に慣れた。というか、私の中で父はどんどん悪者になった。勉強や部活を頑張っているのに褒められないし何も言われない見向きもされないという「傷」を、父をそう捉えることで解消していたのだと思う。

それが何年も続いた。


私が中学2年生のころ。こうなった原因が、母の愚行であったことをようやく知った。気が狂いそうだった。自分が悪いくせに、今まで被害者ヅラをしていたのか。自分を守るために、私たち姉妹を「味方」につけていたのか。私は何も悪くない父を敵にしていたのか。

いろんな事実を一気に突きつけられた。

この時の私はたぶん自暴自棄になった。そしてだいぶ周りに迷惑をかけた。当時付き合っていた人を野外学習の前々日くらいで振ったり、生徒会の選挙活動をほっぽり出したり、待っていてくれた友達を無視して1人で帰ったり、勉強も部活もちゃんとやらなくなった。

当時の担任、鷲見先生はそんな私を呼び出した。目力が強くて見透かされているような気がして私は苦手だったけど、愛を持って接してくれる先生だった。私はなんというか、言ってしまえば優秀な生徒だったから、そんな生徒がグレたときたらそれは問題になったのだろう。それで美術室に呼ばれた。

初めはひたすら鷲見先生の話を聞いていた。長い夫婦生活でも、旦那さんのことを今もとっても愛してらっしゃるんだろうなというエピソードだった。鷲見先生はおそらく雑談のつもりだったのだろう。それはそうだ。ベテランの先生はいきなり本題にはいかない。でも私はこの話で泣いた。息も苦しいくらいに泣いた。羨ましかったのだ。全部が。

鷲見先生は明らかに動揺していた。動揺しすぎて私が泣き腫らしたあと、エスカレーターを歩いて行くやつはムカつくという話をしていた気がする。結局、私は私の置かれた状況、心境を鷲見先生に明かすことはできなかった。ただ、先生が親御さんに連絡するねと言ったときに、「やめてください母には言わないでください」ということは言えた。鷲見先生はそれで全て了解してくれた。

して、時が経った。

高3のころ母は気が狂った。元からうつ病みたいなところはあったし、映画のワンシーンを実際体験したことのように言うことがあった。あと色々違和感があったけどもう忘れた。

この母の気の狂いようは凄まじくて、死んだように突っ伏しているかと思えば、急に起き上がって何もかも壊さんばかりに暴れ回った。徘徊することもあった。橋の上で見つかったらしい。

もうどうしようも出来なくなって、ここでようやく父と向き合った。


そして今。

相変わらず父と言葉を交わしていない。約10年の隔たりを容易に埋めることはできなかったし、仕事以外常に酒でフラフラになってしまった父とはまともな会話もできなかった。父は口を開けば死にたいと言っていた。


たぶんもう仲良くなることはできないんだと思う。

私の失敗は「勝手に思い込んだこと」

不確定な事実の答えを、簡単に出そうとしてはいけない。ちゃんと見極めなければならない。

このせいで、理屈くさいとか優柔不断とか八方美人とか言われるけれど、そんなこと関係ない。一度してしまった過ちを簡単に取り返すことはできないのだ。

あの失敗があったから、今の私がいる。そう自信を持って言える。


これから家族がどうなるかなんてまったくわからないけれど、もうどんなことが起きても逃げないだけの覚悟はできた。頑張る。

この記事が参加している募集

#忘れられない先生

4,590件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?